ロシア 闇と魂の国家

ロシア闇と魂の国家 (文春新書 623)

ロシア闇と魂の国家 (文春新書 623)

内容(「BOOK」データベースより)

ドストエフスキー」から「スターリン」、「プーチン」にいたるまで、ロシアをロシアたらしめる「独裁」「大地」「闇」「魂」とは何か。かの国を知り尽くす二人が徹底的に議論する。

 二人のロシアの専門家によるロシアについての対談集。対談というのは、偏見かもしれないけど、どうにも軽い読み物的な感じで読みやすいけど、あまり面白味があるものではないのが大半だという印象がある。しかし今回対談している二人とも、とても物事に真摯で頭の良い本当のエリート・インテリという印象を受ける人たちなので、そうした人たちが真面目に対談しているものだから、読んでいて普通に読み応えあるし面白い。
 対談している二人の本はいくつか読んだことがあるので、依然別の本で書かれたりした話やエピソードもあるため、そういうのを見るとこれあそこで書かれていた話かと思ってちょっと嬉しい。
 佐藤優さんの対談物って、宗教とか思想みたいな、個人的にあまり知識がないところについて過度に柔らかかったり、卑近なものとせずに語られているから面白い。それに今回の対談相手の亀山さんとのドストエフスキーとか文学の話も、両者が話すロシアの話など面白かった。文学についての話は、ちょっと興味はあるし、そういう話は面白いのだけど文学作品はあまり読まないから、語られる内容が興味深くても、結局言及されている本は読まないのだろうなと思うと、むなしくなってしまうところがあるけど、ドストエフスキーは一応大体は読んでいるのでそういうところがないのはいいな。まあ、覚えているのは亀山さん訳の「カラマーゾフの兄弟」とか少数で、ほとんどが読んだけど、忘却しているのが大多数だけど(苦笑)。
 亀山さんの冒頭のエッセイ、スターリン時代の文学「二枚舌」のテーマ、巧妙に隠された主張、佐藤さんが宗教についてもソ連時代そういうことがあったといっていたが(いや、あれはその思想とかを批判的に書きながら紹介したとかだったっけ)、そうした時代に描かれた文章というのはそういう字面どおりでは読めない隠された意図で描かれているということが多いのかな。個人的にそういう隠された意図なんてさっぱりわからない人だから、そういうのがある意味一般的だったと聞くと、そういうのを見出せる人はすごいなと感嘆するような思いを少し抱いてしまう。
 『亀山 仮説を極限まで検討していって、最後に「決断」した以上はここに賭けるというのは勇気がいることですね。(中略)もし、自分なりの直感で、新しい議論を呼びだせると革新できたときには、果敢に攻めることにしています。批判されてもいい、批判を恐れたら、学問に進歩は生まれないでしょう。(中略)文学の想像力というのは、ものすごい揺れを含んだ軟体動物なんですよ。(中略)信念が表に出てきたら、小説は死んでしまいます。極限のあいまいさを追求するのが文学なんです。そして学問は、そのあいまいな地盤に両足をかけて、なおかつ決断することなんです。』(P39)信念が表に出てきては小説が死んでしまうから、あいまいさが求められる。しかし学問(文学研究)はそのあいまいさを知りながら、見ながら、仮説を極限まで検討しながらも最後には「決断」しなければならない。
 ソ連崩壊前の労働者の労働時間、一日に3時間半とか4時間が平均と言うのはうらやましい。それが甘い腐敗と表現されているけど、それが継続できるのであればある意味理想的に思えるなあ、現代日本の労働環境があれだからなおさら。
 ソ連のレストラン、最高級・一級・二級、それ以下と等級があって、そこでは出てくる食材の質が違うが、値段はどこでもそんなに変わらないため、給料は自慢にならず、そうした上のランクの店にアクセスできる地位が重要だった。こういう当時のソ連のちょっとした話というのは、資本主義社会からは想像もできないような話が結構あるから面白いし、そういうのが読めるとちょっと嬉しい。
 ブレジネフ時代、西側のイメージは悪いが、ロシアの庶民にとっては黄金時代だった。
