定本 百鬼夜行 陽

定本 百鬼夜行 陽 (文春文庫)

定本 百鬼夜行 陽 (文春文庫)

内容(「BOOK」データベースより)

人に見えないものが視える。闇の中に、他人の恐怖が悔恨が苦痛が悲哀が―視えてしまう。そんな男、榎木津礼二郎にとりついているのは魚の眼だった(「目競」)。『狂骨の夢』『絡新婦の理』『邪魅の雫』他の名作、そして『鵺の碑』に登場する者たちの闇と因果を綴る怪異譚。魔術的な語りの果てに―妖しきものが現れる。初文庫化!

 この本と同月発売された「陰」は講談社文庫に入っていたものが、文春文庫で再文庫化となったもの(「定本」とついているから、もしかしたら何らかの修正はあるのかもしれないが)だが、こっちの「陽」は初文庫化の作品のようだ。最近再読もしていないので、百鬼夜行京極堂)シリーズを読むのは久しぶりで、そのため一応確認はしたけど本当に初文庫化かなとちょっとおっかなびっくりしていたわ(笑)。
 これは短編集、長編のサイドストーリー集で、以前長編に出てきた脇役、彼ないし彼女の人物を描写した短編、もしくはいまだ出ていない次の長編「鵺の碑」のキャラにスポットをあててその長編の前振りをしているような短編が収録されている。あとは最後に榎木津主役の短編があり、そこでは彼が自身の能力とどう向き合ってきたかについて、子供時代からの話が書かれる。
 やっぱりこの人は、人との関わりが拙かったり、暗い心の内を抱えている人の内面描写が抜群にうまいし、文章もめちゃくちゃ読みやすいなと再確認。
 だから、主役級のキャラが登場しないし、久しぶりに読んだからどこで出てきたのかも忘れたようなキャラを描いた短編でも、明るい雰囲気の話でもないのだが、スラスラと読み進めることができる。ただ、そのおかげで、いまいち感想を書くとこが見当たらないのだけど(笑)。
 とりあえず次の長編となる「鵺の碑」では、昭和28年(1953年)の日光を舞台として事件が起きるということはわかったわ。
 榎木津の短編「目競」を見ると榎木津の兄が外国人向けの日光の保養所を持っていると書いてあるから、「蛇帯」で書かれた女中(メイド)たちが働いていたのはそこか。
 『寧ろ、出来るだけ主観を排除して記録された――その明細のようなものの方が、想い出には忠実なのですよ。但し、想い出を持った者が繙く場合に限るのですが』(P30)という京極堂の台詞はちょっと意外だけど、なるほど。
 『愚かだ。/ 大鷹篤志の脳裏にはそうした自虐とも自戒ともとれる言葉が渦を巻いている。否、それは言葉と云うほど瞭然(はっきり)としたものではない。未だ言葉になり切っていない、先取りされた後悔の如き曖昧な気分でしかなかったのだけれど。』(P71)こうして表現しにくいものを、「先取りされた後悔の如き曖昧な気分」というようにそういわれればなるほどと思える言葉であらわしてくれる表現を見つけるのはなんかうれしいよね。