平家物語の女性たち

新装版 平家物語の女性たち (文春文庫)

新装版 平家物語の女性たち (文春文庫)

内容(「BOOK」データベースより)
平清盛ら源平の武者たちの華麗な戦さを謳いあげた「平家物語」の舞台裏で、ひっそりと息づいていた女性たちがいた。清盛の気まぐれに翻弄される白拍子天皇に愛されたばかりに宮廷を追われた小督局、戦場に青春を燃やした巴御前、幼帝を抱いて入水した二位尼と悲劇の中宮徳子。十余人の肖像を描く、読み継がれるベストセラー。

信西の死後、子供たちは各地に流されたりしたが、やがて赦されて都にもどった』(P42)平治の乱後、このあたり詳しくないんだが叛乱起こしたわけでも無しに子孫が流されたのは何故だろ?
公卿、三位以上と四位でも参議は公卿、ということは知っていたが。公卿が全部昇殿を赦されているわけではなく、地下の公卿もいた、ということは知らなかった。『一方は官職と食らいを基準にした言い方だし、一方は昇殿を基準にした分け方だからだ。』(P94)
清盛、法皇落胤説に疑問視している。藤原氏の良い家柄や頼朝を玲にとって決して早くないといっているが、『同じ武門の出の源頼朝も、実は十四歳で従四位下左兵衛佐をもらっている。』(P110)頼朝がそれ貰ったのって平治の乱の最中だったから比較できないような気が。
平家物語の『慈円バック・アップ説にはいささか疑問があるのだが』(P118)そのことについて、読みたいと思ったけどあっさり流すなあ。
後白河『その政治力もたいした事は無く、むしろ失政につぐ失政だったといってよい。ふつうこの後白河に対しては、平家や木曽義仲源義経を操った怪物のように思われているが、これはとんでもない買いかぶりである。』(P127)ですよね(笑)厄介そうな人ではあるけど。というか平家を操ったという印象は無いんだが。
大納言典侍(佐)、『彼女は重衡との間に子供はいない』(P187)「やる夫鎌倉」で重衡に実は子供がいたとかあったけど、それはまた別の人とのあいだだっけ?
史実の維盛、『八島から多数の船団を率いて紀伊を目指し』『紀伊に上陸、迎えられて紀伊の奥で命を長らえたといわれている』(P284)