疵 花形敬とその時代

疵―花形敬とその時代 (ちくま文庫)

疵―花形敬とその時代 (ちくま文庫)

内容(「BOOK」データベースより)

戦後、渋谷の盛り場に、花形敬という男がいた。インテリヤクザ安藤組の大幹部で、あの力道山よりも喧嘩が強いといわれた男。うちに虎を飼い、心に抱えた屈託を暴力という形でしか表わせなかった男。一般人とアウトローを分ける境界線などなかった戦後の焼け跡で、己の腕一本を頼りにのしあがった男の光と影を、時代の空気とともに切り取ったノンフィクション。

 ノンフィクション。kindleで読了。
 冒頭、花形敬の死を伝える新聞記事からはじまる。彼は暴力団「安藤組」の幹部で、昭和38年に街中で殺害された。
 花形は極道の中では、死後20年経っても『喧嘩の強さに賭けて花形の右に出るものは、過去にいなかったしこれから先もたぶん現れない、といったふうに、感慨を込めて語られている。』(N65あたり)ある意味伝説化された存在。
 戦後すぐの混乱期は、普通の市民とアウトローの明確な境界線がなかった時代でもあった。
 著者が彼を取り上げたのは特段交流があったわけではないが、千歳中学の二つ上の先輩であった。それもあって『彼を暴力の世界に、私を遵法の枠組内に吹き分けたのは、いわば風のいたずらであった。』(N75)そうした思いがあってのことだそうだ。当時、どちらにふれるかは些細な偶然で、同じような境遇でもどちらに行ってもおかしくなかった。彼の生涯を見ることで、そのような当時の空気、時代性を書く。
 花形は世田谷の旧家で生まれた。子供時代から親分気質だが、身内にした人間には暴力を振るわない。千歳に入ってボス性を強めて、彼をリーダーとした硬派グループができる。
 戦時中動員先の工場で、不良工員に同学の仲間が殴られたりするのをみて、彼らに対する理不尽な制裁に守るために、不良工員と対峙して、渡り合っているうちに腕と度胸を磨く。元から腕っぷしつよいほうだったが、そこで生来の素質が磨かれて行った。
 花形の顔には多数の疵があったが、多くの喧嘩のさなかでついたものもあったが、自分でつけた疵もあった。その正確な理由は不明だが『しかし、彼が自らの顔に刻んだ疵は激しい鬱屈の表れであったとはいえるであろう。』(N708)
 花形は暴力の世界に身を置いても刃物や銃は一切使わずに、素手による喧嘩(スデゴロ)をかたくなに守った。凶暴な人間だが、それは守った。そして暴力の世界に入る前、学生だったころから、その力で名を知られた存在であった。
 花形の関係者から聞く、戦後の体験談や、著者自身の家族の戦後の話なども書かれている。そうして戦後すぐの闇市や市井の人々、アウトローの人の体験(証言)を読めるのは面白い。
 安藤組のトップの安藤、後に俳優に転身したという事実には驚く。
 花形の学校の同輩で、ナンバー2的立ち位置だった石井。嫉妬と恐れから、後に花形暗殺を指示して、拳銃で狙撃させた。
 花形は『ともかく『敬さん』と、さん付けで呼ばない相手には、端から勝負賭けていました。』(N2275あたり)彼は立場が上だろうが何だろうが、かまわず勝負をしかけた。当時ちょっとした親分クラスはたいがい花形から喧嘩を売られている。しかしまともに勝負した人間は一人もいない。それほどその腕っぷしの強さと性質を知られていた。
 後に花形が入ることになる安藤組、愚連隊から頭角を現した。自動小銃を抱えてテキヤ一家に殴りこみをかけた。それで逮捕されても、将来のある学生だからと起訴猶予で釈放されたというのがものすごく時代を感じる。他でも刑罰の少なさが、現代の眼から見ると驚く。
 安藤は商売熱心で、米軍の日系二世とのつながりもあって、彼らの特権を使って商品を仕入れたり商売して、その勢力や商売を拡大していった。
 花形、独立独歩で渋谷を堂々と渋谷を闊歩する独得な存在だった。しかし石井ら、普段つるんでいた連中がみな石井の手引きで安藤の舎弟になった。その寂しさもあって、自分も安藤の舎弟となった。
 ただし『安藤組はヤクザ世界の秩序を否定する、アウトローの中のアウトローであった。中でも、花形のアウトサイダーぶりは際立っていた。彼には安藤組の構成メンバーという意識さえ希薄で、「花形敬」という一枚看板で世の中を押し渡っていたからである。』(N2775あたり)というように行状はあまり変わらないようで、組織に縛られていない存在であり続けたようだが。
 馬鹿強さと、その独特なあり方で、暴力の世界でのスター的存在であった。
 石井による銃での花形暗殺未遂。銃を食らったその日のうちに、病院から抜け出して石井を探して歩き回り酒を飲んで女を抱く。著者も書いているようにパフォーマンス的な側面もあるだろうが、すさまじい肉体的・精神的なタフさ。これのおかげで彼の声望もいっそう高まった。
 そして花形を恐れて石井は自首して、服役する。出所した時に花形に呼び出されるがそこで謝罪して、花形も赦して、その後打ち解けた仲になった。
 その後安藤組が落ち目になって、彼が組長代理となったことで下げたことのない頭を下げるようになり、酒を飲んで暴れることもなくなった。その責任感が寿命を縮めた。そして抗争の中で、刺客によって彼は殺されることになる。享年33。