不当逮捕

不当逮捕 本田靖春全作品集

不当逮捕 本田靖春全作品集

不当逮捕 (講談社文庫)

不当逮捕 (講談社文庫)

内容紹介

読売新聞の検察担当記者が逮捕された。スクープを連発していた立松和博が汚職事件を追っているなかで、記事が誤報だとされ捕まったのだ。しかし、これにはウラがあった。検察内部で熾烈な権力闘争が繰り広げられており、検察は情報源をあぶり出そうと、立松に罠を仕掛けたのである。逮捕された立松は情報源を決して明かすことはなかった。しかし読売新聞社は検察に妥協してしまう。新聞記者とはどうあるべきかを問う著者の代表作。 【解説:後藤正治


 kindleで読了。
 著者の先輩である立松和博が逮捕された事件を通して、その先輩についてと彼が活躍した戦後直ぐの新聞界の様子、そして検察内部の派閥抗争について描かれたノンフィクション。
 公娼制度廃止をめぐる論議のなかで、赤線業者の組合が贈賄をして廃止を食い止めようとしていた。そのことから造船疑獄事件以降、政界の暗部に切り込む調査に及び腰だった検察が、本格的な捜査体制を発足させた。
 そのようにその事件が世間の大きな関心ごとになっていた。長く入院していたエース記者立松はその事件にまわされた。
 立松は読売新聞社会面の記者として多くのスクープをものにしてきた記者で、独自のコネクションを持つ男である。彼は良家の出で、給料やそれ以上のものを取材のためにつぎ込む半ば趣味や道楽として記者をやっている男。また、性質の悪い悪戯を仕掛けるが嫌われない人間で、そして人心収攬術に長けていた。
 そして彼は祖父と父が司法官だったこともあって、検察に豊かな人脈があった。それに人に好かれるキャラクターと、ニュースソースの秘匿を徹底している姿勢から信頼を勝ち得ていたこともあって、多くのスクープを抜いた。
 立松はその事件に取り掛かって早々に、捜査の進展具合の情報を得て、その事件についていた後輩記者を驚かせる。そして国会議員が近く収賄容疑で召喚されるとの情報を手に入れて、そのことについて記事を書いた。そのことで立松は逮捕されることになる。
 この逮捕は検察の一派が、名誉毀損で彼を捉えてニュース・ソースを明かさせることで、立松とつながりの強い他方の派閥の人間を処罰しようという敵対派閥に対する検察内部の政治的闘争から起きた。
 当時の検察には二つの大きな派閥があり、一つは塩野季彦→岸本義広という戦前の思想弾圧を行った思想検事たちの一派でかつての主流派。もう一つは小原直→木内曽益→馬場という非主流派の連合。
 敗戦後38人の思想検事たちが公職追放されて、かろうじて追放を逃れた岸本の存在感も薄まる。そして中央に返り咲いた木内が勢力を伸ばすものちに失脚。そして岸本が復活して東京最高検事長になって、一方で馬場は人事を左右する法務次官の椅子にある。互いに検察最高ポストである検事総長の座を相手に渡すまいと角をつき合わせている。そういうのが不当逮捕が起きたときの状態。
 今のままだと検事総長につけない岸本による起死回生の策が立松逮捕だった。それでニュース・ソースを吐かせて馬場の派閥の中から、機密情報漏洩で捕まる者を出させて、それを足掛かりに馬場派の潰そうという魂胆。また岸本の与党への点数稼ぎと、検察内部の引き締めのための見せしめという意味も。
 会見で岸本が取材源を明かせばすぐに帰すと放言し、取材源の秘匿は記者にとって基本的なルールであるため内外の新聞各社が強く反発。そして新聞界が一致して立松・読売を支援する立場を取った。そして各紙、立松逮捕を不当と報道。岸本は自身の失言によって、他紙は同情しないだろうという甘い予想は裏切られ、予想外に新聞各紙が一致して立松逮捕を非難した。
 そうしたこともあって裁判所は検察の拘置請求を却下して、立松は解放される。そして岸本検事長らは世論から大いに非難を受ける結果となる。また、この逮捕一件について検察内部でも岸本の強引な捜査指揮に首をかしげるむきが少なくなかった。
 立松和博はこの事件で、自分が療養している間に全体の状況が変わってしまったことを感じ、以後失意の中で過ごすことになる。彼は戦後直ぐの新聞界にその気質がマッチして
目覚しい活躍をした時代の寵児であり、戦後の一時期(波乱に満ち、無秩序だが自由闊達な時代)の新聞記者という職業は彼にとってまさに唯一無二の天職であったが、時代の変化で活躍の場を失った。そして彼は生活者の感覚が欠落していて、もとから心身のバランスが危ういところのある人物だったが、活躍の場・唯一の実世界とのつながりといえる場所をなくったことでそのバランスを崩し、若くして亡くなった。
 そもそもの発端となった贈賄事件は結局立松逮捕のあと有耶無耶になって終わってしまった。また、検察内部の抗争は岸本敗北で終わり結局検察トップにはなれずに終わり、選挙に出馬をして一度当選するも、その後選挙時の買収で起訴され、執行猶予中の静養中に死亡した。そして馬場が検事総長に就任した。