テロルの決算

新装版 テロルの決算 (文春文庫)

新装版 テロルの決算 (文春文庫)

内容(「BOOK」データベースより)

ひたすら歩むことでようやく辿り着いた晴れの舞台で、61歳の野党政治家は、生き急ぎ死に急ぎ閃光のように駆け抜けてきた17歳のテロリストと、激しく交錯する。社会党委員長の浅沼稲次郎と右翼の少年山口二矢。1960年、政治の季節に邂逅する二人のその一瞬を描くノンフィクションの金字塔。新装版「あとがき」を追加執筆。大宅壮一ノンフィクション賞受賞作。

 この本の著者は有名なノンフィクション作家の人だけど、読むのは今回が初めて。読む前はもっと事件による政治的な影響などを見る的な、その事件を通して当時の政治を見るというノンフィクションかと思いきや、17歳で当時の社会党のトップであった委員長浅沼稲次郎を公衆の面前で政治暗殺をして、その年のうちに自らの人生にも幕を下ろした山口二矢という若者に焦点を当てて、その彼の人生と彼の手で斃れることになった社会党の委員長浅沼稲次郎の人生を見ることで、その決定的一瞬に行き着くまでのドラマが描かれる。
 山口二矢はその全存在を燃焼しつくした生き方、政治的暗殺をなすことを決心し、それをなした後の身の処し方も完璧で、世からの去り際も含めて、見事すぎるほど見事に決まっていて、自分の人生によって美しく完成された作品(物語)を作ったという感がある。彼はすべてが潔く、妥協せず行動を最後までやり遂げ、見苦しさがかけらもなく世を去った。
 誰からも命令されず自ら決めて、自ら実行した組織に寄らない自立したテロリストだった山口二矢。そして逮捕された後の取調べの受け答えもしっかりしていて一切の動揺や高揚がなく、ただやるべきことを成し遂げたという落ち着いたしっかりとした対応をした。そのように最期までが立派な態度をとっていたということや普段の人格的にも礼儀正しく穏やかで、年長者から好かれる善い人間で古典の理解力も抜群だった。そうしたことを見ると彼が後に右翼から偶像視されたというのもちょっとわかる気がするわ。
 二矢の父の晋平は自由主義者で、もともと役者でその後職を転々とした後に、軍の暴走の監視と国防は自らするべきだという意識、それと職を得るために警察予備隊(→自衛隊)に入った人で、いわゆる軍人的な気質やそうしたパーソナリティーを持っていた人ではない。しかし親の職業がそうだということで、二矢は教師や同級生から揶揄されることもあった。そうしたことでガチガチの左派イデオロギーで凝り固まった教師たちや社会的多数派で、そんな自分たちこそが「正義」だと思い、その金看板を振りかざしていた左派勢力に対する反感が育まれて、彼らを攻撃する右翼団体に身を投じることになる。
 二矢は赤尾の上手い演説に引かれて愛国党に入った。しかし言葉は美々しくとも、半ばルーチンワーク的なビラ配りや街頭演説、左翼勢力の妨害などを繰り返すばかりで、大言壮語しているが実行が伴わない、言行不一致で、仲間が集えば政治的暗殺の話などもしているが空語で、本当にするとは自分たちも思っていないもので、そんな話ばかりして実行に移そうともしない右翼の温さが耐えられなくなった。左翼への怒りと同僚の右翼への深い絶望を抱いて、彼は愛国党を見限って、その団体から離脱することになる。そしてその頃には自分がそうした行動を起こそうと内心、思いを定めていた。
 左翼指導者を討とうとした二矢。その標的としてリストアップした一人に浅沼稲次郎の名があった。
 浅沼稲次郎は理論家でないが、休まず積極的に働き続ける政治家。彼は左派陣営の中では右派からも高官を持たれていた人物であったが、中国訪問時に中国側に迎合したように米国が日中の敵という発言をしたことで好意を持っていたぶんだけ裏切られた感も強かったようだ。
