知っておきたい「食」の日本史

知っておきたい「食」の日本史 (角川ソフィア文庫)

知っておきたい「食」の日本史 (角川ソフィア文庫)

内容(「BOOK」データベースより)
古代のモダン食品だった団子、大仏とソラマメの意外な関係、豆腐料理が大変身したおでん、イスラームの菓子だったがんもどき、下魚として嫌われたマグロ、ハクサイと日清戦争など、思わず「ヘエー」と驚く身近な食材と料理にまつわるウンチクを大公開。『「食」の世界史』の著者が、世界の動きとともに日本の食文化がどのように組み替えられてきたかを語る、雑学的な一口話としても読みごたえのある、歴史と文化の面白日本史。

 こういう食の歴史的なものは、すごい好きってわけでもないんだが、やはり非常に身近なものだし、食を扱っている歴史の本は大概読みやすいから、たまに読みたくなるよなあ。
 「はじめに」で鍵括弧つきで「組み換え」という言葉を何回も使っているが、その「組み換え」の具体的なイメージがよくわかんないなあ。そのまま、対象の組み合わせを替えるって解釈していいのかな?
 『シカは肉量が豊富でやわらかく、消化がよかった』(P15)というのは、最近狩猟についてのマンガや本を読んでから知ったが、最初に鹿肉はあまり美味しくないという感想の文を本で読んだからそれがずっと頭に残っていたから、それまでは美味しくないものだと思っていたが、最近になってようやくその偏見が解けた(笑)。
 日本には岩塩が乏しいから、穀物を多く摂取するようになってから、平安時代に塩田ができて大量に塩を得られるまで、塩は貴重だったというのは、海に囲まれているから、塩なんていくらでもという印象があったから、意外だった。
 アユは弥生時代から大変好まれた、というのはそんなに昔から好まれていたというのは知らなかった。というか、よく考えてみたら、アユって食ったことないかもな。
 うどんの元は、唐から伝わった小麦粉で作った団子に餡を入れて煮たもの混沌というお菓子らしいが、現在のうどんとの違いもそうだが、菓子の名前の「混沌」も面白い(笑)。
 中世ヨーロッパでも砂糖は薬と扱われていたが。鑑真によって、日本に「唐黒」と呼ばれた黒砂糖が日本にもたらされた当時、日本でも贈答品や風邪薬に使われていたというのは面白い。
 日限貿易、日明貿易により、室町時代は新しい食材、食品、食の考え方が幅広く取り入れられたが、元は貿易が自由であり、明は倭寇の関係もあり留学を認めていなかったので、元の影響のほうが大きい。また元代はそれ以前の日宋貿易をはるかにしのぐ貿易が行われていたというのは、確かに意外に思えるよね。
 茶木はもともと日本に自生していたというのは驚いた。栽培され始めたのは、行基奈良時代聖武天皇)の頃からで、平安時代から宮廷の儀式などで使われるようになったが、その当時はショウガや塩で味をつけて呑んでいた。また、その頃は団子状にまとめた、唐の団茶であった。栄西が伝えたのは抹茶での飲茶であり、また中国より茶の種を持ち帰って植えたのが普及するきっかけとなったということだが、栄西は日本に茶が自生していることを知らなかったのか、それとも、持ち帰ってきたのはよりよい味の栽培種なのかどっちだろう?
 味噌汁が飲まれるようになったのは室町時代からで、その当時最良の具とされたのは鶴(ツル)!また、味噌汁の呼び名である、「おみおつけ」を漢字で表すと「御御御つけ」と御が3つも重ねているというのは面白い。
 刺身は醤油が普及するにつれて広まった食べ方で、それ以前は中国と同様に生の魚は薄く切って酢で食べていた。あと、鎌倉時代までは川魚のほうが海の魚よりも上質の食材とされていたとは知らなかった。
 お好み焼きのルーツは、千利休が茶会の折、好んで作らせていた小麦粉を水で説いた生地を薄く延ばして焼き、味噌を塗りくるくるとまいたクレープのような「麩の焼き」というもの。「麩の焼き」→「助惣焼」(味噌を塗るのではなく餡を入れる。どら焼きの原型でもある)→「もんじゃ焼き」→「どんどん焼き」→「お好み焼き」という流れのようだ。しかし、どら焼きとお好み焼きのルーツが同じというのもびっくりするような話だね。
 まんじゅうは、はじめ塩味が主で食事のおかずとされ、明暦・万治の頃にまんじゅうの中に餡を入れるようになった。たしか、ある宣教師がまんじゅうのことを日本のパンといって、それは美味しいと評価していているが、それは当然そういう甘くないもの。
 明は、鄭和の大艦隊での大規模な官営貿易では莫大な出費が伴い行き詰ったため、琉球に貿易船を無償で供与し、多くの福建人を移住させて勘合符なしで貿易できる特権を与えたというのは、知らなかったので驚いた。
 ポルトガル人によって、トウモロコシがもたらされていたらしいけど江戸時代にトウモロコシの印象がないから途中で断絶したのかな、と思ったけど、ググって断片的な情報を見る限り細々と続けられてはいたのかな。まあ、鎌倉時代からブドウが細々ながら栽培されてきた、みたいな感じなのかなあ。
 砂糖の原産地がニューギニアとはまた意外なところだ。
 戦国時代に来た宣教師は日本人は熟したキュウリを食べるという記述を残しているが、それは、キュウリの種類が違っていて、当時日本人が食べていたのは水分が少ない黄ウリだったから、熟して水気が増えてから食べた。
 イチゴは日本ではオランダイチゴと、本来は品種の改良がなされたイギリスイチゴと呼ぶべきと書かれているが、それをみてようやくイチゴが英国種であっていたと知った。幕末にきたプラントハンターであるフォーチュンの「幕末日本探訪記」で「英国種のイチゴ」「イギリス種のジャガイモ」があったと書かれているのを見ても、英国で栽培されているのと同じ程度の意味かと思い、わざわざ「英国」とつけているのはプライドかなんかのためかと思っていたよ。いやあ、フォーチュンさんごめんなさいね。