香水 ある人殺しの物語

香水―ある人殺しの物語 (文春文庫)

香水―ある人殺しの物語 (文春文庫)

 ネタバレあり。
 人がどの程度匂いに影響されるというのはあまり意識したことがなかった。この小説では匂いによる感情の誘導など魔術的で魅力的に匂いが描かれていて、とても面白かった。当時の、現代とは異なる習俗や生活風景の描写も面白い。それにとても読みやすい。

 18世紀フランスのパリ。産まれて直ぐに孤児となったグルヌイユは養育業をしているマダム・ガイヤールのもとに預けられる。
 幼いグルヌイユは、毎朝食卓に出されるミルクも、どの雌牛の乳をしぼったか、その雌牛の餌などの違いで毎日違う味と感じられた。豊穣な匂いの世界で生きるグルヌイユ。彼は匂いに関しては細やかな受容器を持ち、微細なにおいもしっかりと嗅ぎ取る。
 6歳のときには周囲の世界のさまざまなにおいを記憶し、さらに音楽家が曲を作るように、それらの匂いを空想上で組み合わせて現実には存在しない匂いを生み出すことができた。
 彼は匂いで周りのものがわかるため、暗闇を怖がらない。そして匂いで壁ごしやドア越しでも向こうが見える。マダム・ガイヤールが小金を隠している場所も匂いでわかった。
 8歳で修道院からの養育費が途絶えたため皮なめし職人のグリマル親方に渡される。
 そして皮なめしの仕事をするようになり、12歳の時に日曜午後の仕事が免除される。そうして得たわずかな自由時間にパリを歩きまわってさまざまな匂いを味わう。そこでグルヌイユは香水の存在を知るも、芳香でうっとりさせる効用やエキスの質は認めるも『全体としては粗野で無趣味』(P54)で自分ならもっと別の匂いを作ると思う。さまざまな匂いを味わい、想像の中でそれらを組み合わせて楽しんだ。
 1753年、祭りの日に不意に素晴らしい匂いを嗅ぐ。その匂いをたどると一人の少女がいた。自分が想像で作り上げた匂いが色あせるほどの素晴らしい匂いが人間からすることに困惑し、その匂いを自分のものにしたいという強い欲求に突き動かされるままに絞殺後に全身の匂いを味わう。その夜、彼はその嗅覚の記憶力で偉大な匂いをしっかりと記憶したことで生まれて初めての幸せを満喫していた。

 パリの香水屋の主人で香水調合師のバルディーニ。公爵からの依頼でなめし皮に新奇の匂いをつけろと言われて、困っているバルディーニ。店の古株従業員シェニエは、老いた主人は以前は偉大な香水調合師だったが、現在はその能力はないことがわかっているから気の毒がっている。主人は一通り調合を努力した上で、評判の良い別の店の香水<アモールとプシケ>を秘かに仕入れて、それをつけることになるだろうと予想している。
 当のバルディーニも新しい香水をつくる霊感がおりてこないことは重々承知、若いころの店のヒット作とて父譲りの調合と、旅廻りの香辛料商人からレシピを買って作ったもの。彼は新しく匂いを生み出せる調合師ではなく、あくまで手際よくレシピ通りに作れる調合師。独創的な匂いを作り出す錬金術師といった世間の職業イメージに応じて、そのようなふりをしているが実際は違う。
 季節ごとに新しい匂いを売り出すといった流行の早さにもついていけず、店の経営状態も悪いため気が弱っている。流行の香水<アモールとプシケ>が何でできているかを探ろうとするが、それも叶わず、敗北感にさいなまれる。そしてもう踏ん切りをつけて店をたたんで、故国イタリアのメッシナで隠居しようと決めた。そうした折にグリマル親方から言いつかって山羊の皮を持ってきたグルヌイユが彼の前に現れる。
 グルヌイユはバルティー二に<アモールとプシケ>に使われている素材を言い当てることで自分の嗅覚の能力を示して、そして自身の想像上の工房でやっていたように匂いの調合をする。正式なやり方を知らないから雑な調合方ではあるが、<アモールとプシケ>を見事に再現して、他に更によい匂いの香水も作り出す。グルヌイユの一世一代の自分の売り込みが成功する。バルディーニはグリマル親方から結構な迷惑料を払うことでグルヌイユを譲り受けて、グルヌイユは香水調合師見習いとなる。
 グルヌイユがきてから、新たな素晴らしい香水を続々と売り出して店は大繁盛する。グルヌイユが、作りだした新しく素晴らしい香水がいかに魅力的か、その能力がわかっていいね。そしてうだつの上がらなかったその香水屋を大評判の繁盛店にするという展開や、香水屋の主人も能力を認めて、それまでの保護者たちに比べるとずっと気を使ってやさしく接してくれていたり、見事な手技でいくつもの香水を新たに作って、それが評判になっていることが描かれるのがいいね。

