学問の春 〈知と遊び〉の10講義


新書479学問の春 (平凡社新書)

新書479学問の春 (平凡社新書)

内容(「BOOK」データベースより)

人々とその暮らしを、そして万巻の書物を、世界中を駆け巡りながら見つめ、繙き、考え続けてきた著者が、新たに学問の扉を叩く若者たちに、『ホモ・ルーデンス』を読みながら学ぶことの愉しみを語った―。どんな話が飛び出すか、山口先生の名講義、さあ、始まります。


 97年に著者が札幌大学で行った講義録を元に、著者自身が補足した本。こうした講義が本になったものはたとえ難しい内容でも、読みやすくなっているから結構好きだな。
 各講の終わりには講義ノートとして、その講で言及されていた重要と思われる人物、作品などに対する詳しい説明、注のようなものが置かれている。
 口語(話し言葉)で書かれる。
 構造主義、『簡単にいうとすべて世の中の物事はA対Bの二項対立で出来上がっている、という考え方』(P40)。

 人間生活、社会生活の原初など、世界各地どこでも、昔ながらの共同体(村など)に多くあった遊びの要素。いかに遊びの要素が含まれているか。
 各地の伝統的な社会、習俗の中から「遊び」の要素を見出し、それらの「遊び」が持つ意味を見る。かつて「遊び」の中で人は、危機と立ち向かうための技術を学んだ。「遊び」は過去の人々の危機に立ち向かうための知恵で、動的なものを作り出す装置。そして日常生活において失われた自己の全体性を回復させるもの。柔軟性を保つための方策やガス抜きなど、人間らしくあるためのもの。

 『遊びを難しく学問的に定義しなくても、自分たちが普段慣れ親しんでいる世界をずらすことでもう一つ別の世界を出現さえる方法と考えればいい。』(P52)
 言葉遊び、糞尿を絡めたものはスカトロジーというが、それに限らず子供は言葉でも泥んこ遊び好きで、ナンセンスな言葉遊びをするが、それは子供が本能的に持つ能力。そして、それを大人が意図的にまねるとナンセンス文学となる。
 『ホモ・ルーデンス』にでてくる、ラナ地方で結婚時に行われる、互いへの贈り物(交換)の風習。モノの交換は原初的なコミュニケーション。結婚の話が、昔話に多く出てくるのは結婚が交換の前提になる。結婚は『新しいコミュニケーションのネットワーク、つまり新しい世界が作られるきっかけになるから、世界中の昔話、神話に多いわけです。』(P78)
 『十代から二十代にかけては世界のどんな文化でも人間の精神に異常をきたすということがおこる。』(P102)。そうした青年の精神的に不安定な時期に関する文化として、シベリアではその頃にちょっと突飛な行動をとる青年を、神の命令といって森に連れて行く。そこで先輩シャーマンたちが訓練し、その中で知識や暗示を青年(新しいシャーマン)に与え、そうして新しいシャーマンは教育され、社会に再び戻ってきた。このようにシベリアでは、『文化の中で「狂気」に一定の地位を与えることがある程度制度化されていた』(P103)。
 新しい演劇が起きるときは口伝えで伝わってくる、例えば最初の狂言は即興だし、シェイクスピアも台本・本という形になったのは死後のこと。人間のパフォーマンスが一番生き生きとしているのは即興だから、『台本が発生するのは演劇でいえばある程度の後退の始まりであると考える演劇学者もいます』(P128)というのは、今まで考えたこともない視点だったからちょっと面白い。

 村など、ある集団が二つに分ける原始的二元論、世界各地で見られる。それは遊びなどの動的なものを生み出す装置、つまり危機に直面するための技術を学ぶための場を作るものでもあるということだろうか。

 文化は危機に直面するための技術。エーコ『文化の創造性というのは元々、危機を排除するのではなく危機に直面する技術である。』(P175)
 かつての日本の農村の青年式という若者小屋に先輩と閉じこもり、死と再生の疑似体験からセックスまで色々なことを教える。そうして普段と違う雰囲気で生活を共にすることで精神的な危機を克服するチャンスを得ていた。上述のシベリアのシャーマンもそのような意味合いがある。そして近代の日本では軍隊がその機能を担っていて、戦後の学生運動にもそうした意味合いを見出せる。そうして通過儀礼として危機に直面することで、外からの危機に対応する能力を身につける。
 学生運動など、ある種の演劇性をもつ、何ものかに変身して互いに荒々しく殴りあったりすることで社会が一時混乱に陥り、日常の時間がリセットされる。そうして危機を乗り越えることで、未知の危機に直面したときに乗り越える技術を個々人が学ぶ場となる。
 危機、大げさに考えずとも、青年式で克服せねばならぬ恐怖だけでなく、大学に入るための入学試験なども、人工的に与えられた危機としての役割を持つ。
 危機は何か意味のある秩序を解体するから、それに直面するとどうすればいいのかわからなくなる。そうした危機の場合に対応できるようにするものが、通過儀礼などの人工的に与えられた危機。
 ポトラッチ、アメリカ先住民の風習。贈与と破壊の一種の競争。ブリティッシュ・コロンビアのクワトキルで一番多く贈られたのは、毛布や良い服や壷などの貴重品をどんどん火に投げ込んだり、空に投げ捨てて割る。『自分の所有物を残らず棄ててしまって、そんなものはなくても俺はやっていけるんだ(からいばりだね)、と誇らしげに人に見せ付ける』(P203)「ホモ・ルーデンス」を抜粋したところの抜粋(孫引き)、()内は著者の言。
 そのポトラッチ、贈り物競争に敗れたものは勝者側にほとんど従属する。ポトラッチ、演劇的に争いの危機を再現する仕掛け、「危機に直面する技術」という性格も持つ。ポトラッチ、遊びであり試練。
 贈与儀礼での蕩尽、それは普通の経済行為の基礎にも潜んでいる。普段は倹約して、そうした特別な祭りや儀式の時に蕩尽する。ジョルジュ・バタイユ『人生の真の目的は、そういう祝祭の瞬間のために精神の昂揚状態の中で日常生活において失われた自己の全体性を回復させる、ということにある。』(P214)。