少年十字軍

内容(「BOOK」データベースより)

13世紀フランス。“天啓”を受けた羊飼いの少年エティエンヌの下へ集った数多の少年少女。彼らの目的は聖地エルサレムの奪還。だが国家、宗教、大人たちの野心が行く手を次々と阻む―。直木賞作家・皆川博子が作家生活40年余りを経て、ついに辿りついた最高傑作。

 ネタバレありです。
 野党で村を壊滅させられて廃村となった村で、一人野生児のように暮らす少年ルー(狼)は、エルサレムへと行けとお告げを受けたエティエンヌを中心として、エルサレムへの赴こうとしている少年少女たちと修道士のフルクの一行に出会って、彼らについていくことになる。
 しかし初期メンバーの子供たちの年齢はエティエンヌとルーが12歳、アンヌが13、トマとアントンが11と本当に10代前半という子供たちであり、彼らのようなエルサレムがどれだけ遠いかも知らぬ子供たちが社会の熱、あるいは大人の思惑に乗せられて、少年十字軍としてエルサレムへ行こうとする。それに途中で加わった助修士のドミニクやジャコブも、後に加わった子供たちを世話したり折衝に加わったり(しているのはドミニクだけだけど)と一行を大人として補佐するような立場に立っているけど15歳だし、若いなあ。
 『長髪を許されるのは騎士や貴族である。』(P14)とか『十二歳は、法典で成人と認められる年齢である。』(P45)とか、貴族の『次男、三男は、親が金を出して聖職禄を買ったり領地や財産の一部を寄付して、僧院に入れてしまうことが多い。十字軍参加も費用はいるが、聖職禄を買うよりは安上がりだ。』(P124)みたいなこうしたちょっとしたその時代特有の風習などの情報を入れてくれるのは、より現代とは違う時代の物語なのだという印象が強まるから好きだな。
 エルサレムへ行けという神の声を聴いたエティエンヌは、一行の旗頭で中心。フルクに乗せられ利用されて、こうした旅に出ているのではあるが、その体験、本当に啓示を受けたという実感は本物であるようだし、彼は癒しの特別な力を持っている。ジャコブもそのような神聖な何かを感じるなど、彼は少なくとも特別な何かを感じさせる存在であり、透明感のある無私的で神秘的な雰囲気を感じさせる少年ではある。
 フルクは自身が所属していた僧院が助修士が反乱して修道士たちが閉じ込められたため、エティエンヌを利用して聖地への巡礼という理由を作って怪しまれないように自身が所属していた僧院に一泊して、その時に助修士を倒して(酒に毒を混ぜて毒殺した)、彼の旅は終わりというつもりだったようだ。しかし僧院長の密命を受けて聖地へ向かう少年少女たちの一行に付き従い続けることになる。
 第四次十字軍は集った人数が、当初予定していた人数の3分の1であった。そのため予定していた人数が乗れる船を作っていたヴェネチアは払ってもらわないと負担に耐え切れず、十字軍も1人1人への渡航費が3倍となることには絶えられなかったため、対イスラム教徒ではなく、かつてヴェネチア領だったが現在はハンガリー王の支配下にあるザラという湾岸都市を陥落させて、その後はビザンツ帝国皇帝が弟に幽閉されていて、皇帝の娘を妻としていたドイツ王のところにその皇帝の息子が身を寄せていたということもあり、コンスタンティノーブルを攻略することになり、本来の目的を果たさずキリスト教国内での戦争となり失敗に終わった。
 そのため再び十字軍をと教皇は主張し、各地に説教師がそれを呼びかけていた、エティエンヌもそうした下地があって啓示を受けた感じやすい人間だろうと言うのがドミニクの予想。少年十字軍、第4次の約10年後の話。
 僧院長、エティエンヌへの寄付は贖罪になるとして金を集める。、このたびに同道するのは罪のない子供だけというが、ドミニクは大人が行くと租税収入が減るから子供に限定しているのだろうとその底意を見抜く。
 一行の人数が大きくなって旗頭としてエティエンヌが喧伝されて求心力高まると、本人には不安も募っていくようだが、そうされることでフルクの意見を否定し自分の意見を通すなど、一行の統率権を持つ者であることを示す。そうして求心力が高まることで、自身が本当に召命されたのか不安になってきていた少年はそんな心の内を隠し、少年十字軍の指導者と成っていく。一同の期待に応えるために。
