原始仏教 その思想と生活

原始仏教 その思想と生活 (NHKブックス)

原始仏教 その思想と生活 (NHKブックス)

釈尊にかえれ」の願いが高まる今日、古代インドに発生した原始教団の熱気、素朴で現実的な思想と生活倫理を解明。歴史的、社会的視点から一貫して流れる仏教の真髄を追究し、偏見のない正しい道を示す。
(NHK出版サイト内 書籍NHKブックス>−哲学・心理・思想・宗教>原始仏教 より)

ブッダの人と思想』を読んだときに気になっていた、忘れないうちに読まなきゃと思っていたので案外早く読むことができてよかった。(自分としては)長くなったので(あと引用が多く読みづらいと思うので)、感想を2つに分けます。

『三 原始仏教の基本的立場』までの感想、引用が主。


『当時は思想の自由および発表の自由が極度に容認されていた。「およそ人類の歴史を通じてこの時代のインドほどに思想の自由が完全に容認されていたところは、最近代のヨーロッパを除いてはほかに存在しなかった。」とマックス・ウェーバーは主張している。当時の諸国王や諸都市はしばしば哲人たちの討論会を開いて彼らに自自由討論させたが、いかなる意見を述べても処罰されることはなかった』(P15)ブッダが生きた時代というのがそんなにも思想について極度に寛容な時代だったとは知らなかった。
『二 異端の思想家たち』で紹介されている当時の思想家の一人で道徳否定論を説いたプラーナの『たとえ剃刀のような刃のある武器を持ってこの地上の生きものすべてを一つの肉団・一つの肉塊となそうとも、これによって悪の生ずることもなく、また悪の報いのくることもない。』(P16)という言葉は過激だなあ、『善悪の区別は人間がかりに定めたものであり、真実においては実在しないものであり、業に対する応報もあり得ない』(P17)という考えには同意できるけど。
『世界を支配する主催神がすべてを支配するという見解も道徳を破壊するものであるとして排斥された。これは注目すべきことである。西洋の思想では神は道徳の成立する根拠であった。ところがここでは万能の神は自由意志にもとづく道徳を破壊するものと考えられているのである。』(P21)文化によって主催神という考えが、道徳の根拠になったり、道徳を破壊するものであったりとまるで違うように捉えられているのは面白い。
ジャイナ教徒が不殺生の戒律のために、小売業と金融業にしか就けなかったので、『ジャイナ教徒はこの方面で精励するので、彼らの間には金持ちが多い。全盛期までインドの民族資本の過半は、人口のわずか〇.五パーセントに過ぎないジャイナ教徒の手中にあった。』(P31)宗教で他の職種につくのが禁止された結果、金持ちになる人が多かったというのは面白い。
『ところで釈尊は普通インド人だと思われているが、実はネパール人であり、活動したのが主としてインドにおいてであった』(P33)ブッダ、今までずっとインド人だと思っていたからビックリ。
『真理を見る立場に立つと、既成の諸宗教のどれにもこだわらなくなる。どの宗派に属していてもよい。しょせんは真理を見ればよいのである。仏教以外の一般の修行者やバラモンたちであっても、このような道理を理解するならば、仏教を実践していることになるというのである。』(P60)仏教徒でなくても、真理を見る立場に立てば、仏教を実践しているという考えはすばらしい。そうだとしたら、神道を信仰していて、それと同時に仏教も信仰しているという状態は別段おかしくはないのかな?