翔ぶが如く 5

新装版 翔ぶが如く (5) (文春文庫)

新装版 翔ぶが如く (5) (文春文庫)

内容(「BOOK」データベースより)
征台の気運が高まる明治七年、大久保利通は政府内の反対を押し切り清国へ渡る。実権を握る李鴻章を故意に無視して北京へ入った大久保は、五十日に及ぶ滞在の末、ついに平和的解決の糸口をつかむ。一方西郷従道率いる三千人の征台部隊は清との戦闘開始を待ち望んでいた。大久保の処置は兵士達の失望と不満を生む。

 あいかわらず1冊ずつゆっくりとしたペースで読んでいっている。これでようやく半分読了だ。
 『参議・伊藤博文にいたっては徹底的な内地主義者で』(P42)伊藤博文、暗殺されたことで、彼の韓国併合について様々な説が唱えられているということぐらいで、名前は有名だけど、よく考えたらあまり知らない人物なので、そのうち伊藤博文についての本を読まなくちゃな、……って前にも書いたような記憶があるから、そのうち本当に読まなければ。
 こうした征台でろくに理がないのに外征しようとしているのを見ていると、西郷や鬱屈の溜まっている士族たちのご機嫌取りのために無益な戦争を起こすくらいなら、素直に使節として西郷を朝鮮へ行かせていればよかったんじゃないかという思いがつのる。まあ、結果論でしかないけど……、ひょっとして西郷が隠遁しようとして、それに薩摩から来た近衛などの士族たちが大挙して薩摩へ戻り、強大な軍事力を持った敵対する独立国みたいになったのは予想外だったのかなあ?まあ、その程度予見できた気もするがね、特にそうした癖を知っていてなお征韓論をめぐり敵対した大久保は。
 西郷、大久保を抑えられる存在だった、ということは、西郷がいれば、大久保一人の思惑がすべてを切り回しているかのような不健全な状況にならなかったであろう、そのことを思うと、それだけでも西郷は稀有で有為な存在だったのだなとその存在の大きさ、必要性を実感する。
 ボアソナード、勤勉で、日本は第二の祖国というような人だったようなので『七十歳で職を辞して母国に帰り、アンチーブで余生を送った。日本政府は彼が八十五歳で没するまで勲一等瑞宝章の年金二千円を送り続けてその功労にむくいた』(P86)ということには素直に良かったと思える。小泉八雲をあっさりと免職したというイメージや「翔ぶが如く」ででていたが医療がドイツ型に変わった影響で放り出されたイギリスの医者を薩摩が雇った(んだっけ?細かいこと〈国名とかw〉は違っているかもしれないが)という話からか、どうも当時の日本はお雇い外国人を必要でなくなったら日本に愛着を持ってくれている人でもあっさりと切るイメージがあったので、ボアソナードにはきちんと恩にむくいた、ということで安心した。それになんとなく民法典論争で、作った民法が結局施行されなかったりと、あまりむくわれていない人という印象もなんとなくだが持っていたのでなおさら(笑)。
 大久保、賠償金を引き出し(かかった費用から考えると少ないが)て、義挙である(正確には、日本は義挙といっているが、中国はそれを指差してそうでないとはいわないという程度の微妙な表現だが)とまで入れさせた手腕はすごいなw。まあ、それも列強が清国が潜在能力高く、将来的に脅威となりうるから同情的でなく、また、清国は列国公使に対して、誠意が乏しく尊大であったためその点でも彼らの感情を害していた、日本はそれに比べて小国なので判官びいきが働いた面も。
 こうして征台で賠償を得られたのは、教科書ではさらっと書かれているから当然の帰結と思いきや、列強が清に対してまるで同情していなかったのがこうした結果になった主原因で、日本の主張の正しいかどうかは関係なかったのね(苦笑)。
 八郎、俺に隙は無い、隙があったらなにしてもいいといっていたので、寝ているところを一木と言う人が思い切り平手打ちしたら、滅茶苦茶起こって、怖くなり一木が逃げたら10キロも追いかけてきたというエピソードは笑える。
 『「三権分立案」を木戸に対する餌として、どさくさに大久保に呑ませてしまったが、機略とはいえ伊藤の素志から出たものだともいえなくはない』(P338)伊藤、自分自身の思惑にもかなう形のものを、大久保が木戸を表舞台へ再び立たせる際に、両者から歓迎されつつ呑ませたというのは実に見事だ。
 この巻の終わりに海老原とか千絵が再登場したが、ずっと征台関連のことが描かれていたから、そうしたことに関わっていない彼らのことは、すっかり存在忘れていたよ(苦笑)しばらくでてこなかったことでbefore、afterでの海老原の成長ぶり(度量の広さと大人の風格)が良くわかるから、意図的にしばらく出していなかっただろうけど。