名君の碑

名君の碑―保科正之の生涯 (文春文庫)

名君の碑―保科正之の生涯 (文春文庫)

内容(「BOOK」データベースより)
江戸時代初期、二代将軍秀忠のご落胤として生まれた幸松は、信州高遠の保科家を継ぐ。やがて異母兄である三代将軍家光に引き立てられ、幕閣に於いて重きをなすに至る。会津へ転封となった後も、名利を求めず、傲ることなく、「足るを知る」こそ君主の道とした清しい生涯を、時に熱く、時に冷静に描く著者渾身の書。

 保科正之のことを知るために読む。同著者の歴史の本を読むよりも、小説で読んだほうが入りとしてはわかりやすいかなと思って読んだが、700ページ弱も分量があるので、大分読むのに時間がかかったので、途中で歴史の本の方を読んだほうがよかったかな、と何度か思ってしまった(笑)。特に、正之が生まれる前の、お江の妬心によって、お静に危難がという展開は創作(だよね?)で、どうも個人的に好みじゃない上長いので、どうしても読む手が進まなかった。
 正之が生まれたのは、母方の祖父が死んだ後か。『風雲児たち』のイメージでその頃まで生きていたかと思っていたが。あと、お静が高遠まで付いていっていたのも違ったのでイメージに修正が必要なようだな。
 静の安産祈願の願文、『御台しっとの御こころふかく』(P110)云々とあるけど、そんなものが残っているのか、確かにそれで、将軍の子を妊娠しているのに城中にいられなくなったというのは、嫉妬深いと後々まで認識されてもしょうがないね、お江。
 安井算哲が登場するとは思わなかったので。まあ彼(十代の頃)の高遠の滞在期間で、最初は3目置いて、善戦が目立つ程度(いや、それでもすごいが)だが、滞在の終わりになると、ほとんど勝つようになるというエピソードでのみの登場だが。というか、この算哲は、渋川春海の父かな、年代的に?そういえば「天地明察」でも春海と繋がりあったが、正之が十代の頃にその父とそうした縁があったとは知らなかったよ。
 父や家光が認める前に、駿府の忠長が弟と認めていたというのは知らなかった(いや、小説を事実だと思って読むのはいけないとわかっていても、こういうエピソードまで創作しないだろうから(……たぶん))。
 沢庵宗彭、家光とも親しかったのか。今まで紫衣事件でしか知らなかったので、なんとなく、朝廷よりの人物かと思っていたよ。
 明暦の大火、振袖火事。3年連続同じ火に同じ振袖が棺に掛けられた(その掛けられたものは僧侶が売って、収入にしてよいというのが当時の慣習)というのは、確かにすごい偶然というか、変なものがついていそうで、新たに供養をしようと思ったのも納得だ。
 その大火のあと、江戸屋敷の機能分配して、同様の災害のあったとき混乱を最小限に防ぐため下屋敷が多くの大名や上級の旗本に与えられた。いくつも屋敷があるのはそのためかとようやく理由がわかったよ。
 正之、仕事熱心だが、家中に目をやらなかったため、後妻の暴挙や家内の不和に気がつくことができなかったというのは駄目だなあ。家庭を顧みなかったつけとして晩年に打撃を受けるというのは、現代の小説でもあるような話だなあ。
 江戸にいてずっと地元に戻れなかったのに改革が成功したのは、すごいな。部下もよかったんだろうな。もちろん正之の政策がよかったというのもあるけど。