八月の砲声 上


八月の砲声 上 (ちくま学芸文庫)

八月の砲声 上 (ちくま学芸文庫)

内容(「BOOK」データベースより)

1914年6月28日、サライェヴォに響いた一発の銃声がヨーロッパに戦火を呼びこんだ。網の目のような条約で相互に結ばれた各国指導者たちは、開戦準備に奔走する一方で戦争回避の道を探るが、戦火は瞬く間に拡大する。情報の混乱、指導者たちの誤算と過信。予測不能の情況のなかで、軍の用意していた戦術だけが既定方針として着々と実行され、世界は戦争の泥沼に沈んでいった。―第一次世界大戦の勃発に際し、政治と外交と軍事で何がどう決定され、あるいは決定されなかったかを克明に描いてピュリッツァー賞に輝いた、戦争ノンフィクションの傑作。上巻はブリュッセルの陥落までを収録。

 第一次大戦の開戦前後を扱った歴史の本。読む前は第一次世界大戦の全期間を扱っているのかと思ったが、開戦して実際に戦闘が始まるまでに300ページくらいかかっていて、上巻の最後で8月20日にようやく至ったくらいだから、どうも開戦前の動きと戦争の序盤に焦点を当てて扱った本みたいだ。
 当時誰がどんな行動をとっていたかについての細かなエピソードやある人物の発言、ある人への人物評などの細々とした事実を丹念に拾い集められ、積み重ねられていく。『天候の状態、思念、感情、公的、詩的立場での精神状態の描写については、全部資料の裏付けがある。』(P23)。細部に神が宿るというが、そうやって細かな事実の描写、さまざまなエピソードが積み重ねられることによって、当時の社会の雰囲気や政治模様、軍事的情勢、当時の各国の王族、軍人、政治家の個性・性格が伝わってくる。
 細やかな実際の言動などを資料の山から掘り起こし、さまざまな国の多くの人物を活写。やや単純化しているようにも見えないこともないけど、こうした歴史の本では、人物がのっぺりとしてつまらないということが多いけど、この本ではそのようにその人物のキャラクターや背景などを把握できる人物描写がされているため、その種の退屈さとは無縁。ただ辛辣で皮肉な言葉を使っているので、それには最初のうちは少し違和感を感じなくもないけど、良くも悪くもその人物の個性的なキャラクターが把握できるのでいいね。まあ、そうはいっても登場人物が多いから、中々覚えきれないけど。でも、そうした各人物の人物評、人物描写(スケッチ)は、それだけでもいっぱい読みたいと思うほどちょっと魅力的で、それを読むだけでも面白い。
 そうした人物などを辛辣に評しているのは、小説あるいは昔の歴史書っぽいという印象を受けるが下巻の訳者あとがきを先にちらりと見てみたら、『『ローマ帝国滅亡』を書いたギボン、フランス革命を書いたカーライルも、徹底的に客観的だったとはいえない。要するに程度問題である。私見をもたない歴史家の書いたものは、時計が時を刻む音を聞くようで読めたものではない。』(「八月の砲声 下」P437)とあって、納得。たしかに客観的で味気ない事実の列挙より、多少私見が入った(とはいっても、最大限事実を積み重ねた上でのことだが)魅力的な語り手の歴史家の文章のがずっと面白いし、頭に入るものね。
 1910年、各国の王族が集結した英国王の葬式の場面からこの歴史書は始まる。ドイツのカイゼル(皇帝)。
 当時(1910年頃)、経済の面で各国は結びつきを強めたから、もはや戦争は起こらない(現代でもこの種の主張はなされるが、この頃でも既に)と書いた『大いなる幻想』が11ヶ国語に翻訳されるなど、ブームとなっていた。一方で1911年には出版した『来るべき戦争』という、戦争不可欠とする本も出て、それも『大いなる幻想』に劣らぬ強い影響力を持った。
 参謀総長モルトケ1906年に皆瀬ルに向かって『こんどの戦争は決戦では片づけられない、国家総力戦になるでしょう。』(P68)と話した。それは後から見れば実に的確な見通しだったのだが、それは参謀本部の性格に反するものだったこともあるのか、流されやすいのか、結局他国と同様に長期戦争への努力を全くしなかった。
 開戦前、フランス軍に士気を重要視する、そして防衛戦よりも攻勢戦という思想が蔓延。フランスのその理論、ロシアでも人気を博す。
 フランス、ドイツ軍は右翼に強大な戦力を配置し、包囲作戦を企図しているという情報を次々得ていたにもかかわらず、その配置する人員の規模が大規模すぎて、ペテン情報として無視。また、当時のフランスにとって、ドイツがベルギーの中立を侵し、英国の介入を招くようなまねをすることは予想外なことだった。
 とはいっても、その後ベルギーに侵入したときには英国が軍隊送って、フランスと共同作戦をするため計画が作られ、英仏海軍協定が結ばれるなどしているので、全く予期していなかったというのことでは全然ないようだが。
 ロシア、鉄道網未整備で早期動員できない状況。しかしフランス、ロシアへやや過大な期待抱いていた。
