暗殺国家ロシア 消されたジャーナリストを追う

暗殺国家ロシア: 消されたジャーナリストを追う (新潮文庫)

暗殺国家ロシア: 消されたジャーナリストを追う (新潮文庫)

内容(「BOOK」データベースより)

白昼堂々行われる射殺、ハンマーでの撲殺、そして毒殺。社会主義政権崩壊後、開かれた国になるはずだったロシアで不審死が相次いでいる。犠牲者はジャーナリストたち。彼らはメディアが政権に牛耳られる国の中で、権力批判を繰り広げる急先鋒だった―。偽りの民主主義国家内部で、今、何が起きているのか?不偏不党の姿勢を貫こうとする新聞社に密着した衝撃のルポルタージュ


 ロシアの報道がこんなにも事実上政府に統制されている状況で、政府の言うとおりに書いているような状況で政府や警察や軍に都合の悪いことを書くことができない状況になっているとは知らなかったので驚いた。かの国の国内は恐ロシアなんて、冗談交じりでいっていいような状況だったのね。
 チェチェンで拉致され、投獄された体験を喋ったマサーエフという人は自ら実名をだして告発したが、そのことで同じく拉致されていた人が殺され、また彼自身も姉の法事でチェチェンに帰省したときに迷彩服の男に車に引きずり込まれて行方不明になった。そのようにジャーナリストだけでなく告発者も同様に命がけなうえ、こうして拉致され殺された蓋然性が高くとも「ロシアでは。ほとんど一顧だにされない」(P107)。
 著者はマサーエフがジャーナリストに体験を語っているときに居合わせ、そしてそれからしばらくした後に、もう一度会うという約束も取り付けたが、その後マサーエフは行方不明になってしまった。そうした体験をしたことが著者がこの本を著す原動力となったようだ。
 関係ないことだけど、モスクワは8月の終わりには既に15度を下回る気温のことが多いとは夏が短いのね。
 『テレビでは報道統制が進んで、批判できない組織や人物のリストがどんどん増えていっているんだ。大統領、首相はもちろん、内務省とその管轄下の警察、FSBロシア連邦保安局=旧KGB)、ロシア軍、国会議員、ロシア正教の総主教、モスクワ市長……。せっかく事件取材でスクープを飛ばしても、偉いさんたちが絡んでいるとわかると万事休す。放送はストップだ。だから、テレビで放映できないネタについては、この新聞に書くようにしている。まあ、大方の新聞も、テレビほどじゃないが、ストレートな権力批判はほとんどできない。だから受け皿は、事実上、この新聞しかないんだ』(P18)ロシアのマスコミ事情がこんなに不自由な状況になっていたとは思いもよらなかった。今まで民主化したんだし、普通に日本とあまり変わらない程度だと思っていたので驚いた。この本ではロシア国内でストレートな権力批判をしている稀有なメディア(他に政権に批判的なメディアはラジオと雑誌、新聞に一つずつでテレビは全滅)である「ノーバヤガゼータ」(政権に批判的なメディアで唯一本格的な調査報道を行っている)という新聞社のことについてが書かれている。しかしそうしてストレートな権力批判をしているため、わずか20年の歴史で5人の記者が殺されて、同新聞の顧問弁護士が1人殺されている。更に、他にも記者が何者かに襲われ負傷するといった事態も多く起こっている。それでもなお、そうした報道姿勢を保っているのは純粋に凄いと思える。また報道だけでなく救済されていない社会的弱者の最後のよりどころであり、彼らの主張をできるだけ紙面に反映させているというのもいいな。こういう気骨の新聞社が日本にもあったらきっとファンになってしまう。
 ロシア連邦内の共和国であるイングーシ共和国内でロシア連邦とイングーシ共和国の治安機関が一部の住民を拉致、殺害していることを告発したジャーナリストであるエブローエフが、イングーシの首都マガスの空港で出迎えに来た友人や親族が目撃しているなか武装ジープに押し込められて、その中で殺され、公立病院の敷地内にその頭を打ち抜いた死体を放り出して走り去ったというような弾圧が平然と行われていることには戦慄する。その飛行機にエブローエフだけでなく同国の大統領ジャジコフも同乗しており、ジャジコフは飛行機から降りた直後内務大臣と何事か狭義を巡らしており、エブロエフが連れ去られたのはその直後だというのも、権力者の一声でジャーナリストを殺せるというのは恐ろしい。
 しかもその事件はイングーシ共和国の中では報じられなかった。それでも口コミで広がって、ただでさえチェチェンの独立派と気脈を通じた反政府武装勢力への政府の露骨な弾圧で一触即発という状況だったので、警察や軍人を狙った銃撃事件が相次いだことで実行犯とされる男が逮捕されたが、一旦釈放された後、殺人罪でなく過失致死で懲役2年半のうえ執行猶予つきだったため収監されなかった。それに状況からいって、ある意味当然かもしれないが、背後関係は全く捜査されなかった。この最初に書かれたこの事件を読んで、一気にロシアがどうなっているのかについて強い興味を引かれた。
