図解 フロンティア

図解 フロンティア (F-Files No.042)

図解 フロンティア (F-Files No.042)

内容(「BOOK」データベースより)

「臆病者は出かけなかったし、弱虫は生き残れなかった」アメリカの自主独立精神の根幹ともいえるスピリッツを学ぶ一冊!

 アメリカの西部開拓時代、西部劇とかもあって物語の舞台になる有名で独特の文化のある時代だということは知っていたけど、あまり映画見てこなかったので西部劇は全くと言っていいほど見たことなかったので、魅力的な物語の舞台である時代だというイメージあるこの時代について知りたいなと思って読了。
 当時の有名な悪漢やアウトロー、豪傑についての触れられている項もいくつかあり、終わりの方の2ページで当時の悪漢達を幾人かについてまとめてあるなど、そうしたその時代の有名な悪漢たちの尖ったエピソードを知ることができたのはありがたい。
 『一般にフロンティア時代といえば、1860年代に始まり、1890年の国勢調査局長による「フロンティア消滅宣言」までの期間を指す。』(P3)有名な時代だからもっと長い期間あったのかと思えば、30年足らずの短期間を指した時代だというのは知らなかったのでちょっと驚き。
 ペミカンは肉と脂肪を基本とした保存性に優れたインディアンの携帯食(現在は登山や寒冷地探索で、探検家も使用している)、肉・脂肪以外にドライフルーツやナッツや種などをあわせて作られることもある。上質なものは脂肪分の少ない肉と骨髄の脂肪で作られる。
 カウボーイが活躍したのはゴールドラッシュの50年代から80年代まで。当時の少年達の憧れの的であったが、民間では最低レベルの給料。この職業が人気になったのは南北戦争時に、南軍が劣勢になった時軍糧として牛を運ばせるのに危険となったから、『業者は軍補給部隊と同等の武装と働きをするようになり「カウボーイソルジャー」と呼ばれた。カウボーイはこの時点で誇らしい仕事となった』(P38)。
 西部の無法者(アウトロー)の起こりは、失業中のカウボーイ。
 ビリー・ザ・キッド。はじめて有名になったアウトローということだけど、アウトローの有名人について私がこの時代について疎いということもあるけど、名前は知っているのはこの人くらいだなあ。
 フロンティアでは『人口がある程度不得手からでないと警察や裁判所は設置されなかった。こうした辺境には保安官の手すら及ばず、住民が自警団を組織して犯罪に対処していた。』(P20)そして自警団で犯罪者を裁くときにはリンチされたり、過激な刑罰が課されやすかった。自警団の中で一番有名なものに現在もあるテキサスレンジャーがあり、彼らのメンバーが『ブーツ、ベスト、ステッソン帽かソンブレロという典型的なカウボーイスタイル』を確立した。またテキサスレンジャーはメキシコ大判銀貨を加工したバッジをつけていて、それを真似して保安官バッジやアクセサリーが銀貨を加工して作られるようになった。
 兵士は民間最低レベルのカウボーイの半分ほどの給金。ただし衣食住が保証されているのが救い。
 フロンティアのバーテン、清潔な衣服着て紳士的な態度だが、酒場は物騒なので腕っ節も強い人物だった。
 開拓当初、西部には法律がなかったというのは何というか――すごいな。
 カウボーイ、ウエスタンブーツのヒールを高くするのが粋であるとして高いヒールを履くのが流行となって、『ついには歩けないほど高いヒールを履くカウボーイも現れ』(P64)た。ヒールというのは女性的イメージが強いから、ギャップがあって思わずほほえましく思ってしまう。
 当時の製造加工技術では銃の命中精度低く『拳銃の場合、10メートル先の人間に当たれば達人とされた。』(P74)
 当時の私立探偵は犯人の捜索や逮捕、警備から銃撃戦までこなす。探偵といってもミステリーの探偵というよりも傭兵的な存在。当時まだ連邦警察がなく、保安官は州を越えて活動できなかったので、ただ私立探偵のみが全国で犯罪者を追跡できた。ただ、相当あくどいような手もつかっていたようだけど。有名な私立探偵社ピンカートン社の操作テクニックや実績を参考にして、米国政府はFBIを創設。ピンカートン社は社名を変えて現在警備会社となる。
 ワイルド・ウェストショー(WWS)有名なガンマンやインディアンをスカウトして、彼らの射撃や乗馬を見たり、彼ら自身が関わった有名な事件の寸劇を演じさせて盛況を誇った。ジェロニモヤシッティング・ブルといった超有名なインディアンも在籍。
 コーヒー常備品だが、ないときはカボチャの種をこげ茶色になるまで焼いたものから作った「コーヒーエッセンス」などを飲んだ。コーヒーエッセンスは『本物のコーヒーより香りが強くて人気があった。』(P134)
 大量にいたが過剰な猟で20世紀初頭に絶滅したリョコウバト。最盛期は50億羽と世界で最も数が多い鳥だったが、群れが木の枝で休憩すると重みで木が折れ、また木の下が糞だまりになってしまうことや繁殖期に数千万羽が森に集まり、去った後の森はボロボロで回復に数年かかることもあって害獣扱いされ駆除される。ただし肉は美味で食用にされていた。
 西部、鉄道工事に中国人労働者が奴隷並の扱いで使われていた。脱走帽子にひたいに会社の焼き印を押されたって本当えぐい。
 インディアンジュエリー、1850年代後半に白人やメキシコ人の銀細工に魅せられたインディアン、ナバホ族のアツィディ・サニがメキシコ人銀細工師から教えを受けてからはじまり、そこから広まる。
 トウモロコシと三姉妹。インディアンの伝統農法で、まず肥料を埋めて、その上にトウモロコシのためを撒き、トウモロコシが発芽したら周りに豆を植える。豆はトウモロコシの茎に巻きつき成長。その後、畑のあちこちにカボチャを植えて、そのカボチャの葉が土の湿りを保持しつつ雑草を防ぐそうした一つの畑で三種類の作物を栽培する伝統的農法があった。
 そしてインディアンはトウモロコシの皮や穂軸などもさまざまに利用したというのは、なんだか日本での稲藁の利用みたいね。