日本の1/2革命

日本の1/2革命 (集英社新書)

日本の1/2革命 (集英社新書)

内容(「BOOK」データベースより)
人気No.1ジャーナリストと、西洋歴史小説の第一人者が、日本の政治的混迷について、熱く語り合う。振り返ってみれば、あの「明治維新」も、第二次大戦直後の「8・15革命」も、多くの若者たちが街頭に繰り出した「1968」の熱狂も、日本の革命はすべて不発に終わった―。果たして日本の近現代史は、革命の本家本元のフランスと比べて、どこが根本的に違うのか?また、東日本大震災後の未曾有の危機に直面する私たちは、ついに残り1/2の後半戦に臨むことになるのか?本気で怒ることを忘れて久しい日本人の謎に迫る一冊。

 バスティーユ陥落、人権宣言を採択した1789年からが革命の前半戦、パリの民衆が再び蜂起して、国王一家の身柄を拘束、王制を廃止した1792年からが後半戦。そして、フランス革命の血みどろといった暗さを伴うイメージは後半戦のせいで、明治維新が明るいイメージなのは前半分で終わったから(そして、フランス革命明治維新が似ているのは、前半戦の92年までのこと)、とした指摘は目からうろこ。
 18世紀後半のフランスでは、財務大臣が事実上の首相というのは、小説フランス革命で書いてあったかも知れんが忘れていた、ネッケルがあがいてはいるがろくに改革できていなかったというイメージから、そんな情報がすっかり抜け落ちてしまったんだろうか(笑)。
 山岳派ってなんだろと文中に出てきてどういう派閥なんだろうと思っていたら、ジャコバン派の分派か。
 フランス革命がフルサイズの革命をやったことによって(それ以前の革命は1792以降のようなことはやっていない)、1792年以降の状態まで行かなければ革命でないというように、「革命」という言葉のイメージが変わったという見解は面白いな。
  小国は共和制と相性が良く、アメリカは人口などが独立当時小規模であったから、共和制がとられたという指摘には、ああ、成程と納得できるような。
 タレイラン、「ナポレオン帝政下で外相として活躍」とあり、そこら辺まで生きて、そこから活躍するのか。ということは、「小説フランス革命」の中ではあまり見せ場がなかったりする。いや、でもかなり登場しているんだからまだまだ見せ場あるよね?(自信ないが)
 フランスやアメリカは、強くて威厳のある、王様的なものを大統領に求めているという指摘は面白い。いかにも「王」と断絶して程遠いような2国なのに。
 『現実のフランスにはいろんな中間団体があって、そうそう簡単には国を動かせなかったんです』(P91)『絶対王政幕藩体制が似ている(中略)かえって幕府のほうが強かったくらいです。大名の改易なんか、問答無用でやっていますからね。フランスでは考えられない。州三部会に手をつけられないどころか、自分の官僚さえ自由にクビにできませんでしたからね。』(P93-4)絶対王政よりも幕府のほうが、国内での権力が強かったのならば、将軍が「皇帝」と呼ばれていた理由もわかるわなあ。ヴェルサイユが派手だったのは、社交界や流行を追うことの価値を高め、一所に危ない連中を置くことが目的であり、日本における参勤交代のようなことが目的であった、同じ目的でも強制的にできるかどうかというところからみても幕府よりも力が弱かったことが伺われるわあ。これらのことは、ちょっと日本人だから類似点が見えるのかなと思っていたが、『フランス人の研究者たちがいうのは、我が国のブルボン絶対王政に比較できるのは「ル・ショーグナ・ジャポネ・ドゥ・レポック・トクガワ」、徳川時代の日本の将軍制とでも訳しますか、とにかく日本の江戸時代なんだと。』(P97)フランスからもそういう指摘がなされるくらいには似ているのか。
 民主党マニフェストを中途半端にやったことで、公約通りにやることが求められるように、という話を読んで、それ以前のことは正直よく知らない(政治に興味が無かった、まあ、現在でも大概なのだが)のだが、その前は公約なんて守られなくて当たり前というような空気だったということもちょっと驚きだよ。そして、言葉しか頼れるものが無いから、そうした理想的なことをいったというのとあわせて、フランスの「人権宣言」がマニフェストだったという見解は面白いなあ。そして、言葉しか依るものがないから自分が発した言葉に縛られる。
 法律に宣誓する聖職者と、拒否する聖職者の二派に分かれて、もめていた結果、最終的にカトリックを禁止して、カレンダーを一週を十進法のサイクルで作ったり、月(何月とかのほうの月)の名前を変えたりし、人間の理性を「最高存在」として崇めたりと、そうした革命の経験から政教分離的な考えにつながった。それが、『フランスでは、クリスチャンの子が十字架を下げて公立学校に通うのもいけないんですよね。(中略)ちっちゃなペンダント程度ならいいんですけど、神父さんのロザリオみたいなのはだめだと。また、最近ブルカ禁止法という法律ができましたでしょう?あからさまにイスラム教徒であることがわかるような服を公共の場所で着てはいけないという。(中略)イスラムの女の人が頭にかぶるスカーフも公立学校にかぶっていくことはできません。きびしいこというなと思ってみていたんですが、そういうかこの伝統もあったんですね。』(P165-6)というように繋がった。以前はやたらと厳しいなと思っていたが、そういう伝統からきた考えでもあったのか。