IT 1

IT〈1〉 (文春文庫)

IT〈1〉 (文春文庫)

内容(「BOOK」データベースより)

少年の日に体験した恐怖の正体は。二十七年後、故郷の町でIT(それ)と対決する七人。

 スティーブン・キングの小説は、面白らしいけどホラーが苦手ということがあり、また長い作品が多いのでそうした意味でも手に取りづらく中々読む機会がなかったが、依然読んだ著者の「恐怖の四季」のスタンド・バイ・ミーが面白すぎたので、そうした小説に近いものがないかと思ってamazonで他の作品の内容紹介やレビューを見ていたら、この作品がスタンド・バイ・ミー好きにおすすめというレビューなんかもあったので、キングのホラー作品をはじめて読むことを決めた。だけど、1冊四百数十ページを4分冊とかなり長い作品なので、全部読み終えるまでにはかなり時間がかかりそうだ。
 ちょっとしたモノローグや、地の文が具体的かつリアルな描写だから面白いな。多くの小説が映像化されるだけのことはある流石の筆力。
 舞台となっている町がデリーという名前だったから、最初はインドの都市かなとちょっと勘違いしていた。いや随分アメリカ的な雰囲気、というか西洋人だかアメリカ人が出てくるなとは思っていたけどさ。実際はメイン州アメリカの一番北東部にある州)の田舎町みたい。
 第一章1957年と過去のパートで、どもりのビル、ビル・デンブロウの弟ジョージの死、謎の怪物が描かれる。
 最初のほうは視点キャラが次々に変わり、メインキャラが誰なのかもわからないのであまり強い愛着がなく、化物がどんなものだかさっぱりという状況であることや、読んでいてきつくなるようなものがなくてホッとした。例えば主人公が逃げ場のない袋小路にはまって(物理的・精神的に)、脅威を避けられなくなっていくさまとかが描かれるのは苦手なので、そうした行き場がないような追い詰められた雰囲気だったり、閉塞感、どうしようとも打開できない感覚みたいなものが見えないのであまり読んでいてきつく感じることは少なかった。例えば化物は登場したら無慈悲に殺すから1巻から複数人登場キャラが死んでいるけど、じわじわその周囲に出現して追い詰めて殺す、粘着して殺すというような傾向が見えないので、それらの死の様子を読んでも、読んでいてきつくなるような圧迫感、息苦しさのようなものは感じずにいられたので良かった。1巻時点で、まだ物語全体の4分の1しか読み終えていないわけだからなんともいえないけど、他の作品もこうした感じの怖さであるならば、今まで「ホラー」ということで躊躇して、読んでいなかったことが悔やまれるな。
 それから群像劇だというのも、今後つらい展開に陥るとしても、そうした息苦しさを多少なりとも軽減してくれると思うから良いね。いや、上手く書かれた群像劇だから、別にそうした理由がなくても好きだけど。
 でも、そう思うのは何故かというと、個人的には主人公キャラが悪い状況な上に先行きの見えない状況で翻弄される、あるいは苦しさを我慢する、または周囲の策略に気づかぬまま進むという話より、群像劇で様々な人間がメインで出てきて、それぞれが視点を変えながら苦闘したりするさまが描かれるほうが視点切り替えごとに目先を変えられるから、苦しい状況になったとしても、まだ読みやすく感じるから。
 このピエロの化物はなんか人格があるみたいだし、なぜか1957年のジョージや1984年のハガーディなど、その化物に名前を呼ばれているようだから、なぜか名前を知っている(わかる)ようだし謎めいている。だが、ハガーティのその化物は「この街」との指摘がたぶん正解なんだろうな。まあ、ファンタジーの理屈がきっちりあるような世界観でもなし、詳しいところはきっと判然としないんだろう。
 3章、冒頭で死んだジョージの兄ビル・デンブロウの仲間が、同じくその仲間の一人から、それぞれ封じ込めていた過去――化物の記憶――を思い起こさせる電話がかかってきて、電話を受けた6人はそれに恐れを抱きながらも過去の約束を守るため、運命に導かれるように日常を捨て、デリーへ行くことを決心する。彼ら、彼女らは何かにせきたてられるようにしてデリーにかけつける、運命のように、死地に赴く覚悟で持って。
 その電話で誰もがデリーへ向かわなければならないと思うのは変わらないが、行くことに解放の喜びをみせるものもいるが、死ぬであろうと思いながら再び表れた化物と相対するために行くというものもいて、六者六様の反応ではあるものの、誰もが恐怖があっても日常を捨て去りデリーへ向かうのは変わらない。