 新奇の香水の処方を記録し、書き出す。グルヌイユが香水職人世界の約束事を覚えるごとに、バルディーニの異能を持つ彼への警戒心は減じていった。
 この香水店ではできない匂いの抽出法があると知り、そこに行きたいと思うが、それには正式の正式の徒弟奉公徒弟期間修了の一筆が必要で3年経ったら渡すといわれる。そしてその3年間でバルディーニはさまざまな夢を実現した。そしてバルディーニの下で作った香水は今後作らず・製法も他者に渡さないなどの条件で奉公修了する。グルヌイユには何てことのない条件だったので即座に了承する。
 18歳となって初めてパリの外に出たグルヌイユは、人の匂いがほとんどしないことに安心感を覚える。そしてどんどん人気のない場所ない場所へと向かって、人のいない2000メートルの山の頂上付近の洞窟に落ち着く。そこで蛇やトカゲを食べて、わずかな水をすすり、そしてさまざまな匂いを想像して味わい楽しみながら7年間の時を過ごした。そして不意に自分の匂いが嗅げないことに気づき、怖れあわてる。そして山から下りることにする。
 七年間髪も髭も爪も切っていない異様な姿で評判となる。エスピナス侯爵、大地や地中の物は活気を失わせるという理論を持論として持っている人物。グルヌイユのことを聞いて、その理論を証明するための、ちょうどよい人物だと思う。そして1週間、理論に即した療法や食事をさせて、身ぎれいにさせて、立派な服も着せたてグルヌイユの見た目が大きく変わったことで、自分の理論が立証されたと思い大いに満足する。
 そぁそグルヌイユが狂言でめまいを起こした風を装って倒れる。そしてスミレの香水はスミレの根を材料としていて、土の要素を大きく含んでいるせいだと述べる。
 侯爵はその説明に、自分の理論が証明されたと喜び、また今まで感じていた自分の体調不良はスミレの香水のせいだったのかと得心する。このスミレの香水についてのシーン、なんか好きだ。
 そして彼は侯爵の伝手で香水工房を使わせてもらう、そこで人間の体臭らしい香水を作る。その香水を纏って街を歩くと自然と道を譲られたり、戸口から飛び出してきてぶつかりそうになって驚かれたりすることもなかった。周囲の人がグルヌイユに匂いがないことで違和感を覚えることがない、自然に人々と溶け込むという体験をして満足感を得る。
 また自分が人間の体臭だけでなく、人間を超えた、それを嗅ぐと人々を引きつけて愛さずにはいられない匂いをつくりだすこともできると考える。
 グルヌイユは人々に親愛の情を呼び起こす香水をつけて、侯爵の理論の体現者として人々と交流したことで、大いに自信をつけた。
 モンペリエの町を秘かに出る。そして新しい匂いの抽出方法を覚えるために、グラースの香水調合師の元で徒弟修業する。そこで自身の体臭用のさまざまな香水を作る。粗野な印象を与える匂い、人がいることがわかるがそれでいて人の注意をひかない匂い、見た目はどうでも自分に同情・憐憫を持ってくれるという匂い、独りでいたいとき用の人を避けさせる嫌な匂い、さまざまな匂いを場面ごとに使い分けることで望んだ効果を得る。そうして人が無意識のうちに匂いに影響されるのを利用して、そうした使い分けをしているというのが面白い。
 そして彼は動物や人間から匂いを得る術を身に付けた。美しく匂いを放つ娘たちが次々に殺された。グルヌイユは彼女たちから究極の香水をつくる。25人の犠牲者を生んでとうとうグルヌイユは捕まえられたが、究極の香水を完成させていた。
 グルヌイユは公開処刑と決まった。その当日はお祭り状態になって、街のだれもが彼の処刑を待っていた。しかし究極の香水をつけて処刑場に現れた彼の匂いを嗅いだ民衆は、証拠がでて彼自身犯行を否定しなかったにも関わらず、誰もが彼が犯人ではありえない、こんな無垢で愛すべき人間が犯人であるものかという感情を共有する。そして誰もが欲望を抑えきれなくなり、処刑場は乱痴気騒ぎの舞台となる。この究極の香水、おぞましいものではあるが、怖いもの見たさ(嗅ぎたさ)で一体どんなものなのかと好奇心がわく。

 グルヌイユは自分のつくった匂いで想像通りの、誰もが殺人者である自分を崇め、慕うという結果になったことでほくそ笑むと同時に、自分こそが神だというような感慨に浸る。しかしそんな人間を憎んでも反応はなく、彼の匂いによってひたすら彼を崇めるだけなことに空しくなる。香水の材料となった娘の父親であるアントワーヌ・リシが彼のもとに向かってきたことで、自分の欺瞞を見抜いて殺しに来たぞと喜ぶ。しかし実際には彼も匂いにほだされて彼が犯人ではない、グルヌイユを自分の息子のように感じ愛情を抱いた一人だった。
 彼が去った後に証言者はすべて証言を翻し、判決は破棄された。そのことでグルヌイユはひっそりと街を出た。そして町ではその不可解な事件を務めて忘れようとした。
 パリに戻ったグルヌイユはその匂いでどんなこともできるが、もう生きたいと望んでいなかった。彼が香水を自分に振りかけると、魅了された大勢の人間の手にかかり、彼はなくなることになる。