 2章。この章の語り手のガブリエルは記憶喪失の中、僧院に拾われたが、僧院と領地貴族の争いで拉致されて、その領地貴族の息子であるレイモンの従僕となっているが、医術に長けていて、ラテン語を使えるなど高い教養を持つ人物。
 この章では貴族の子弟であるレイモンはまた未だ騎士になれぬ鬱憤、それなのに羊飼い風情(エティエンヌ)が世の賞賛を浴びているという不満、自分のほうがふさわしいと言う対抗心とそして自分がちやほやされたいという功名心によって、焼け串で己が胸に十字の焼け跡を付けさせて、大天使ガブリエルの声を聞いてエルサレムに赴くのだといって、聖地へ赴くため旅路に出る。
 そしてその途上の大きな町でエティエンヌ一行と出会って、どちらがより統率者としてふさわしいかを比べることとなる。そしてその勝負の結果はエティエンヌに勝ってはいなかったのだが、レイモンの父であるノワイエ伯が彼に便宜を図ってくれれば商人の保護をするという手紙を送られていたのでレイモンが少年十字軍の指導者となる。
 しかし世上で少年十字軍のシンボルとして語られる名前はエティエンヌ一色であり、馬上に乗って立派な風采を見せているレイモンがエティエンヌと間違えられるが、それを平然と受け入れて自分をエティエンヌであるかのように詐称していたため、名前を失うエティエンヌ、そして名前が彼の手から離れたことで、エティエンヌという名前の意味が大きくなっていく(少なくとも両者が剥離したからこそ、それを強く感じる)。少年十字軍という存在のシンボルと化す「エティエンヌ」という語。
 しかし十字軍テーマにした小説で、神はいない的な現代日本的な世界観なのはちょっと違和感。まあ、カドック・ガブリエルが感じた誤解でこの世界観でも普通に神はいるとも考えられないことはないけどさ、でもなあ。
 ガブリエル、実は記憶を失う前は第四次十字軍遠征にも参加した騎士で、不実を犯し父を殺した叔父と母を殺して、本来ならば不実を明らかにして自分が領主として立つべきだったのだが、動転してそのまま出奔しその後すぐ記憶を失う。
 フルクが受けた密命は金を集め、途中で襲撃にあい、金を奪われたと見せかけてその金を僧院のものにしようというものだったが、共謀相手クレマーンスがカドックと共謀して殺されて、さらにクレマーンスがカドックに殺されるという展開を見せた。
 そうして金を奪われたため渡航できなくなり、そして子供たちを代理として巡礼させて、自分たちの贖罪を願って寄進した親たちに金を返せといわれても返せないため、レイモンは自棄のように皆で神に祈りを捧げ海を割ろうとするが、当然そうしても何も起こらない。しかしある船がその志に感銘を受けたとして少年少女たちを船に乗せるも、実際は彼らを奴隷として売るために船に乗せたのであった。
 しかしルーらの力でカドックや船長を殺す。そして船中において記憶を取り戻したガブリエルは、もはや行き場のない子供たちを自分の領地に来ないかと誘って皆も喜び承諾する。この船の船員たちも自分たちもというとそれも了承して、ただ長らく領地を留守にしていたから野党どもがいるだろうから兵士として働いてもらうといい、土地を手に入れるためにはもちろん厭わないという。そして彼らはガブリエルの領地へと、フランスへと戻る。
 そうして熱に浮かされ神聖なものへの献身のため聖地エルサレムへ赴こうとしていた彼らは、捨てられたようにもう故郷に居場所がない彼らは、現実で戦い自分の場所を手に入れるために希望を新たに新天地へ行く。
 厄介払のようにされてこの一行に加わった子供たちもいる、そんな居場所を失っていた彼ら彼女らにしがらみのない新天地(彼らにとってのフロンティア)をガブリエルに示される。突如として登場したガブリエルという福音のような存在によって、子供たちに新たな居場所が与えられて、大きな希望を持って子供たちはその土地へと赴くという大きな救いのあるハッピーエンドで終わったことはとても嬉しい。その直前まで悲惨な終わりになることも想像していたのでなおさら。
 しかしルーのアンヌへの恋心は、本編では特に何かしら物語を左右する要素にはならなかったけど、本編後の新天地へ赴くこの一行が、というか二人がくっつくであろうことを想像させるよすがとなっているな。