 その後の「デリー 第一の間奏」で、7人の仲間(男6女1)のうち、唯一子供時代からデリーに住み続けているマイケル・ハンロン(3章で電話をかけてきた人)の章がさしはさまれるが、それがなかったなら、化物自身かなとも疑ってしまったが、こう普通の人間として描かれているんだから違うと思い直し、6章でマイケル・ハンロンのパートが入って絶対違うとようやく確信が持てた。それまではデリーでもない場所での、スタン・ユリスの電話直後の怪死が印象に残るから、どうしても少しは疑ってみてしまっていたけど。
 化物、26年、27年ほどのサイクルでデリーの街に登場する謎の怪物。そして平時においてもどうやら、殺人の発生率・行方不明者の数が他の都市よりも高いようだ。活性化する時期以外にも、影響があるということなのか、密かに化物が登場しているのかは知らないけど、そうした率が高いというのはなんだかちょっと恐ろしい。サイクルという語や、数十年ぶりの友からの電話でその化物の発生が知らせられたというのを見て、その時期にだけだと思ってしまったから、実は平時にもと聞くと恐ろしさが増して感じてしまう。
 ビル・デンブロウの青年時代のエピソード、学友には顰蹙を買ったようだけど、小説に小難しい社会的あれこれを込み入れなくとも、良い小説なら自然に組み入れらているだろうし、物語は単に物語であってもいいのではないかという主張はしごく正当なものだ。ちょっと昔で、文学畑だから理解されなかったけど、個人的にはその主張に強く同意できる。物語の復権だのなんだの、最近言われているしねえ、まあ、私はその言葉面だけは知っているけど、具体的にどんなことを主張しているのかは非常におぼろげにしか知らないわけですが。
 4章以降は、デリーに向かった彼らの子供時代1958年(前のサイクルの時)の出来事が書かれていて、まだあまり化物の存在感が大きくなくて、子供時代(夏休みの解放的な感じとか、友情とか行動とか、心の動きとか)がリアルな描写が書かれていて読んでいて非常に楽しい。それまでもつまらなかったというわけでは全然ないのだが、子供時代の話となってからますます面白く、そして非常に好みなものになった。
 4勝以降を見てなるほど、スタンド・バイ・ミー好きにおすすめと書いてあった理由がわかり、これを読んで、この本を読んで正解だったなと強く感じた。この後が、あまり好みの展開でなくても、きっとこの本を読んだことは後悔しないだろうと思えた。いや、まあこの子供時代を過ごした人が全員あるいは多くが無残に殺されたとかだったら、微妙な気分にはなるし、こうした子供時代の描写を読み直すときに末路を思い出して純粋に楽しめなくなるかもしれないから犠牲は少なければ少ないほどいいし、ハッピーエンドで終わればなおいいとは思うけどね。
 こういうリアリティがあって魅力的な子供時代を描いた本というのは大好き。あまり数は読んだことないけど、そういう小説があるのなら是非読みたいと思っているよ。
 しかし同級生の暴力などを振るい害を与える粗暴な連中が結構登場していて、今後も登場しそうなのは、ちょっとやだな。そういう輩は小説の中で見ても決して愉快な気持ちにはなれないから。それに昔の話ということもあるのか、凶悪さのスケールもでかいし。
 ベン・ハンスコムがビルとエディ2人とちょっとしたきっかけから瞬時に友達になったエピソードは好きだ。このすぐに友達になる感じ、友達になって身のないことで楽しそうにしている感じがとってもいいなあ。
 そしてその時のハンスコムが小さなダムを作るのに一瞬でどうすればよくなるのか、そうしたものを作ったことがなかったが一瞬で見抜いたというエピソードは、後に建築家になる天凛が見え隠れしている感じが好き。
 ベン・ハンスコムが化物とニアミスしたり、ビル・デンブロウが怪奇現象に襲われたり、エディという少年は両生類の怪物に襲われ、マイケル・ハンロンは鳥の化物に教われ何とか逃げ帰ってきた。このうちエディという少年のケースを見ると怪物はほかのものに姿を変えたというのを見ると、化物はピエロの姿をかたどるだけでなく別のものの姿にもなれるということかな。そうすると、ビルの話はなんなんだろうとは思うけど。
 この化物(IT)がこの小説の中心なのは当然なのだけど、それでももっと多く、なるべく多く、それとは関係ない少年時代の彼ら、彼女らのエピソードを読んでいたいと思ってしまう。だって、それらがあまりにも魅力的だし、好みなんだもの。