ふぉん・しいほるとの娘 上

ふぉん・しいほるとの娘〈上〉 (新潮文庫)

ふぉん・しいほるとの娘〈上〉 (新潮文庫)

内容紹介

幕末の長崎で最新の西洋医学を教えて、神のごとく敬われたシーボルト。しかし彼は軍医として、鎖国のベールに閉ざされた日本の国情を探ることをオランダ政府から命じられていた。シーボルトは丸山遊廓の遊女・其扇を見初め、二人の間にお稲が生まれるが、その直後、日本地図の国外持ち出しなどの策謀が幕府の知るところとなり、厳しい詮議の末、シーボルトは追放されお稲は残される。

 マンガ「風雲児たち」でシーボルトの娘である楠本イネについてかなり描写があったので、それで興味を持っていたので、大部の長編であるこの小説を、まずは上巻だけだが、読了。いやあ、結構前から気になっていたけど、その厚さに気おされてなかなか読み始めることが出来ていなかったけど、ようやく読み始めることが出来たので良かった。
 上巻ではシーボルトと遊女でシーボルトの妻になった其扇(お滝)の話に半分が割かれている。その後も時間を大幅にスキップすることがないからイネの子供時代を描き、14歳になったイネがシーボルトの忠実な弟子である二宮敬作の下に勉強の修行に行く、伊予国までの旅の道中が書かれ、二宮に対面したところで、結局蘭学・医学の勉強を本格的に解する直前でとりあえず上巻はおしまい。読む前は上巻からがっつりイネの話かと思っていた。しかし上巻は彼女がメインでなく、シーボルト帰国前はシーボルトがメインで、シーボルトが帰国してから、二宮の下へ行くために旅に出るまではお滝がメインで話が進む。
 冒頭に遠見番のことが書かれているが、異国船の出入りを監視する遠見番が交代要員も含み何人も居て、船を見かけたら狼煙を上げる。そしてその狼煙を監視する番所があり、そこもまた狼煙を上げる。そうした狼煙を中継する番所がいくつもあるのは、外国船が来るのを見張るためという意味合いもあるにせよ、労働力の無駄遣い感があるなあ。まあ、基本的に警備なんていうのは、そのようなものだといわれればその通りなんだけどさ。
 ドゥーフは日本で生まれた息子丈吉のために多額の金銭を残し、また嘆願書を書き、高価な白砂糖を大量に(2180両分!)差出し、彼が育った後は長崎の地役人として欲しいと訴えた。その嘆願が実りで後に丈吉は14歳で役人として召抱えられたがその3年後に病死した。若くして死ななかったら、どうなっただろうと色々と想像することができる人なので、早世してしまったのは残念だなあ。
 ちなみに遊女との間の子供でも7歳までしか出島内に出入りすることができないという決まりがあったとは知らなかった。
 シーボルトがまず出島の外に出て診察し始めたときはシーボルト27歳、美馬順三29歳(一番弟子・後に病死)、二宮敬作20歳、高良斎25歳(シーボルト帰国時に高良斎と二宮はお滝・イネの母子のことを特に任されるほど信頼されていた)、石井宗謙28歳(下巻で描かれるだろうが、後になんやかんやある人)とほとんど同年代くらいの人たちを弟子にしていたのね。
 毎年恒例の絵踏みの行事の時に遊女たちは華やかに着飾って美を競い合う。その時に馴染みの人が衣装代として金を出して衣装を買い与えるということだが、オランダ人相手の遊女もオランダ人がそのための衣装を買い与えるというのは、なんか色々とそれでいいのかという気がしなくもないな。まあ、一応オランダ人はキリシタンじゃないという体になっているし、オランダ行きの遊女もキリシタンの疑いが他の遊女よりもかかりやすいと思うから自衛のためであり、なじみの遊女を守るためという合理的な理由も一応あるのだろう。しかしそれが恒例になっているのだから、当然のこととして絵踏みだけど、華やかに着飾る行事だから、遊女の(またはその馴染みである自分の)面子のためにいい衣装を着せたいという思いだけで、そんな難しいことを考えずに高い衣装を送っているオランダ人もいるのだろうなあ、きっと。
