坂東俘虜収容所物語

内容(「BOOK」データベースより)

第一次大戦の青島で捕われの身となったドイツ兵捕虜九百三十九名を私淑させ、畏敬させた板東俘虜収容所長松江豊寿。そのヒューマニズムを軸に、日本で最初に「第九交響曲」を演奏したドイツ捕虜と日本の若者たちの管弦楽団の逸話などドイツ兵と四国徳島板東の人々との民族を越えた人間愛をえがいた感動の物語。


 映画「バルトの楽団」の番宣だかその映画のテレビ放送だか何かでこの収容所の存在を知ったときからこの場所について詳しく知りたいなとは思っていた。しかし中々詳しそうな本が見当たらなかったが、最近ようやくそのことが詳しく書かれていそうなこの本の存在を知って、ようやくこの場所に着いての本を読むことができた。
 文庫で二段組にしているのは珍しいし、それにこのくらいのボリュームでそうしているのはなお珍しいな。
 最初のプロローグでこの本を書くこと決めた理由が書いてあるが、それでは日本では俘虜は存在すら戦史から締め出された捕虜とは何かというテーマから書き始めたので、単なる日本のいい話とは違うのがいいね。これが日本人捕虜についてではなく坂東俘虜収容所になった理由も、日本の捕虜についてはろくに記録に残されなかったから日本と関係がある第一次大戦時に青島を攻略したときに出たドイツ軍の捕虜を描いたということのようだ。
 しかし第二次大戦とそれ以前の日本の戦争を引き比べて、祖国が敗北していたら、捕虜になった人間に対する風当たりも弱まるどころかむしろ同情されるとは皮肉だなあ。特にこの本で扱われるドイツ兵たちのように祖国の勝利を確信しているのを見ると、誰しもそういった祖国の勝利を捕虜の身になろうと切願するはずだから、その祖国の勝利と自分の帰ったときの風当たりという利益は合致しないというのが、ね。
 当時のドイツの一般市民や軍人問わず、高い階級にいるような人を除いて英国に騙されて日本は参戦したと思っているし、そう直接日本人に言っているのは、なんだか良心がズキズキと痛むよ。
 時系列でその当時の戦況も随時挟んでいて、それを新聞報道などで知った捕虜たちの浮き沈みの反応が見られるのはなかなか興味深い。しかし最後まで皇帝とヒンデンブルグ元帥のことを信頼し、強い敬意を抱いているのはちょっと意外だな。しかしヒンデンブルグは敗れても英雄のような待遇で国民が扱っていて、敗戦直後に地元に帰ったら熱狂的な歓迎にあったというのは驚くわ。
 坂東俘虜収容所は戦争が長期化しそうなので、捕虜を得てから2年くらい経って、新たに捕虜を収容する建物を建設して、四国に散在する収容所を一箇所に統合することが目的に作られ、そこから3年あまり使用されたようだ。この収容所はわりと最初からあったと勘違いしていたが、2年も経ってから作られたものだったのか。しかしいつ終わるかわからないから仕方ないかもしれないけど捕虜のためには建物作っても、それを監視する日本の軍人は市内の家に分散して宿泊するというのは日本が特別ケチなのか、それとも他の国でも似たようなものなのか、どうなんでしょうかね。
 日露戦争のときのロシア軍の兵士たちとは違い、第一次世界大戦のときに捕虜にしたドイツ人は予備役の召集兵や義勇兵が約半数を占めていて、技術者が多くまたインテリも少なくなかった。そのため、日露戦争のときとは違い捕虜に公演や指導をして貰って色々な技術を教示してもらっていた。
 この収容所の所長であった松江大佐は会津人で、国替えをさせられて貧弱な土地である斗南に移った時代に生まれた人だから、降伏した者の悲しみを知っている。それなので部下たちに「武士の情け」を根幹としてドイツ人俘虜たちを取り扱うという方針を定めた。
 捕虜たちはドイツが勝つという確信を持っていたから、捕虜であっても彼らは堂々としていて実に見事に己を律していた。そして以前の散在していた収容所から、坂東俘虜収容所に移るときに、命じられていないのに立つ鳥あとを濁さずということで収容所内外の掃除を自発的にやるなど実に規律正しく礼儀正しい人たちだった。しかし捕虜たちの収容所内での生活のエピソードがアクセスできる資料的に当然のことかもしれないけど少ないというのはちょっと残念だ。こういう収容所とか監獄物は個人的に収容された人の普段の生活の視点での描写を見るのが、この種の本の白眉であると思っているので残念だ。それがなくても十分以上に面白かったけど、それがあったら最高だったのに。捕虜たちの動静について記した報告書や面会の記録が残されていて、それらが引用されていたが、それらを読むことで当時のことが良く知れてとても興味深く面白かった。たまあに報告書の中に蛇足として、それを見た日本人の証言を総合すると巷で言われるほど性器は巨大ではないとのことです、というようなくだらないこと報告として真面目に書いてあるのは可笑しくてたまらない。
 ある少佐は年齢が年齢だし騎兵科で徒歩での行軍もしないから徒歩行軍は厳しいと主張して、その主張を受け列車での移動を許可すると、他の兵士たちが腹痛とか下痢とか頭痛と言い立てて乗車許可を与えて欲しいと訴えたという挿話はコミカルで面白い。
 クリスマスにケーキを所長の松江たちのところに持ってきてプレゼントしていることには、いい関係が気づけているようでほっこりする。またそのケーキは本職の人が作ったもので、それを将校たちが各家庭に持ち帰ったら(それも微笑ましい)、好評だったので将校夫人たちが、そのケーキを作った人に講習を受けることになった。
 しかしフランス語を話すアルサス・ローレン地方出身者の捕虜たちは連合軍が勝ったらフランスに編入されるとわかっているから、ドイツの戦況が芳しくなくなってくると、普通のドイツ人との間に隙間風が吹いてくる様が描かれているのが興味深いなあ。まあ、その他にもドイツ人じゃないという特殊捕虜が何故か、当時ドイツ領だったポーランド人以外にも、何人かいるけどね。
 日本が本格的な激戦地には参戦していないという事情があったにせよ、第一次世界大戦の他国の俘虜収容所には有刺鉄線や見張り台に機関銃が備えられ、強制労働があって食事も粗末だったということだから、坂東俘虜収容所の扱いは当時としては結構異例の好待遇をしていたのね。
 元捕虜の人の一通の手紙からバンドウにいた人たちがドイツに帰還してから「バンドウを偲ぶ会」を作っていたことを、第二次世界大戦後に町の人たちが知り、それから町の人たちがかつての収容所があった時代のことを、そのころの活気のあった町の様子を鮮やかに久しぶりに思い出し、半世紀の時を超えて日独間の交流が活発になっていくのを見るのは読んでいるだけで嬉しくなってきてしまうな。当時の収容所が壊される前に、その収容所を見に来た元俘虜の老人がその収容所のフシ穴を見て、そこに規則違反の私物品を隠していたことをしみじみと思い返すエピソードはなんだかいいなあ。