卵をめぐる祖父の戦争

卵をめぐる祖父の戦争 (ハヤカワ文庫NV)

卵をめぐる祖父の戦争 (ハヤカワ文庫NV)

内容(「BOOK」データベースより)

「ナイフの使い手だった私の祖父は十八歳になるまえにドイツ人をふたり殺している」作家のデイヴィッドは、祖父レフの戦時中の体験を取材していた。ナチス包囲下のレニングラードに暮らしていた十七歳のレフは、軍の大佐の娘の結婚式のために卵の調達を命令された。饒舌な青年兵コーリャを相棒に探索を始めることになるが、飢餓のさなか、一体どこに卵が?逆境に抗って逞しく生きる若者達の友情と冒険を描く、傑作長篇。

 アメリカ生まれで小説家の孫に戦争の話を聞かれたロシア出身の祖父がその話を語る。アメリカは移民国家だから祖父母世代はロシアで、孫は普通にアメリカ人というのは別段珍しくないことだろうが、こうやって祖父のかつての話を聞くと、そういうことが改めて実感させられる。
 前半はレニングラードでの当時の市民の生活についての話を描き、後半はレニングラードの外に出た後にパルチザンに合流して、なりゆきで彼らと共にドイツ軍と戦うことになる。また、前半も危険はかいくぐっているけどドタバタ色が強く、後半は知恵を絞り、賭けのような選択を繰り返しながら何とか生還するというスリリングな展開。前半はコーリャが頼りになることや彼の気ままさが描かれて、またちょっとコミカルな話も多いから、後半と比較すると、ドタバタという風に感じる。こういう極限状態にあっても、ユーモアを感じるエピソードがあるから、読んでいてあまり重苦しくなりすぎないから、読みやすい。
 レニングラード包囲戦下、極限状態に陥った都市における市民の生活が書かれる。祖父は避難せず、レニングラードに残って戦うことを選んでだ。しかし7ヶ月も包囲が続き食料がなくなった、冬のレニングラードで、祖父(レフ・ベニオフ)は近所の友人連中とドイツの落下傘兵が降下中に凍死した死体から食料やら装備を剥いでいるところを兵士に見つかり(そのときに彼はナイフを手に入れた)、逃げようとするが、一人遅れている仲間を助けたところを彼一人が捕まった。捕まったときにコーリャという脱走の嫌疑がかけられた、エネルギッシュでおしゃべりで大胆不敵な青年と出会う。
 ちなみに祖父はベニオフ姓だが、あとがきによると祖父もアメリカ仁だから、別段ノンフィクションとか実際の祖父の話を元にしたというわけではないようだ。もちろん、小説家の孫と著者自身を重ね合わせることはしていると思うけど。
 捕まっていたレフとコーリャは命をかろうじてつなぐための配給カードが没収される。それから大佐に(こんな状況下にもかかわらず!)娘が結婚式を挙げるため、1週間以内に卵が1ダース必要だから、それを取ってくるように命令され、そのための便宜も図られ、命令を受けたという書類といくぶんかの金がわたされる。この小説は、その短くも濃密な「一週間」を描いている。
 そうして彼らは一縷の望みにかけて卵をレニングラード内で探すものの、見つからず、レニングラードから飛び出して、ドイツ軍の勢力下となっている地域にまで足を伸ばしてなんとか卵を見つけるために奮闘する。
 祖父の話を最後まで聞いてから(この本を最後まで読んでから)、冒頭の『ナイフの使い手だった私の祖父は十八歳になるまえにドイツ人をふたり殺している。』(P7)という文章から印象を受けるキャラクターとかなり違っているので、ちょっと改めて冒頭に戻ると思わずにんまりさせられる。嘘は言ってないんだけど、そのエピソードから連想する、不良少年的なイメージからはほど遠いからな。
 そして最初の方でコーリャに『君はいくつかなんだ、十九か?』(P79)とたずねられて、さらっと『二十歳だ。』と嘘をついているのにも、改めて冒頭を読むまでそのことに気づかなかったが、その背伸びしているさまに思わず笑みが浮かぶ。
 しかし当時のレニングラードの食事情が、図書館キャンディと呼ばれる、本の表紙を引き剥がして製本糊を取り出し、煮詰めて棒状にして紙を巻いた蝋みたいな味がするものが、たんぱく質が含まれるからという理由で普通に売られて、またそのために本が都市からなくなっているというほど酷い状況だったとは知らなかった。そんな極限過ぎる無二のケースだとは知らなかったので、当時のレニングラードに関心がわいたので、それについての本をなにか読んでみようかな。
 しかしそんなものを売っている少年が、鶏は何でも食うから鶏を生かすためには大匙一杯のおがくずで足りるなんていっているのには、鶏「は」と言っているが、そうした状況を見ると、人間「こそ」そうだといえると感じるから、思わず渇いた笑いが顔に浮かぶ。