 シーボルトの出島の外での治療(屋外)、出島の外での治療(屋内)、そして学塾の創設といったものが幕府からぽんぽんと許可を貰っているのは、思いがけぬとんとん拍子で改めてみると、何でこんなに信頼されているのかと不思議になるほどだ。やはりオランダの有名な外科医と吹いて、そんな彼をオランダは幕府のために派遣してくれたと思わせたのが効いたのかな。
 しかしシーボルトは大胆不敵で魅力的だ。しかし反面それが日本(幕府)を馬鹿にしているようにも思えるところもあるから(例えば関門海峡を計測して、この海峡をファン・デル・カペルレン海峡と名づけ、役人はオランダ語が読めないことをいいことに、オランダ語で「ここは、ファン(中略)海峡である。」なんてことを書いた絵馬額を阿弥陀寺というお寺に掲げた)それが難点だ。まあ、そもそもが日本との貿易に役立てるためであってもやっていることはスパイのようなものだから、いまいちシーボルトの活動を好ましく思えないのだよ。
 シーボルトが弟子の美馬に日本の産科についてオランダ語で論文を書かせて、それが後にシーボルトの手でドイツ語に訳されて産科雑誌に掲載され、またそれがフランス語訳されて雑誌「アジア」にも載ったというのは、江戸時代に本人知らない間に欧州の雑誌にその論文が掲載されたというのはとても面白い。
 シーボルトと商館長のスチュレルが対立したときに、スチュレルが些細な過失も許さず叱責していたので、シーボルトの周囲に集まる傾向があったとは意外だ。この2者の対立については「風雲児たち」で知っていたが、外に出ることの出来るシーボルトに嫉妬して、スチュレルのほうに集まっていたと思っていた。
 眼科医土生玄碩は当時西洋でも使われていた目の手術と同じ、膿除去の小峰鍼法や穿瞳術という技術を独自に発明していたというのはすごいな。彼はシーボルト事件のせいで全てが没収され無一文になり、天保8年に減刑の恩恵を得て永蟄居になったが、家族との面会は許されず拘禁状態で、ようやく家族との交流が許されたのは82歳のときだったが、その後も医業を開業することは禁じられた。とあるけどwikiとは大分違うねえ。吉村さんが書いているんだから、wikiの方が誤っているのかなあ、それとも弘法も筆のあやまりであるのかどっちであろうか。
 前代未聞の大暴風雨の直撃により、出島もオランダ船も被害を受けたことで出港が遅れて、その遅れた期間にシーボルト事件が発覚したというのはなんというタイミングだろうか。
 其扇さんはなかなかシーボルトに愛情を持っていないのは淡白ね。彼女がシーボルトに本当に愛情を抱きはじめたのはイネを生んだ後に、シーボルトが地図を収集していたことが発覚した後、その事件の詮議がはじめられて彼の弱っている姿を見て、そこではじめて愛おしさを感じたのだから、相当遅いな。
 日本から出立していった後にはじめてお滝に手紙を書き、贈り物を贈るのと同時に、石井宗謙にも医学書が3冊送られているのはちょっと驚いた。後のことを考えると、石井に恩知らず、恥知らずと思わず罵りたくなってしまう。
 其扇(お滝)の姉お常もオランダ行きの遊女で、彼女もまた女児を生んでいたというのは知らなかった。しかしお常は胃の病によって血を吐いて娘が幼い頃に死亡し、娘のタマも8歳で風邪をこじらせて逝去したようだ。
 あと、おイネに胤違いの弟がいたことも全く知らなかったよ。
 しかしお滝さん、独り身でいることが難しい時代とはいえシーボルトが日本を去ってから数年で再婚しているのはどうなのよ。再婚相手の時治郎もいい人というか自分に自信がないから、彼女のシーボルトへの思いを認めているからといって、その思いを表に出すというのは彼がかわいそうだな。
 「風雲児たち」ではシーボルトは其扇(お滝)が再婚したことを幕末に再来日するまで知らなかったという設定だったと思うけど、お滝さんは実際には再婚したことを手紙で(通詞の人に訳してもらって)報告していたようなので、そこはちょっと驚いたな。
 イネの年少の身であり、母であるお滝が女に学問なんて必要ないといって、何度言っても決意を変えないため母に打擲されたこともあるのに、それでもまだ意思を変えず一途に学問を志して、学問をしたいと心底願っていることには胸を打たれる。