 政治の話は当時の話で、昔の話だからちょっと今から見ると、もう終わった話で予想も外れているからいまいちかな。プーチンがわざわざ首相に座ったのはメドヴェージェフを信用できていないからで、またロシアは属人的権力でなく、地位に権力が付随するから地位を失うと影響力弱くなる(そのためスターリンでさえ終生公職を手放さなかった)、裏側で操作できないからだというのはちょっと面白いけど。メドヴェージェフが連続して大統領になる可能性のほうがプーチンが再登板する可能性よりも高いだろうという予測だったり、メドヴェージェフが権力を握ってプーチンを失脚させるかもという話は、プーチンが返り咲いて権力を握っている現在からすると、プーチンが磐石なものに見えるから、ちょっとありえなさそうに見える(ロシアウォッチャーじゃないからかもしれないが)。まあ、そうした可能性もあったんだとはちょっと興味深いけどね。
 亀山『独裁者というのは、おおむね自分の独裁者たる資格を根本的にうたがい続けている存在なんですよ。スターリンもあるところまでは、そういう感じだったんだと思います。凡庸な人間ほど神になりたがるし、なりやすい。自分に対するアイロニーが欠落していますからね。(中略)「全人民の父」と持ち上げる。しかし持ち上げられた当人はじつは満身創痍の、いってみれば、悪しき凡庸の神であるわけです。(中略)歴史学者の友人に言われたことがあるんです。スターリンってほんとうに凡庸なのか、とね。うなってしまった。しかし、プーチンのカリスマ性にも、どこか、僭称者的な印象がつきまとっていた。ところが、それがだんだん変貌していった。権力が人を作るとでもいうのかな。』(P65-6)「凡庸な人間ほど神になりたがるし、なりやすい」とか、「権力が人を作る」独裁者の凡庸さはその地位によって薄れ、カリスマ性が生まれてくるという話は印象的。
 『芸術家は常に権力者をメランコリックな独裁者として描こうとする傾向があるように思います。そうしないと芸術家の存在理由は失われてしまうんじゃないでしょうか。(中略)そもそも独裁者というのは、決定的に孤独な存在であるはずですから。』(P69)そうした独裁者のイメージは、本人が実際にメランコリックであるかどうかという以前に、芸術家がそう描きたがるというのは、ちょっと目からうろこ。
 ヒューマニズムルネッサンスキリスト教中心の世界観を脱して古典に知恵を求めた人を人文主義と呼ぶがこれもヒューマニストで、そうすると中世のような神中心の思想はアンチ・ヒューマニズムになる。ようするに、ヒューマニズム(人間中心主義)、アンチヒューマニズム(髪を中心とするキリスト教)、人間を世界の中心とするか、それとも神(など人間以外)を世界の中心とするか。
 新約聖書ヨハネの黙示録で出てくる「666」という数字で、ヘブライ文字で「皇帝ネロ」(QSRNRWN)が暗示されたものだというのは、知らなかったのでへえ。
 佐藤優、自分の宗教であるプロテスタントカルヴァン派イスラーム原理主義に近いと言ってしまえるのは凄いな。もちろん純粋に思想的な構造(?)みたいなことを言っているのだろうが、自分の宗教をそうした一般的にマイナスイメージが強いものにさらっと結びつけるのはなかなかできるものではないので、そうした冷静な比較することができるのは信頼できる。
 ロシアとの間で靖国問題が起きないのは、ロシア人自体に靖国に通じる自己犠牲の発想があるからと言うのはちょっと考えたことのなかった共通点なので少し面白いな。
 かつてロシアの軍隊ではペットの動物などを実利でなく遊びで養うような習慣があったが、それは人為的なカオスを作ったが、それには兵隊が戦地にあってもある種の余裕が生まれたし、また死の恐怖を和らげる効果があった。
 ロシア人は極端から極端へと走りぬける精神的なエネルギーがあるという話、その言葉は、なんというか日本にもいえることなので、日本のそういう性質好きではないが、それでもそんな話を聞くとなんか妙な親近感が生まれる。
 『国境や民俗に意義を認めないアルカイダが他のテロリズムは、グローバリゼーションの子供です。新自由主義とは、視座がよく似ています。しかし、アルカイダは、グローバリゼーションや新自由主義と言うシステムに対して挑戦状をたたきつけたのではない。アルカイダ自体は国家でないにもかかわらず、アメリカ合衆国と言う国家に戦いを挑みました』(P229)。