責任 ラバウルの将軍今村均

責任 ラバウルの将軍今村均 (ちくま文庫)

責任 ラバウルの将軍今村均 (ちくま文庫)

内容(「BOOK」データベースより)
陸軍大将今村均ラバウルで敗戦を迎えた。やがて始まる軍事法廷で次々と裁かれる将兵たち。不充分な審議のまま戦犯として処刑されてゆく部下たちの姿を目のあたりにした今村は自らの意志で苛酷な状況の戦犯収容所に入り、やがて自身も戦犯として服役生活を送る。一人の軍人の姿を描くことで戦争と人間の真実を問うた名作。


 「散るぞ悲しき」を読んだあと、全体の話なら重苦しくてしんどくなるけど、個別の人物に焦点をあてた著作なら読めるかなと思って、これを読み始めたんだが、収容所での扱いや無実で殺されていくような裁判には怒りを覚えたし、1人の白人を殺害したことを隠蔽するために、いままで兵として鍛えてきた親しみを持っている現地の人々を幾人も殺したというエピソードは、とうてい理解不能なできごとだし、おぞましさを感じる。しかし、500ページ超という分量は流石に多すぎた。「散るぞ悲しき」くらいの分量ならいいけど、この位の長さになると途中で読むのがかなり面倒くさくなってきてしまうな。
 冒頭からいきなし収容所の場面から始まる。今村さん、粘って、自分を自らの部下と同じ収容所に行けるように運動して、最終的に相手が根負けして収容所入りが実現することとなる。部下たちの心の支えとなるため、そして虚構の罪によって処刑されたり、収容所で劣悪な扱いをされていた部下たちの力となるために収容所に入るという、この一事だけでもかなりの硬骨漢であることがわかるが、実際に入った後も部下たちのために尽くしている、意志の強さと継続力はすごい。未決容疑事件の内容を調査して、それに意見書をつけて豪軍に提出した結果容疑者多数が不起訴処分となり釈放された、というのは、そうしたことで釈放されたことからは、いかに根拠のないもので容疑者として多数の人間を罪に陥れていたということがよくわかる。
 今村大将と加藤中将が命令責任は自分にある、と自分こそがその責任を持つと互いに主張しあい口論になったというエピソードは他では見られない情景だ。しかし、加藤中将も18歳から軍に入ったという人だそうだから、幼年学校とかに行かなかった人は人情味があるというのはこういうエピソードからでも感じられるよ。
 間山、証拠がろくにない微罪で戦犯容疑者となり、ノックしてから入室する習慣のような風習の違いにより女主人の部屋を覗いたという汚名(そもそも女主人は日本人たちに傲慢であったので、ハウスボーイをさせられていた彼らは女主人をなるべく避けていて、白人女性は嫌悪や憎悪の対象となっても、そういう気を起こさせる存在でなかった)を着せられた上暴行を受けたので自決した。しかも、最も好ましい人物であったと評された所長もそうした事実を偽り、洗濯ボーイをやらされていたのに、一般の草刈作業をしていたと嘘をつき、英語を介さない間山が自白したと虚偽の陳述をした、というのは自殺した彼のことを思うとやりきれないし、最も好ましい人物でさえその程度なのだからいかに豪軍にろくな人間がいなかったかというのがうかがえる。それに、今村がいなくなったら待遇がわるくなったというのだから、今村の人格があるから好意的に対応してただけだから、特に仁愛の人というわけでも、一本筋の通った人というわけでもなさそうだしね。まあ、収容所の連中の態度が再び苛烈になったことを知り、再び今村が部下たちと服役するためにマヌス島へ赴いたら、収容所の状況が一変したというのだから部下にも豪軍にも影響を与えるような重厚な人格を持った素晴らしい「人物」であったのだろうというのがそのエピソードからもうかがえる。
 陸軍士官学校、厳しい日課で教育をほどこし、そんな中で唯一の楽しみが日曜日の外出で、この日は出身部隊別や県別に用意された日曜下宿に集まり、美味しいもの食べたり談笑したりしていた、ということだが、弟が幼年学校に入って両方に規定の分(2円50銭)だけの小遣いを与えることができないので工面できる3円を2人に折半して送るという母の手紙がきたら、今村均は弟に肩身の狭い思いをさせないため、あちらに満額をやり自分は日曜下宿をやめて、散発代やちり紙にかかる50銭だけでいい、と書き送ったというのはそのころからかなり目下のものを思いやり、自ら苦難を背負うという気質があったのか。そして、その話を聞いた中学の同級生が、今村の自体にもかかわらず、自らの乏しい収入から毎月1円50銭を送金してくれたというのはいい話だ、というか、その友人は本当素晴らしい人だな。
 今村も乃木大将の殉死を聞いて感動したというが、その出来事は「妻も」というところでマイナスイメージがあるので、どういった意味で感動するできごとだったのかというのは、今となってはいまいち実感しづらいよな。