 人を殺して、人肉を売る夫妻。小説中の話ではあるが、こうして書くということは、実際にそのような事例があったのか、それともそうした噂が信憑性を持って語られていたのかわからないが、いずれかがあったのだろうな。
 鶏がいるという噂は本当だったが、それを買っている老人は死に、あとはただ祖父の死を悲しみ、引き続き鶏の世話しながら、ただ疲れて死を待っている少年だけが残っていた。そして彼から良心の痛みを感じつつ、レフとコーリャは鶏を貰ったが、それは雄だったようで、寝床のない(レフは自身が捕まっている最中に砲撃が家につぶされた)二人が泊まっているコーリャの恋人の家で、その家に住む幾人かが材料を持ち寄って、スープにしてみなの胃の腑に収まることになる。何度もこういう類のことを書いていると思うが、こうした食料が乏しい中での食事シーンはいつでも読んでいて面白い。
 レフの父親の詩人の名前を知って、文学青年でもあるコーリャが興奮していたり、彼のチェスの腕前に驚いたり、逆にコーリャがこんな状況でもエネルギッシュで前向きなことへのレフの感嘆だったり、前半はそうした二人の互いの理解だったり交流が深まっていく様が描かれていく面白さがある。
 結局レニングラードでは予想に反さず卵を見つけられなかったため、乾坤一擲、レニングラードから出てドイツ軍の脇を抜けて数十キロ歩き、まだ存在しているかもしれない農場を探して、そこで1ダースの卵を手に入れるという大博打をすることになる。
 そうして森の中を歩いている中、家を見つける。そこでドイツ軍将校に囚われ、囲われている同胞の少女たちの姿を見る。
 彼女らに協力してもらい、来たドイツ人将校を打ち倒そうとしたが、彼らが実行する前にパルチザンがここに来た将校を打ち倒した。そしてそのパルチザンの中には少年のように見える一人の凄腕の狙撃者の少女ヴィカがいて、レフはそんな彼女に一目ぼれしてしまう。
 そしてそこから彼らはそのパルチザンたちが襲撃するドイツ軍のアインザッツグルッペンの本部に卵があるかもしれないということ、またコーリャはロシアのためにもドイツと戦うことを求めているという理由もあって、パルチザンと行動を共にすることになる。
 コーリャが話している名作「中庭の猟犬」って名前聞いたことないけど、知られざる名作とかそういうものかしらと思っていたが、彼が書こうとしている小説の話か。作中でそんなことが白状されるまで読み終えたらググろうなんて思ってしまっていたわ。
 パルチザンとして追われ、パルチザンの仲間やリーダーの男も死んで、そのまま逃げ切ることができないと踏んで、密かに捕虜に混じり敵地に踏み入ることで、目標の高官を暗殺することを狙う。
 捕虜のうちで文章が読める人間と読めない人間をわけ、前者のほうが良い職場に着かせるといわれて、わけられているときの雰囲気が場に似合わぬほど明るかったが、文字が読めたことを示したことで意気揚々としていた前者が処刑される。ヴィカに読めない風に装えと指示された事で、辛くも生き残る。
 アインザッツグルッペンの長――つまりヴィカらパルチザンの現在の目標――アーベンロートがチェス好きであるので、もしチェスで勝ったら3人を解放し、卵を1ダースくれと言伝をして、それ自体賭けだがなんとか興味をもたれて、レフが彼相手にチェスを指すことになる。
 レフが上手い機会を捉えてナイフで彼を殺すという計画だったのだが、実際にチェス版をはさんで対峙していると殺すことに迷いが生まれてきた、この揺らぎはリアルだし、わかる気がするから、そうしたことが描かれるこのシーンは好きだな。祖父が語っているのだから、生還できたということは分かっているけど、それでも緊張する。でも、祖父が生きていることがわかっているから、読んでいてどうなるか不安でならず、読んでいるときに精神的負荷が強くかかるということにはならなかったのはありがたかったな。
 そういう読んでいて緊張を強いられる作品を読むと、個人的にはいくら面白い作品でも疲れてしまったり、我慢して読むことになり、少なくとも初読時はそうしたストレスが解放された状態が来るまであまり面白く感じることができないからな。
 なんとか幸運にもナイフ二本と素手対銃と言う状況だったにもかかわらず、取り巻きとアーベンロートを3人で倒して、周囲がドイツ軍で囲まれていたのだが、逃走することになんとか成功する。そこでドイツ兵を殺すなど、活躍を見せ、それがこの小説のはじめの文章で記されていたエピソードとなる。
 しかしコーリャの結末はあんまりだ、こんなに儚く終わってしまうなんて。
 そして結末は余韻があるいい終わり。ヴィカはおそらく祖母だろうなと思っていたので、最後に二人がくっついて、その予想を確信に替えてくれたのは良かった。しかし、ここからどうやって二人はソ連から出て、アメリカにくることになるのだろうというのが気になるなあ。