夏から夏へ

夏から夏へ (集英社文庫)

夏から夏へ (集英社文庫)

内容(「BOOK」データベースより)

速く走るだけでは世界を相手に戦えない。リレーでは、速く確実なバトンつなぎも重要だ。2007年世界陸上大阪大会でアジア新記録を樹立。08年北京五輪のメダルにすべてを賭ける日本代表チームに密着した、著者初のノンフィクション。酷暑のスタジアム、選手達の故郷、沖縄合宿へと取材は続く。大阪と北京、2つの夏の感動がよみがえる!2大会のアンカー走者・朝原宣治との文庫オリジナル対談つき。

 小説「一瞬の風になれ」の佐藤多佳子さんが書く、2007年の大阪世界陸上と2008年北京五輪に向けて文字通り走っている4×100メートルリレー(通称「4継」)の日本代表メンバーである短距離走の選手たち(末續、朝原、高平、塚原、小島〔2007年世界陸上リザーブメンバー〕)の姿を描いたノンフィクション。巻末には文庫語りおろしの朝原宣治さんと著者の佐藤さんによる対談が収録されている。
 2007年の世界陸上は5位でフィニッシュして、この本に描かれている物語のあとには北京で銅メダルをとったということがわかっているから、読み終えた後彼らが素晴らしい結果を得て、報われたということがわかるから、そしてその後の現実の銅メダルをとったという展開でこれ以上内大団円の結末がこの物語にはあるという事実には嬉しくなる。
 前半の世界陸上でのレースシーンはノンフィクションとしては結構独特な文体というか、小説っぽいような文章だな。著者の「一瞬の風になれ」に同じ陸上短距離を題材としているというだけあって、そして同じ著者だということもあって、結構文体も近いような期がするなあ。まあ、「一瞬の風になれ」を読んだのはだいぶ前だから、ぜんぜん的外れの感想なのかもしれないけど。後半は大阪陸上後の選手たちに対して著者が取材している場面を書いているというちょっと変わった形式のノンフィクション。
 一流のスプリンターである彼らの話を聞いていると、彼らはとても前向きだし、ゆるぎなく心に確固としたものがあるということが伝わってくる。今までアスリート本とか読まなかったがこういう一流の流儀が見れるみんな読むし、ファンになるんだろうな。一流と言っても、他事についてはおかしなこと言っていたりするので正直一流である価値って、ある競技で一流とはすごいとは思っても、それ以上のものがあるとは思っていなかったが、この本で扱われる日本代表スプリンターたちのメンタリティ、物事に対する真剣な取り組み方や考え方を見ると今まで持っていたそんな考えを捨ててあっさり宗旨替えをしてしまった。
 それと個人的には講演会とか自己啓発本とかは、個人的には訓話、説教的な教え諭すというような上からの話だと鼻についてしまい正直生来の――矯正されずにここまで来てしまった――天邪鬼さが顔を出し、冷笑的にそうしたものを見て/聞いてしまい、つまらん話としか思えない性質だけど、この本では他人に自分のスタンスを押し付けようとする、それが正しいと強弁しようとするような押し付けがましさことがないから、普通の自己啓発系の本よりもずっと効用があるような気がするな。
 しっかりとした自分の考えを持って、どこまでもまっすぐで、真面目で真摯な態度で競技と向き合い、エネルギーを限界まで絞りつくすような自分を追い込むトレーニングをやっている彼らの格好いい姿を見ると格好いいと思う。ストイックに高みを目指すために自分なりの確固としたスタンスを持って、それを体現している姿を見ると、格好いいなと思うし、ただただ圧倒されるような思いがする。自分を飾らず素のままの状態でも格好いいという美しさを知る。私は怠惰な性質なので、今まではそういう人はすごいと思って敬意は表してはいたが、正直そこまで自分を高めるって物好きねえとも少しだけ思っていたが、こうやってストイックな過ごし方によって、そのありかたが美しく見えるということは発見だったし、そうした美しく一途な(シンプルな)ありかたをできるということはそうしている人自身にも大きなメリットとなるのかと思い直した。
 予選で日本新記録を出した後に、ドーピング検査で時間を食って夜遅くにホテルに帰り、ホテルでもその時間に食事できるが選手用の食事のメニューは限られているため数日で既に飽きているため、他の客が誰もいないホテル近くの『なか卯』で、一仕事終えた解放感を味わいながらリレーメンバーで親密な時間を過ごしたというエピソードはいいなあ、こういう直接リレーとは関係ないけど、ほっこりするようなエピソードにページを割いてくれているのは嬉しいな。このエピソードの他にもレース前後の選手たちのちょっとした日常に、過度に緊張しすぎていない、リラックスして過ごしている場面が描かれているから言いねえ。そうやってリラックスできるのもこれまで最善を尽くしてきた(やりきった)と思ってきているからこそだろうから、レースの直前であってもリラックスしていることがかえってそれまでの積み重ねてきたものの大きさを伝えてきてくれる。
 著者が黒子として彼らの物語を書くのではなく、自身が観戦した世界陸上で観客視点で、彼らの活躍に興奮していることが書かれていて、そうやって選手たちの視点だけではなく著者が観戦した視点で描かれているところがあるから、彼らが一般の観客視点からどう見えているのかがわかっていいね。
 世界陸上大阪での4継決勝レースの雰囲気は最高のもので、プレッシャーでなく、興奮して浮き立ってくるような今までにない素晴らしい雰囲気だったようだ。
 後半、著者が取材しているところ書いているが(各選手にはじめて取材したときのことなど)、そうしやって取材者の目から見た選手たちの姿が描かれているから、取材者に対してどういう接し方をしているかなんてことも分かるから、選手たちの人柄がよくわかっていいな。そうやって取材している光景を出すことで、よくあるようにそうやって取材したものを地の分に入れて取材者の姿を出さないよりも彼らの素の姿に近いものを感じることができるし、過度に雲上人という感じを出さずに、一人の普通の同じ人間として感じることができる。そんな普通の人がストイックに練習をして、自分の考えを持って格好いい立ち居振る舞いをしているからこそ、余計に尊敬の念がわく。
 しかし著者が選手たちを取材するのに本物だと興奮しているから、なんだかほほえましい。
 陸上のトップ選手でもその練習拠点は大学においていることが多いとは知らなかったわ。
 世界陸上の4継リザーブメンバーだった小島選手、予選で日本記録更新したから走るメンバーがよほどのことがなければ自分が出ることがないことがわかっていても、その万が一のために直前のアップまで正メンバーと一緒のメニューを一生懸命にこなして、自分の調子がよいことは分かっていてもそれでも自分が出られないことが分かっていても、気持ちが切れることもなく、最後の最後までそうした準備を怠らず、そして正メンバーがコーチ・ルームに言った後いてもたってもいられずサブグラウンドで一人叫びながら走って泣いていたというエピソードは心にくる。そんななかでも決勝でもさらに日本記録を更新したときに代表のドクターが焼肉に連れて行ってくれたが、そのときに彼も一緒についていったというのはすごく大人だし、素晴らしい人だというのがこのエピソードだけでも伝わるよ。