ハプスブルク家

ハプスブルク家 (講談社現代新書)

ハプスブルク家 (講談社現代新書)

内容説明
ヨ-ロッパの「宗家」ハプスブルク家の盛衰王家の中の王家,超国家的な支配原理で陽の沈まない帝国を築いたハプスブルク家.カ-ル五世,マリア・テレジア等の闘争と政略の7百年を通しヨ-ロッパを考える
内容(「BOOK」データベースより)
キリスト教が心なら、ハプスブルク家は背骨である。ヨーロッパという肉体の中心、結婚政策により勢力を保ち続けた名門王朝の歴史を探る。

有名な一族だがよく知らず、類書もたくさんあるけど読んだことがなかったので、読んでみた。あとがきで『この名門一族の通史を述べた書物で始めて出版されたのは、拙訳のA・ヴァントルツカ(ウィーン大学生教授)の『ハプスブルク家――ヨーロッパの一王朝の歴史』(東京 谷沢書房)だったと思う。筆者にとってまったく意外だったことに、一九八一年にこの史書を刊行したあとに、同様のハプスブルク史を扱った著訳書が、踵を接するようにして、四、五冊あらわれた。』(P245)と書いてあったので、これが出たときには類書も少なかったのか。色々地名が出るから図版がもうちょっと欲しいな、いや地図用意しろって話なんだろうけど
ハプスブルクの起源として確実に歴史上に名を残している祖先が現れるのは一一世紀ころからのようで、彼らが定住していたのはウィーン方面ではなく、ライン川の上流域、今日の地勢図でいえば、スイス東北部のアアルガウ州から、ドイツ、フランスの国教のアルザス地方にかけての一帯だった。』(P18)確かにその辺の地方とはあまりイメージとして結びつかないから意外だな。
『大公の爵位はふつうハプスブルクにしか用いられない』(P35)そうなのか、専用の爵位があるなんてすごいな。
『しかし皇帝は、ルターがまるで憑かれた人のようにそこに立ちつくして翻意を諾おうとしなくても、その身柄を拘束したり、ましてや処刑したりはさせなかった。ひとたび自由通行証を与えて召喚したからには、尋問後に断罪するのは王者にふさわしいことではない、というのである。こうした雅量はカール五世ばかりではなく、ハプスブルクの君主の間ではよく見かけられる。』(P88-89)カール五世の雅量があったから、ルターは時代的にはすぐに死んでも不思議ではないのになかなか死ななかったのか。
「第四章 マリア・テレジア女帝――恵み豊かな治世」で興味をもち、そのうちこの人についての本を読みたいと思っていたので、『日本では不当なばかりに、カール五世とマリア・テレジアについての評伝や研究書が少ないからである。』(P246)とあるのにはちょっとがっかり。でも20年前のことだからいまはどうなんだろうか、一応探してみるか。
「終章 民族主義の嵐の中で――ハプスブルク帝国の落日」フランツ・ヨーゼフ帝。佐藤亜紀さんの「天使」「雲雀」はこの時代か。読んだときは、時代背景わからなかったからなんとなくで読んでいたが、それでも面白かったのだけど、この時代の本をもうちょっと読んだら再読してみようという気になった。