僕は考古学に鍛えられた

僕は考古学に鍛えられた (ちくま文庫)

僕は考古学に鍛えられた (ちくま文庫)

内容(「BOOK」データベースより)

小学校五年の時、近くの川で拾った土器のかけらを辞典で調べたら、朝鮮式土器だった―これが森少年と考古学の出逢いである。戦時中から遣跡探訪を続けノートに細かく記録した中学時代。荒れ果てた古墳の緊急発掘や占領軍キャンプ内での調査に追われた体験は、やがて壮大な森・遺跡学へと結実する。考古学の魅力をあますところなくつづった自伝的エッセイ。



 森さんの本を読むのは久しぶりで、エッセイ系の本はたぶんはじめてかな。少年期から大学卒業までの自身の考古学がいつ感心を持ち、どう関わって行ったかを描いている。普通の生活についての要素は極めて薄く、あくまで著者が「考古学」に戦後の時代において関わっていったかが書かれている。そして戦後にアメリカ軍のキャンプなどを作るのにあるいは土を取るために破壊される直前の遺跡という切迫した事情の中で若年の頃からどんどん経験を積んでいった。例えば工事現場に出向きあるいは工事される直前に少しだけ時間で許可をもらって発掘しているからタイトな時間で作業を行わなければならなかった。
 そういうわけで森さんが積極的に『好んで発掘したわけではない。破壊される寸前で保存の手だてのない場合に、最後の手段として発掘した。』(P131)というのは、そうあるべきだよなあ。
 しかし当時はそうした遺跡保存の重要性なんてほとんど認識されていなかったから行政の対応も鈍く、そしてそれらの作業は手弁当であり、森さんを含め有志の考古学への情熱やら使命感に拠っていた。
 考古学へ興味を持ったきっかけは、地下鉄の難波駅に飾られていた、その地下鉄が出来たときに出土した飯蛸壺だったようだ。ちなみに、その駅に行くのは年一度叔母の家に行くためで、その家にいた従姉妹が名エッセイストの須賀敦子さんだったようだ。このことはちょっと前にwikiを見て知って吃驚したが、どちらにも言及がないから、あまり交流がなかったのかなとも思っていたが、子供時代に年一度くらい顔を合わせてはいたのね。ただ、まあそのくらいなら、そんなものか。
 邑と村、同じ発音だが前者は「町」を表す、というのは以前にも何処かで見たような気がするが(そして森さんの著作だった気もするがw)忘れていたので、今度こそ忘れないようにしよう。
 しかし戦時中に中学での学習をやめて工場に動員されて飛行機のエンジンを鋳物で作っていたので、鋳物には原料の金属だけでなく、それと同じくらい鋳型を作るいもの土が製品のよしあしを左右するということを深く理解できたというのは、なんにでも無駄にならないものだねと感心する。そして鋳物土はどこでも取れるようなものではなくて、産地が限定されるとは意外だった。
 石器時代には残りやすい石器や骨角器や貝製品だけではなく、その何十倍もの木器などの植物製品や皮製品があったことを忘れがちというけど、確かに遺物をみているとうっかり忘れてしまうよなあ。
 激動の時代であった戦争のことについてはほとんど語らず、必要最低限自分の身の回りの、というよりどうやって考古学の道へ進んだかを言うために1、2行ときたま語られるだけで、ひたすら考古学関連の自分の体験についてのみを書いているそのストイックさは素敵だ。例えば終戦直後に末永先生と会って、それから発掘などに精力的に参加するようになる。末永先生はじめとして、戦後の森さんが関わっていた考古学関連の『人間関係が壮絶でありすぎる』(P177)と書いてあるが、それらについても不仲についてわずかばかり触れるだけで、ほとんど踏み込まないくらいにストイックだ。
 「鉄鋌」鉄製品の素材(インゴット)の役割だけでなく、古代においては貨幣のような性格も有していた。
 終戦前に中学を一年早く卒業させられたが、その後も動員した工場で働き続け、そんな中で終戦になったから、森さん含めて同級生たちの身分が宙に浮いたというのは可哀想だなあ。そんな中で森さんは、とりあえず考古学というやりたいこと、やるべきことがあるから良かったけど。
 黒姫山古墳、発掘を大学生(森さん)と数人の高校生ボランティアで行っているというのは色々とすごいな。そんなことを許したことに、いかに当時の行政が考古学などに感心が薄くかったのかがわかる。しかし10代の頃から発掘の経験をどんどんと積んで言っているのはすごいな。
 森さんが発起人となって、そうした若者たちで機関紙「土」を発行し、後にそれが『考古学研究』という雑誌に変わり、その雑誌は現在(少なくともこの本初めて出た1998年)に至るまで刊行が続いているというのは非常な驚きだ。
 また、森さんはこの本でしばしば最近の研究者には(戦前や戦後初期までのように)遺物を見て、遺跡を見ないというような人が多いと苦言を呈しているが、説教臭いというよりも、遺物・遺跡は一度発掘されたら戻らないもので、後世のためにも、より正確に把握できるように全体をしっかりと把握することは大事だと思うから、その言葉には素直に同意できる。
 そして神獣鏡は(必ずしも重さは一定ではないだろうが)1・5キロとか思った以上の重量物なのね。