戦争の日本近現代史

戦争の日本近現代史 (講談社現代新書)

戦争の日本近現代史 (講談社現代新書)

出版社/著者からの内容紹介
日本はなぜ太平洋戦争に突入したのか?
明治維新以降の「戦争の論理」を解明した画期的近代日本論。

戦争を受けとめる論理――本書が最終的に描こうとしているのは、偽政者や国民が、「だから戦争にうったえなければならない」「だから戦争をしていいのだ」という感覚をもつようになり、政策文書や手紙や日記などに書きとめるようになるのは、いかなる論理の道筋を手にしたときなのかという、その歴史的経緯についてです。……
国民の認識のレベルにある変化が生じていき、戦争を主体的に受けとめるようになっていく瞬間というものが、個々の戦争の過程には、たしかにあったようにみえます。それはどのような歴史的過程と論理から起こったのか、その問いによって日本の近代を振り返ってみたいのです。
人々の認識に劇的な変化が生まれる瞬間、そして変化を生み出すもととなった深部の力をきちんと描くことは、新しい戦争の萌芽に対する敏感な目や耳を養うことにつながると考えています。――(本書より)

加藤陽子さんの本『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』が評判高いので、とりあえず安価な新書のこれを読了。近代以降の歴史の本はいままでほとんど読んでいなかったので、これからもっと読んでいかないとなあ。
リットン調査団が有能であればあるほど、先に述べたような、条約解釈上のグレーゾーンが浮かびあがってこざるをえません。実際、リットン報告書は日本の首長と中国の主張の双方を認めた内容だったのです。ところが、日本国民のなかに定着した中国に対する不信感と国際法への過剰な期待ゆえに、リットン報告書は日本への全面的な糾弾だと見なされることになりました。』(P271-272)日本への非難だと今までなんとなく思っていたので、日中、双方の意見を認めたもので、『注目すべきは、報告書や附属書が、日本側の主張していた経済的権益の侵害について、ほぼ認める記述をしていたことです。』(P273)「経済的権益の侵害」を認めていたということには驚いた。
『宣戦布告なしの戦争は、戦後の感覚からすれば、卑怯、不道義しか意味しません。しかし、宣戦布告のない戦争の形態は、不戦条約によって戦争が違法化された時代、また、中立法によって宣戦布告の意味が従来とは異なってくる事態となった時代にあって、ある意味、必然的に生じてくるはずの戦争形態であったのです。こうして、不戦条約と中立法によって規定され、日本、中国、アメリカのいずれの国もがそれを戦争と呼ばないことに利益を見出す、実に奇妙な戦争が、太平洋戦争勃発まで四年以上も戦われることになりました。』(P283)宣戦布告を行わないことが当事者国すべてに利益がある状態って面白いなあ。