増補版 江戸藩邸物語

 kindleで読了。
 『十七世紀後半以降における武士社会の新しい作法の形成』(N3304)をテーマとした本。作法が変化しつつある時代の出来事が書かれ、作法について説明される。

 ○士の道と人によっての判断の違い
 『藩という組織のなかで、組織を運営する合理的な規準とは異質の倫理、規範意識が激しく自己主張している。”強み・弱み”とか”ひけ””不覚””男”など本来客観的に判定しにくい武士社会の論理が、ややもすれば組織としての藩の裁定を揺さぶる。版の方、組織の中で、武士としての倫理・規範とバランスを取りながら身を処していくことは、当時なかなか難しかったといえよう。』(N132)
 一方で享保7(1722)年の事件。会津藩士赤羽源之丞の妻が召使いと不倫していた。それで赤羽は妻を殺害し、妻の実家が死骸を取りに来た時に義弟たちの前で不義の次第を読み上げた。
 その事件に対して会津藩の目付は『不倫の妻を軽率に殺害したうえに義弟たちに恥辱を与えた源之丞も、姉の死骸を目の前に突きつけられてすごすごと帰った弟たちも、ともに武士の道に反するというのである。』(N160)しかし家老たちの評議では、赤羽が証拠を見つけて不倫した妻を殺害したのは上を軽んじてはおらず、もし不倫を上申していたら柔弱の咎があった。また妻の弟たちの前で不倫の顛末を話したのは事実を聞かせただけであり、恥辱を与えようとしたわけではない。そして弟たちは姉が召使いと不倫をしていたのは明らかなので、それで赤羽を討つ方が道理をわきまえない行為だったと判断した。「柔弱」と判断されるのは武士にとって致命的な問題である。『そんな重要な問題なのに、藩当局の内部でこんなにも鮮やかに見解が対立してしまう。いかに武士(男)は”士の道”(原理)を守らなければいけないと言っても、これでは困ってしまうのである。』(N185)
 そのため上からの規制ばかりでなく『武士社会の内部からも、平和な世の中でどのように身を処すべきかを自問し、過激な武士道に自己規制を加える風潮が生まれてくる。』(N266)

 ○藩邸のサンクチュアリ性と駆け込み慣行。
 駆け込み人を囲わない(保護しない)のは武士の恥という価値観。『駆け込み人を囲う(保護する)ことは、それまでに重要な武士の慣習(ならわし)であり、屋敷内空間の不可侵性を維持することは、かくも「家名」にかかわる本質的な問題だったのである。』(N1259)
 『”駆け込み”慣行は、武士の作法としては疑いなく重要なものでありながら、しかしこれを”囲う”ことに消極的な新しい風潮が、十七世紀から十八世紀にかけて、誰の目にも明らかなものとなっていたのである。』(N1381)
 『駆け込み人の受け入れ作法において、駆け込み人を囲う(屋敷内に入れて保護する)という「侍之作法」は、基本的には保たれながら、しだいに(駆け込み人の引き渡しを求める)先方の事情を配慮するようになるのも、諸大名と旗本の屋敷が江戸という限られた空間の中で、家格・役職・縁戚・地縁等さまざまな要素の複合によって相互の関係が重層化していたためと思われる。』(N3253)

 清水克行氏の「喧嘩両成敗の誕生」では、室町時代のその話が書かれており、その時代は武家だけでなく公家も屋形に駆け込まれて憑(頼)まれると匿った。『中世社会において「憑む(頼む)」という言葉は、(中略)「主人と仰ぐ」「相手の支配下に属する」というような強い意味をともなっていたのである。つまり、屋形に駆け込んだ者たちは、自己の人格すべてをその家の主人に捧げ、「相手の支配下に属する」ことを宣言したのであり、これにより主人の側はたとえ相手が初対面のものであったとしても、彼の主人として彼を「扶持」(保護)する義務が生じた、と、当時の人は考えていたようである。/ なお、これらの話とは逆に、中世社会においては、なにも知らずに他人の家に宿泊してしまった女性が、その日をさかいに家の主人から下人とみなされてしまい、あやうく身柄を拘束されそうになるというトラブルが実際に起きている。(中略)このように、当時のイエは、公家・武家を問わず、室町幕府という公権力すらも容易に介入することができない排他的な小宇宙だった。』(清水克行「喧嘩両成敗の誕生」P59)

 ○僧の法衣による助命
 守山藩の『御日記』に記された本伝寺の助命は『当時の江戸において、罪人に袈裟を投げかけて命を救う象徴的行為、法衣のサンクチュアリ(避難場所)が、なお十分その効力を発揮し得たことを示唆している。』(N2344)
 『出家が罪人に袈裟をかけ命を救うのは「法」(いうまでもなく領主側が定めた法ではない)にほかならず、しかも極悪人には袈裟をかけないという「作法」まで成立している。この行為は、それほど広く認知されているというのである。/ 袈裟がけ行為(法)には、またある種の競技性、ゲーム性が伴っていたようだ。(中略)出家側はわずかな隙をみて袈裟をかける。いくら隙があるからといって首を切られようとするとき以外にかけては「作法」に反する。』(N2439)