 『ロシアでは、ジャーナリストの身辺を脅かす襲撃事件が年間80〜90件起こっている。』(P28-9)そして2000年代に120人のジャーナリストが不慮の死を遂げたが『このうち約70%、つまり84人が殺害されたとみられるが、地震のジャーナリスト活動が原因で殺されたと推測できるのは、さらにそのうち48人だ。48人の殺害のほとんどは嘱託殺人と思われるが、首謀者、実行犯ともに逮捕された例は数えるほどしかない』(P29)というのは恐ろしい。主要メディアのほとんどが政府の言いなりになっている状態で、その人数というのがまた恐ろしさを倍増させる。
 あと、ソ連体制下でもスターリン独裁下は別として『精神病院に放り込まれ、国内流刑や国外追放の憂き目に遭った』反体制派はいるが、スターリン以後は処刑されたものはいないというのは意外だ。そういった意味ではソ連時代以上の強圧とも言えるのか。
 そして『地方の権力者の中には、自身がマフィアの親玉だったり、そうでなくとも、犯罪者集団と密接なつながりを持つ人間がうようよいる』(P48)ため、地方ローカル紙や全国紙の支局のジャーナリストの方が殺されるリスクが大きい。流石に大統領などのロシアの政権のトップクラスは暗殺などはしていないようだが、実際問題として彼らの政権下でそうしたジャーナリストの暗殺が横行するシステムを作ってしまったという責任はある。
 チェチェンでは第二次チェチェン戦争時に「ロシア連邦軍が」身代金目的の誘拐をして払えずに人質を殺した後も、遺族がその死体を引き取るのにも金を要求するということを日常茶飯事のように行っていたというのは思わず目をむいてしまう。そういう行動を中東などでテロリスト側が行っているのは知っていたが、ロシアという大きな国の正規軍が行っていたとは思いもよらなかった。そしてロシアの傀儡政権(チェチェン政府の総予算は実収入の10倍!)であるカディーロフ政権下ではロシア軍に替わってチェチェン当局が人々の拉致、拷問、殺害を行っているというように実行者が変わっただけでチェチェンの不穏な状況は、ロシア連邦軍がいたときから全く改善していないようだ。
 「ノーバヤガゼータ」は創立当初のメンバーは経営面での知識を持った人がろくにいなかったため、宣伝もろくにせず内容が良ければ売れるだろうという甘い考えで始まって、刷り上ってから販売してくれるところをどうしようかと考えるような組織だったとは驚き、現代にそんな話があるとはビックリだ。
 新聞が経営難に陥り、新興財閥や政府系企業に買収される道を選んだ。その結果、大資本が露骨に編集方針に介入したので、新聞がソ連時代のような権力側や大企業の宣伝機関に逆戻りすることとなった。そんな中、「ノーバヤガゼータ」は、当人たちの終わるにしても買収されて終わりではなく、恥ずかしくない終わり方をしようという信念を持っていたことで、ほぼ唯一の独立系の新聞として踏みとどまった。
 まあ、現在は「ノーバヤガゼータ」は49%の株式をそうした大企業の経営者が持っているが、リベラルで現状のところ介入してこないため良好なパートナー関係を築けている。ただ、全収入の50%が彼の援助によるものなのだから、危ういところで何とか独立を保っている状態で、磐石とは経営状況一つとっても磐石とは到底いえないのだが。
 警察関係者が極秘の資料を横流していてプーチンや内務大臣の自宅住所や電話番号、犯罪の捜査資料、最近すうヶ月で起きたほとんどの刑事事件の取調べの詳細、被害者の名前や住所といった様々な情報の詰まったCD‐ROMがオーディオ専門の市場で一枚500ルーブリ(約1350円)大量に売られていて、しかもその存在を知ったのに内務省も警察も何らかの取締りを行っていないということには愕然としてしまう。
 ベスランの学校占拠事件では民間人1000人が人質となっていたのに、その人数を国内向けには1/3の数だと述べたり、特殊部隊で強行突入して人質の残っている場所に砲撃や火炎放射を加えたというのはゾッとする。
 政府は色々嫌がらせじみたことをしていても、「ノーバヤガゼータ」のような小さな新聞を直接には潰さないのはロシアの言論弾圧について非難を浴びせられるなかで欧米向けのアリバイ的に利用しているからだというのはなるほどな。
 リーマンショック時にクレムリンは国内のマスメディアに「危機」という言葉を使わないように圧力をかけた。そのため、正確な情報が読者に届けられなかったが、そんななか「ノーバヤガゼータ」は詳細な分析記事を載せたため、いくらか購読者を増やした。