空白の五マイル

内容(「BOOK」データベースより)

チベットのツアンポー峡谷に挑んだ探険家たちの旅を追い、筆者も谷を踏破。もう一度訪れたいと再び挑むが、想定外の出来事の連続に旅は脱出行と化す。第8回開高健ノンフィクション賞受賞作。


 著者は高野秀行さんと同じ早大探検部出身の人で、以前からこの著者の本は気になっていたのだが、ようやく読了。正統派な冒険物のノンフィクション。想像以上の厳しい地形を前に本気で餓死一歩手前まで行くなど、思ったよりもハードで本格的な冒険物のノンフィクション作品だった。危ない状況に陥ってひやりという展開でなく、じわじわと体力が減じて餓死の危機が迫ってくるという危険に陥るのは予想外だったわ。著者は著述家的側面よりも冒険家的側面のほうが強いのかな。
 プロローグで出てくるアパートの管理人のおばさん、たぶん高野秀行「ワセダ三畳青春記」に出てくる人かな、そうだとしたらなんとなく嬉しいし面白い。
 ツアンポー、未発見の大滝があるという情報で探検がなされるも、ベイリーはその滝まで行くけど、小さい滝だった。その後、報告者を探し当てると、その滝は翻訳者の誤訳によって生み出された産物とわかる。しかし高低さを考えると、ツアンポーに大滝は存在する可能性は十分にあると思ったキングズドン=ウォーズは探検するも幻の大滝を発見できず、残り空白部5マイルしかなく大滝がある可能性はほとんどないと1924年にキングドン=ウォードが述べたことで一旦そこへの探検は一旦終わる。探索されていない「空白の五マイル」を残して。
 そのキングドン=ウォードが探索できなかった五マイルは、現代の冒険家にとっては最後の地理的空白部分として「空白の五マイル」(ファイブ・マイルズ・ギャップ)と呼ばれ、そして『この言葉が持つ美しい響きは、大滝の伝説に変わる新たなロマンをツアンポー峡谷に与えることになった。』(P61)。
 著者自身の押し留めがたい「探検熱」による02-03、09年のツアンポーの単独での探検、ツアンポーの探検史、早大カヌー部員が死亡した出来事、1998年には米国の探検隊による幻の大滝の発見などが書かれる。本人の探検シーン以外の歴史的な話や早大カヌー部員・武井さんの死を描いた章も興味深く面白い。
 一章では1924年にキングドン=ウォードの発言によって大滝探索熱が終わるまでのツアンポー探検史が書かれる。そして三章では1993年にツアンポー川の支流のポー川をカヌーで下るという撮影が行われた時に、激しい流れにさらわれて早大カヌークラブの人間が死亡したという出来事が語られる。その出来事をその死亡した人をメインにおいてに、関係者の証言を集めて、当時の状況を再現しながら書かれているが、この章一つだけでも一作のノンフィクションとして成り立っていて、その部分だけでもいい短編ノンフィクションとなっているので、十二分に関心を引かせてくれる。転覆した仲間を助けようとしての死だということで、転覆してもなんとか生き延びることが出来た仲間が、映像でその光景を見てその事実を知って、嗚咽をもらしたというシーンは泣ける。
 5章、その空白の五マイルは実際には22キロも残されていて、600メートルの高低さがあるため幻の大滝がある可能性も十分にあると著者も密かに思っていて、口に出さずともそれを見つけるのが夢となっていたが、そう思っている間に米国の探検隊にその大滝を発見されて夢破れ、意気消沈。
 誰も伴わず一人で現地に行き、ツアンポー「空白の五マイル」にチャレンジする。2002-3年の冒険では一旦目論見が甘く、当初の目的は失敗したが、幻の滝の下流部は詳しい記録や写真がないのでそこに行く。ベイカーら米国の探検隊後に残された最期の空白といえるこの場所に行くことを目標として再度のツアンポー挑戦。しかしその再度の挑戦をするときに泊めてもらっていた家の人をポーターとして雇ったが、そのポーター代を前払いしたあと、町に出て色々な生活用品などを買い込んでいる様子がなんだか微笑ましくてほんわかする。その挑戦で空白の五マイルのほとんど全域を踏破(行っていないところは残り2キロ程度)。
 09-10年、空白の五マイルの踏破行を試みる。中国側の規制厳しくなり、最初の数日分の行程は現地の人に案内してもらおうとしたけど、そうした規制の厳しさと狡い輩に騙されたということもあって仕方なしに最初から単独行となった。ただでさえ足場が悪いのに、本来チベットの冬は乾季のはずだがツアンポーではそんなこと気にせず、雨がよく降り、地面もぐちゃぐちゃ、寒さと雨で体力消耗。
 そうこうしているうちに行くも戻るも10日以上かかるところまで入り込み、あり地獄のように後に引けない状況になる。
 その間中1000キロカロリーほどの食事で、5000キロカロリー分の行動を繰り返していたため、体内の脂肪分が失われていた。わずかなアルファ化米で、2週間以上過ごす。
 自然保護政策で、移住させられたり橋が壊されたりしていたことで死にかける。ワイヤーブリッジを偶然にも発見できたことでなんとか人里までたどり着くことができ、なんとか死ぬことを免れることができた。