 母の死ぬ前夜のエピソードで、「今夜は夜通し、あんたの膝の上に抱いておくれ」と言われたが、母が寝たら自分も寝るため母を寝床に移した、だがしばらくして母が今村を起こして「今夜はずっと抱いておくれと頼んだのに……」といいつのる、ということを4度繰り返して夜があけた、そして翌日母が死亡した。まさか、それが母と過ごす最後の夜になろうとは思ってもいなかっただろうから、今村がその4度も膝から下ろして寝床に横たえたという自らの行為をひどく悔やんだ、というエピソードは印象的。
 満州事変、その直前までこれから一年間列国や国民に日本国の立場への理解をさせるためについやす方針だったのが、一部が暴発してしまったというのは準備が整わないうちに先走ってしまった結果その後泥沼の戦いになってしまった、というのは関東軍の連中らへの統制の利かなさはもうなんなんでしょうね。
 朝鮮に駐屯する部隊の兵隊は、酒保で内地より質の悪いタバコしか変えなかったので、強い不満を持っていたが、総督府にそのことを文句言ってもらちがあかないので、直接新たに総督府煙草専売局長になった安井さんと交渉して、本土と同等の質の煙草を作って、兵たちが買えるようにしたというエピソードはそういう煙草という軍としては小さいことかもしれないが、生活上としては大きな不満を解消するために尽力したという話はいいね。当時は現在よりも、ずっと煙草が生活と密着していた嗜好品、というかほとんど必需品のようなものだったようだし。
 今村もまた首都南京を占領すればというような楽観を持っていたというのは、まあ、結局点でしか支配できずに占領地域が広がったらその分だけ泥沼につかるはめになったけど、神ではないから全てに的確な見通しを持てるわけではないししょうがないか。
 今村のジャワ統治は穏健であったというのは、他は強圧的なやり口が主だったということを考えると、いかに彼が真に日本の利益を考えて行動できる数少ない軍人だったということを示しているな。強く収奪したら一時は良くてもその後の統治が困難になるし、群を必要以上におかなければならなくなり、結果として敵国にあたるときに抽出できる兵力もすくなくなるしね。結局、今村が離れて以後のジャワの軍政は徐々に苛烈なものに変わっていってしまったようだが。
 今村は他の軍人と比べて人間的だし、ガ島以後、無駄に将兵の命を散らすことを罪とさとったといっても、あくまで軍人でありその限界から出られなかったし出ようとしなかったと強調されているが、そら大将が軍人であらな困るでしょうし、軍人という枠の中で良心的であり続けたという方が、いくら良心的で戦後において賞賛される倫理観を持っていても将校なのに軍人でない人間より日本のためにも部下のためにもずっと役に立ったと思うし賞賛に値すると思うのだが、軍隊内の政治屋で軍という思考の枠を超えた人間がいたら軍を矯正できたのではないかという願望なら、軍人という枠を超えた人間がいて欲しかったという気持ちはわからなくもないけどね。
 ラバウルを占領する方法が思いつかなかったから、占領せず食糧不足で自壊することになると予想して放って置かれた。今村の現地自活計画があったから、十万の将兵が餓えずにすんだのだが、しかし餓えずにすませることができたというのは、今村の大きな功績だな。
 松浦参謀がA中尉とB少尉に好意をもってした行為が、彼らを自決するしかないように追い詰めていく様は、そうするしかなかったんだろうが、このエピソード単体で見れば確かに戦慄すると言ってもいいようなグロテスクさを持っている。なんとなくこのエピソードを見て、神風連の乱で子どもに潔く死ぬように促した母親のことを思い出した。
 オランダは直接日本を敗退させていなく、インドネシア独立運動の絡みもあったので、ジャワ攻略戦は9日という期間の短さもありオランダ軍や一般市民の被害は他の連合軍のなかで最も少ないのに、日本人戦犯の数も量刑も重酷であったという事実を見ると、いかに戦犯というのがいい加減なもので、その多くはまともに取り合うべきものではないということが良くわかる。
 しかし今村の妻も、今村の軍関係者の帰国の際は必ず出迎えたり、未帰還者の家族や戦犯となって外地に留められている人や刑死した人の家族に対して優しく親身になっていたというのだから、彼女も今村並みの「人物」だなあ。
 中村勝五郎、無私で戦犯への支援活動をした人物ということだが実に気持ちのいい好人物だなあ。この人についての話を読みたくなってきた。
 戦後に今村はかつての部下相手に騙されるのに頓着せず援助をしていた、そのことに相手の話を確かめてから援助したほうがと言われた時の返答が『「それは、私にもわかっています」今村は微笑を浮かべて答えたという。「だが、戦争中、私は多くの部下を死地へ投じた身です。だから戦争がすんだ後は、生きているかぎり、黙って旧部下にだまされてゆかねば……」』(P516)だというのは、死地へ投じたかつての部下たちへの今村さんの責任感があられている。
 釈放されたあとの晩年の今村は押入れの付いた三畳間という狭い小屋で過ごした、というのは知っていたが、戦犯になったことへの戦勝国に対する懺悔とかだったらすごく嫌だな、と思っていたが、実際は多くの部下を死地に投じたのに負けてしまったことへの彼なりの責任取り方だったので、嫌な想像がはずれてくれてホッとしたよ。