改訳 アウステルリッツ

改訳 アウステルリッツ (ゼーバルト・コレクション)

改訳 アウステルリッツ (ゼーバルト・コレクション)

内容(「BOOK」データベースより)

ガラスの檻に囲われ、薄暗い灯りのしたで倦むことなく一切れの林檎を洗いつづける洗い熊…。冒頭まもなく描かれる神経症的なその動物のように、憑かれたようにみずからの過去を探しつづける男がいる。全米批評家協会賞受賞作品。 --このテキストは、絶版本またはこのタイトルには設定されていない版型に関連付けられています。


 <私>がアウステルリッツのさまざまな話、『時代のイデオロギーを体現した巨大建造物によせて語られる、十九世紀から二十世紀にかけての近代の歴史のさまざまな断片。前へ前へと進んでいく時間の流れの中でくり返されてきた暴力と権力の歴史』(P292)についての話や少年時代の話、中年になってはじめて知った自分の出生についての話を聞く。アウステルリッツの連綿と続く彼の語りがほぼ全てで、<私>は彼の語りにひたすら耳を傾ける存在。
 建造物についての戦争に絡んだ話多いし、出生の話も無意識に記憶を封じ込めていたが、実はチェコから来たユダヤ人で、母が第二次大戦時に彼を英国へ逃がした。その母は(そして父も)、収容所で死亡しただろう。彼の年がいっているから、両親と生き別れて再開なんて物語みたいなハッピーエンドがないだろうが過ぎてしまった悲劇で終わってしまった物語を哀愁を漂わせながら知ろうとする。
 『ゼーバルト作品は、小説とも、エッセイとも、旅行記とも、回想録ともつかない作品である。いずれの作品にも、ふしぎなオーラを放つ写真がちりばめられるなかに、著者自身を想起させる伝記的事実をもった<私>が登場する。(中略)ゼーバルト自身が、彼の作品を「ジャンルを特定できない散文作品」と読んでいた。』(P295)何か以前からこの本を読みたいと思っていたが、どうしてそう思ったんだろうと思ったりもしたが、たぶん、どこかのブログの感想でこういった話を読んで変わった作品だと興味を持ったんだと思う。でも、意外と小説っぽいというか、詳しくないけど現代文学ならこうした感じのもあるのかなあという感じ。まあ、最後にあとがき見るまで、何で興味を持ったのか忘れていて小説だと思い込んで読んでいたからかそう思っただけかもしれないけどね。
 語り手でこの本の主役であるアウステルリッツは、綿密な取材をして、数名の実在の人物を混ぜて作り上げられた人物で『表紙を飾るふしぎな幼時の写真も、インタビューによれば、この作品のモデルのひとりとなった、イギリスに実在する建築史家の幼少時のものであるとのことだ。』(P295)
 67年に旅行中のアントワープで<私>はアントワープアウステルリッツと出会い、そのときに交流を深める。しかしその後もしばらくロンドンに行くたびに建築の文化史研究学者である彼のもとを訪れて、彼の話を聴いていた。しかし<私>がドイツに帰国した1975年以降、彼との交流は自然となくなっていたが、1996年に偶然によりロンドンで再会を果たす。
 その再開時にアウステルリッツは『誰か、彼がついこの数年に探りあてた彼自身の来歴に耳を傾けてくれる人を見つけなければならないと思っていた』(P43)。話し、吐き出さなければならないほど、大きな出来事、自身の過去の発見。それを抱えていたアウステルリッツは子供時代のことから話しはじめ、<私>は聞き役として彼の話を受け止め、聴くことになる。そのためひたすらに彼の回想の語りが続き、それを傾聴することになる。
 子供時代は少し変わった牧師夫妻に育てられた。彼の少年時代に、養母が亡くなり、それを悲しみ牧師の夫も精神病にかかる。そのため寄宿学校入学時に校長が養父母から聞いていた、「アウステルリッツ」という名字と戦争前に里親のもとに引き取られたという事情を、校長が彼に明かすことになり、それ以上の自身の来歴を知ることは長らくなかった。
 彼は自身の出生を知る前から聖書の挿絵で描かれていた『荒野の山中にあったヘブライ人の宿営地は、日に日に不可解になっていくバラでの生活より私にはよほど身近に思えたということです。』(P54)自身の過去を抑圧していてはっきり意識しなくとも過去の薄らいだ記憶が、(収容所のような)厳しい場所でも自らを知って家族や同胞とあるほうがいい(あったほうがよかった)とそう思わせたのか。
 寄宿学校で上級生になった時に通例どおり、雑用係としてつけられた下級生ジェラルドとの関係はいいな。ジェラルドが精神的に参っていることを知って、普通の上下関係でなく友達関係のような付き合いをして、周りから白い目で見られながらもそうして親交を深めたというのはいいな。そしてその後、長期の休み期間ではアウステルリッツは、ジェラルドの家で彼や彼の伯父たちと共に過ごすことになり、アウステルリッツは牧師夫妻の家では感じなかったもう一つの家族としての心地よさを感じる。そしてジェラルドとは卒業後も彼が飛行機事故で亡くなるまで、付き合いを持ちつづけていた。
 自身の不明の素性と関わる物事を聞き知るのを無意識に恐れていたのか、新聞を読まず、ラジオも決まった時間にしかつけなかった。そのことが知らず知らずに負担となって、理由のわからず心が塞がれて、しばらくの期間何もできない状況が続いていた。
 しかしあるときなじみの古書店の店内にかかっていたラジオでふいに子供だけの特別輸送でナチス支配下から脱出させるためにロンドンに送られた子供たちの話を耳にし、自分はそれでチェコからロンドンに来たのだと不意に理解する。
 故郷であるチェコに戻り、子守役を務めていた女性ヴェラが健在でかつての彼ら一家が暮らしていた家に、彼女も思い入れがあり、その家具などの配置もかえずに、そこに住んでいた。きチェコに来る前にチェコ語の勉強をしていたときにはまるで馴染みのない言葉だと思っていたが、ヴェラと再会して、彼女がフランス語とチェコ語をちゃんぽんにして彼の子供時代についての話をしているのを聞いていると、その意味がはっきりとわかり、母語であるチェコ語の記憶がふっと甦った。
 ヴェラから子供時代の物語のほかに、母が家を没収されゲットーへと移動させられたことなど彼が英国へ渡航(亡命)したあとの話も聞かされ、それを彼は憑かれたように、吐き出すように聞き手である<私>に話す。
 母がいたゲットー跡を訪れ、そこで今まで無意識に遮断していたナチスユダヤ迫害についてを知る。母はそこから東方へ移動させられた。
 自身の来歴を知っても、まだ記憶として甦ってきたものは僅か。ヴェラの昔話を聞いて、ふと脳裏をよぎったいくつかの過去の記憶ばかり、思い出そうと苦闘しても思い出せない記憶も多い。
 その後、母の写真を見つけ、半世紀ぶりにはっきりと母の顔を知る。
 父についても探しているが、どうなったかについては母と比べてどうも尻切れトンボというか、父が入れられていた収容所を見つけて彼がそこへ向かったというところで終わる。そうやってよくわからなくなったホロコースト政策で消された両親の足跡・人生・人格というのを見つけ出し、思い出すことでわずかにでも忘却の海から奪われた人間性を救い出し、それと同時に歴史によって歪められた自分の『まやかしの、間違った人生』(P204)を回復するという物語。
 父と母がどうなったかを探るために調べているうちに、第二次大戦の迫害のさまざまなエピソードを知ることになる。