ヒア・カムズ・ザ・サン

ヒア・カムズ・ザ・サン (新潮文庫)

ヒア・カムズ・ザ・サン (新潮文庫)

内容(「BOOK」データベースより)
編集者の古川真也は、特殊な能力を持っていた。手に触れた物に残る記憶が見えてしまうのだ。ある日、同僚のカオルが20年ぶりに父親と再会することに。彼は米国で脚本家として名声を得ているはずだったが、真也が見た真実は―。確かな愛情を描く表題作と演劇集団キャラメルボックスで上演された舞台に着想を得た「ヒア・カムズ・ザ・サンParallel」を収録。有川浩が贈る物語新境地。

 どんな内容かよく知らぬまま、有川さんの小説だということで購入したが、ある役者が言った「真也は30歳。出版社で編集の仕事をしている。/彼は幼いころから、品物や場所に残された、人間の記録が見えた。/ある日、真也は会社の同僚のカオルとともに成田空港へ行く。/カオルの父が、アメリカから20年ぶりに帰国したのだ。/父は、ハリウッドで映画の仕事をしていると言う。/しかし、真也の目には、全く違う景色が見えた……」という7行のあらすじから作られたというちょっと変わった趣向、経緯の小説。他にもそのあらすじから成井豊という人も演劇を作り、その演劇版に着想を得てさらにもう一編同じあらすじから小説を作った。ということで同じあらすじから作られた「ヒア・カムズ・ザ・サン」「ヒア・カムズ・サン parallel」という2編の小説が収録されているという変わり種の本。
 「ヒア・カムズ・ザ・サン」編集者である古川真也は物に残された記憶が見れたというが、その能力を活かして作者に寄り添って仕事をしている。後輩の池内が、愛猫家の麻井という小説家の書いた猫が死んでしまったことでの喪失感を描いた描写に「大袈裟すぎてしらけるのでは?」なんてコメント入れて校正したのに作者が憤激して、「君に彼の気持ちは分からない」と乱れた字、強い筆圧で書いて、前担当の古川に送ったというあてつけ、抗議の気持ちはそこまで猫好きではないのでわかるとまでは言わないけど、自分にとって大切なものを蔑ろにし、自らにとって自然な感情の流れを否定されたら、だれでも傷つくし何かしらの抗議をするのも自然だと思える。まあ、後輩の池内が麻井が相当な猫好きだということを知らなかった故の言葉で、そのことを知って涙を出して反省しているようなのでよかった。
 しかし同僚で同期のカオルは、最初は男性(古川と同性)だと思っていたが女性だったとはちょっと意表を突かれた。
 古川は思春期には自分が能力を持っていることで楽をしているという負い目があったようだが、それを『大仰に嘆くのも所詮は楽をしている代わりのポーズの様で憚られる』(P28)と言っているのは、そうしたことを思春期に既に捨て去ったのなら頭がいいなとおもったが、どうやら、結局高校時代に彼女の気持ちが離れているのがわかっても繋ぎとめられなかったという経験から少し割り切れるようになったということだから、それ以前はそうした考えを持っていてもなかなかそうした考えから抜け出しきれなかったのかねえ。
 カオルは仕事で20年も会っていなかったためわだかまりを抱いている父に会わなければならず、その父に反発してしまい子供っぽいところを見られるというのは恥ずかしいし気まずいだろうから、とても可哀そうになってくる。
 しかしHALの回想で、白石晴男が学生時代に賭けで逆さ釣りに30分耐えたら1万円を出すといわれて、二階から逆さ釣りにされているのを見ると思わず「シアター」の司さんの口癖である「吊るすぞ」という言葉を思い出して思わず笑ってしまった。
 そしてカオルの母はぽわぽわしているようで、人を騙すような演技を自然とできるなんてなかなか侮れない人物だな(笑)。まあ、エキセントリックな白石と結婚したのだ、ということを考えたら、そのくらいできることも自然に思えてくるけど(笑)。まあ、どこまでも包み込んでくれる母性の象徴のような人物だ。
 HALが回想で明かした、榊の白石への非常に純な友情、ある意味の愛には繊細で叙情的なムードも相まってちょっと感動した。
 「ヒア・カムズ・ザ・サン parallel」真也、カオル、晴男など主要人物の名前は変わっていないが他の名称やキャラのディティールなどは結構変わっている。こちらでは真也とカオルは結婚を視野に入れたカップル。またこちらの父は、アメリカで成功したと嘘をつく非常に子供っぽい人で、彼がそんなことを言っているときは名取のようにいらっとしながら嘘を指摘したくなるような気持ちもわかるけど、カオルの仕事場で度の合わないメガネで娘のカオルを見ようとしている、くたびれた服装や持ち物をした年かさの男を見ると哀れになってくるし、居た堪れない思いが湧いてくる。
 この中編では古川は物に意識を集中させて物に残った人の記憶を深いところまで引き出しているが、ちょっと能力が無印の「ヒア・カムズ・ザ・サン」と変わっているような気がするな。しかし最初の元ネタのあらすじにあった場所の記録という設定は結局生かされなかったね。
 岩沼編集長の言った、親を許すのには、その前に親をあきらめる段階が必要だという指摘には目からうろこが落ちた。
 しかし古川は物の記憶が読めるせいで、彼女の父晴男にカオルをもう一度ちゃんと会わせてあげようとカオルを説得しているが、それに対してカオルが私だって自分が折れたほうが手っ取り早いことはわかるけど、何も悪くないのに折れたくない、みんな私に大人になれと言うばかりで誰も味方してくれないといっていることに真也は殴られたような衝撃を受けたが、読んでいてそうしたことを全く考えておらず、自分がそういうことをされたら嫌なことのかなりの上位にあることなのにそれを気付かなかったことに、ショックを受け苦い気持を味わって、カオルに自分まで謝りたいような気分になった。
 しかしその言葉で古川は晴男の説得というか説教というひどく不躾なアプローチをしたが、それに対する妹のフォローもあったおかげで、なんとかカオルが父とある程度歩み寄ることができたという結果になったのは本当によかったと素直に思える。