 開戦不可避になったことで、フランスのブラックリストに乗っていた煽動者や無政府主義者反戦主義者、スパイ容疑者の8割が自ら軍に志願してきた。
 英国、中立を守るべき、他国の戦争に介入するのは避けるべきとする勢力根強く、まず内閣・国論がまとまるまでが大事。それにはまず、何はともあれドイツのベルギー侵入が必要だった。
 ベルギーでは戦争が始まるまで軍は人気のない存在で、軍事関係のさまざまなものをなおざりにしていて、軍の質も低かった。ドイツ軍と対決することを決め手から一気に人気が高まる。そしてベルギーの国内世論が対ドイツへの士気があがっているが、そもそも戦争にむけて大きな備えもしていなかったこともあり、開戦直前に軍の配置をどうするかでバタバタ。
 英独仏の軍事的指導者、それぞれ長期戦予期しながらも、実際に長期戦に向けての計画を立てたのは英のキッチナー伯のみ。可能性を予期しながらも、短期決戦で終結するほうにチップを賭けた。
 イタリア、オーストリアセルビアへの攻撃を侵略とみなして中立を守る。イタリアの中立によって、フランスはイタリア国境で警戒しなければいけなかった8万の兵力が浮く。
 もとから強固な結びつきがあったわけではないが、大義名分がなければ中立や強い結束がなく事を起こすとしかるべき大義名分があれば味方してくれた勢力が中立に回ったり、中立を守ったかもしれない勢力が敵に回ったりしてい。
 そうした国際関係的に自ら首を絞めているドイツ・オーストリアの様子は、自国から見てだけでなく、国際的に見て正当であるとみなされる名目(大義名分)をつくる重要性と、無理筋で強行に進めていくのが割りに合わないということを教えてくれる反面教師。
 トルコが英国に注文していた戦艦二隻、断らずに戦争の危機があるからと勝手に徴収し、補償問題にも触れない、トルコをなめた対応。トルコの価値を戦艦二隻よりも低く見積もったそうした対応のせいで、トルコはドイツと同盟を結ぶ。トルコ、英国にとって地理的にきわめて重要な場所だったにも関わらず、その重要性をトルコをなめすぎていて、英国認識していなかったためトルコを中立を守らせることも十二分にできたことなのに、みすみす敵方につかせる結果となる。
 ただ、そうあっさりとドイツに鞍替えをしたわけではない。ドイツが戦艦2隻、トルコへ移動させ、そしてそれはトルコへ売ることになった。その後、トルコは宣戦布告を引き伸ばし、連合国相手には中立保持の対価を吊り上げていたが、その戦艦は売却されたがまだドイツ海軍の人が乗っていたため、彼らがトルコの旗で攻撃を加えることで最終的には半ば強引に戦争へ引き込んだといえるが。
 ベルギーは当然のことながら自国を守るために、軍隊の壊滅避ける動きを見せるが、フランスは自軍の戦略に従うよう求めるなど、なかなか足並みそろわず。しかしベルギーにそうして自国と自軍にリスクを侵せと言っている一方で、フランスはそっち方面に兵力あまりそそがず、逆方面(仏軍右翼、独軍左翼)で普仏戦争でとられたアルザスをとりにいって「回転ドア」のような感じで、独仏互いに攻勢をかけている状況なので、それでそんなことをもとめても当然、断られるわな。
 開戦前はベルギーは弱兵で、ドイツを素通りさせず対決に踏み切ったことを、ドイツから「夢見る羊」と表現されていたものの、初戦で見事な勝利を収める。しかしそれでも戦力差をしっかりと見極めていた、王ら攻勢の誘惑に屈さず、堅実に、都市を明け渡すなど大きな犠牲を払っても国家滅亡にならないようにしっかりと引くべき所で引いた。そして強力な大砲が前線に到着したことで、初戦でドイツ軍に多くの屍をさらさせた要塞もドイツに攻略されていったので、その選択は正解だった。
 フランス軍は開戦当初、アルザスを一時奪還するものの、あっさり取り返される。
 開戦当初、中々ドイツ右翼の大勢力の情報を、それと対する仏軍の将軍ランルザックは強い危機感を持ってその事実をさんざん注進していたにもかかわらず、楽観に目を曇らせた大本営は、事実であると信じなかった。
 英国の軍指導者キッチナーの慧眼は、長期戦を見抜き、それのための準備をすることを開戦当初から述べる。ただ、彼を閣僚に加えたのは、その意見を尊重したからではない。むしろ政府の人間としては、彼を遠ざけてくれたほうが満足だったかもしれない。しかし高い名声を持ち、大衆を鎮めるのに不可欠な唯一無二の存在だったから、英国にとって幸いなことに、この危難の時にふさわしい慧眼の人物が軍のトップ陸相に据えることができた。
 ベルギーのゲリラ戦とドイツの村々への乱行。ゲリラ攻撃を受けたら村を焼き払ったり、道中で襲撃されたら連帯責任で村や町の人間を殺害する(当然国際法違反)。ヨーロッパ舞台の戦争である第一次世界大戦でも、こうしたことをしていた(しかも戦争序盤に)とは知らなかったのでちょっと意外だった。そして、ベルギーのドイツ嫌いってこっからか。なるほどなあ。