知の逆転

知の逆転 (NHK出版新書)

知の逆転 (NHK出版新書)

内容(「BOOK」データベースより)

「二重らせん」構造を解明したワトソン、「普遍文法」を提唱し言語学に革命をもたらしたチョムスキー…限りなく真実を追い求め、学問の常識を逆転させた叡智6人。彼らはいま、人類の未来をどう予見しているのか。「科学に何ができる?」「人工知能の可能性は?」「情報社会のゆくえは?」―現代最高の知性が最も知りたいテーマについて語る興奮の書。


 インタビュー集。サクサクと読める。その道の一級の学者たちのインタビューだが、そういう人たちでも見解がかなりずれているのはあたりまえのことだが、どれだけ頭が良くて文化を共有していても一定の見解になるということはないのだということを改めて実感させられるな。
 ジャレド・ダイアモンド『いじめという現象はアメリカやイギリスでも横行していました。(中略)現在、スカンジナビアやイギリスでは、いじめは犯罪として認定されていて』(P49)いじめは「犯罪」という言葉はよく耳にするけど、実際に犯罪として認められている国があるとは知らなかった。そういった国があるという事実には、今後そう遠くない未来に日本もそうなるかもと目の前が明るくなった心地だ。本当に日本もいい加減重大な結果が生じて、大きく騒がれるようなケース以外でも犯罪としてきちっと加害者を処罰して欲しいわ。そうでなければ結局被害者が加害者を告発する手段が、悪質な虐めの場合に自らの死を持って抗議して、それが大きな問題として騒がれるという極めて稀なケースのみでしかいじめが罰せられないのはおかしいもの。
 『ダイアモンド「人生の意味」というものを問うことに、私自身は全く何の意味を見出せません。人生というのは、星や岩や炭素原子と同じように、ただそこに存在するというだけのことであって、意味というものは持ち合わせていない。』(P56)結局そんなものは個々人で抱く幻想みたいなものか。そう考えるとその幻想が人類に普遍の「人生の意味」なんてものは当然ないし、あると考えるほうが滑稽、というかロマンティストかな。
 ダイアモンド『伝統的な社会では、殺人が日常茶飯事でしたし、戦争もよく起こっていた。いったん政府というものができると、そういう国家社会では――特に第二次大戦後の国家社会では、殺戮が頻繁に行われているように私たちは認識していますが――、実は戦争は時々しか起こっていないし、戦争が終結すると和平条約を結んで、それを遵守するようにしているんですね。ですから、ニューギニアの部族社会における死亡率のほうが、第二次大戦中のヨーロッパにおける死亡確率よりも高いのです。』(P60)それはかなり意外だな。しかしこの話は(記憶力が悪いので)覚えていないけど、なんとなく「文明崩壊」か「銃・病原菌・鉄」のどちらかに書かれていそうな感じもするなあ。
 ノーム・チョムスキー、コンピューターや航空機など『元々契機の基盤となったテクノロジー事態は、公共部門(国民の税金)で開発されたものであったわけですが、だれもそのことに触れていない。』(P70)たしかにアメリカのそうしたものに限らず新技術の多くは国からの補助があって作られるものだけど、そんなことを考えたことがなかったのでちょっと新鮮な驚きがあった。
 核抑止力を本気で信じているなら、イランの核武装準備を支援しなければならないというのはなるほど。その理屈だとそうなるのか。
 それから福音書がかつては異端の書となっていたということは知らなかった。
 言語能力は人間が他の生物より多く持つという類のこととするには『あまりに差が大きすぎます。他の生物は、人間の言語の原型というものすら持ち合わせていない。言語能力以外の能力については、比例的な問題だといえるでしょう。/たとえば飛行能力について。ワシのようには飛べないけれどジャンプすることはできる、と言えるのか。つまりこれは程度問題で、ジャンプすることは飛行の原型だと言えるのではないか、ということですね。実はこれはそれほど的を外れていない。ジャンプするとき、ワシが飛行に使うのと同じ手足の類を使っているわけですから。でもだからといって、人間は飛べる。ただワシのように飛べないだけだ、と言ってしまうのは飛躍です。言語となると、もっとその差は大きくなる。原型のようなものですら他の生物には見当たらないのですから。』(P118)飛行とジャンプ以上の差が、言語能力について人間と他の生物との間にあるというのは、そんな隔絶した差だとは予想外だったので非常に驚いた。
 オリバー・サックス。タコはネコと3億個という猫と同程度の神経細胞を持つ。
 サックス『聴覚障害を持った多くの人たちには、音楽的幻聴が起こります。聞こえてくるのは決まってよく知っている音楽家、昔若い頃に聴いた音楽で、抑えることは出来ません。楽章の途中から突然音楽が鳴り出したかと思うと、またもや楽章の途中で突然脈絡なく切れたりします。』(P162)というのは実に辛そうだ。
 マービン・ミンスキー『本来「思考」と「感情」を分けて考えるべきではないと思います。「思考」というのは非常に複雑で、われわれは実に多様な物事の理解の仕方をする。一方、わずか一〇−二〇くらいの別のやり方でも物事を理解していて、これらを「感情」と読んでいるわけです。従来、「思考」というのはシンプルで論理的であるのに対し、感情は非常に複雑で協力で神秘的だと考えられてきたわけですが、これが大間違いなんですね。(中略)単純で機械的なのは、怒っているとか、恋をしているとか、お腹がすいているといった「感情」のほうです。ただ、感情が複雑な思考と結びついてしまった場合を除いてですが。』(P193-5)感情と思考について、こう書かれているのはとても新鮮で目から鱗だった。
 ジェームズ・ワトソン。高慢ではないが、自らの自負心をあえて包み隠そうとしないという稀な人だなあ。
 ワトソン『本来、人はみなそれぞれ異なっているのに、同じだとみなさなければいけなくなってきている。同時に、あるもののほうが別のものよりもいいという言い方は避けて通るようになってきてもいる。だから、どの花も全て同じように咲くんだという。ごまかしです。』(P274)