 最初は冷淡な対応だった中国も、浅沼の敵発言で日本の社会党使節団を歓迎するようになる。自民党はその言葉を政治問題化する。社会党は敵なのは米国でなく、あくまで米国帝国主義だと訂正するも、中国だけでなく日本でも浅沼の名は「米国は日中共同の敵」とセットで改めて記憶されることになる。そして帰国時に浅沼が人民帽を被ったことが更なる批判の種となる。
 浅沼は社会党のバランサー役だったが、その発言以降、その立場をかなぐり捨てる。そして社会党左派を味方につき、社会党委員長となる。もし、ここで指導者とならなければ、左翼指導者を狙った二矢の標的とはならなかっただろう。しかし浅沼は中国訪問で、中国での社会(共産)主義社会の建築に感化されて、自らの政治姿勢を大きく変えてしまった。その選択が自らの生命を縮めることになった。
 その二人の理想への憧憬、その理想の追及と不転退の決意が、二人をあの決定的な一瞬の邂逅に結びつけた。そして二人を理想への殉死者とした。
 新聞で三党首演説会を知った二矢。当日その会場に向かうもチケット売り切れていたが、学生服の彼が入れないことをかわいそうに思った会場の人にチケットを貰って入る。警備、途中から入ったことでろくにチェックされずに短刀を持ち込むことができた。そして旧に所属していた愛国党が会場でビラまきで騒動を巻き起こしており、彼らがやることはその程度で、場所も反対側と言うことで警戒緩んでいた。そうした幾重の偶然が積み重なり決定的な瞬間へと運命は二矢を導いた。
 事件への反響。マスコミは事件を起こったときの常で、二矢の姿をゆがめて伝え、父・晋平の二矢についての発言を間逆のものへと改竄された。財界では社会党への献金を止めるべきだという意見も出ていたが、この事件で続けざるを得なくなったことを経団連副会長は苦々しく語った。そして愛国党など右翼は、この事件の社会的影響などを考えて自分たちの善後策を練ったりせずただ二矢賛美をする祝賀ムードだったというところに政治団体としての駄目さが伺える。そして自衛隊への信頼は粉々に打ち砕かれた。そして自民党では、安保乗り越え所得倍増計画への国民の期待もあって、選挙に圧勝するだろうという見込みだったが、最大の敵手社会党のトップの遭難で、社会党に同情が集まり、突如として逆風に見舞われることになり戦々恐々。
 そして当の社会党は、これで社会党に人気が集まるとうまうましていたものもいれば、この気に党の構造改革を進めようとする人もいた。そうしてこの期に構造改革の方針が採られたが、機が熟しておらず多数派工作せざるを得なくなり社会党右派も多く取り込んだため亀裂が走り、構改派は破綻することになった。
 そして二矢、独房で自死する。ある意味当初からの予定通りだったのだろう、行いの正しさは疑わなかっただろうが、自分の死との引き換えに自分の行いに免罪符を与えていたのだろうか。逡巡なく自死の覚悟は最初から決まっていたようなので、その政治的暗殺は自分も殺したときにそこではじめて完結するというくらいに考えていたとは思う。
 右翼の間で流布した二矢伝説で、暗殺後に自決するつもりだったが、警官が短刀を握ったため、短刀を引けばその男の手をバラバラにしてしまうからそれを止めたという挿話。流石にそれは伝説で嘘だろうと思ったし、実際殺せた確信をもてなかったみたいだから、やるにしても自決でなく、もう一刀浅沼に加えるためだろうと思った。しかし終章で、取り押さえたときに刀を持った警官を診た医者の、その警官の手のひらは深い傷なら深刻なトラブルが起きるのに、彼の手は手のひらに薄い一本の細い線が残っていただけだったという話を聞いて、二矢伝説である警官を思って大人しく取り押さえられたということは、まるきり嘘とはいえないことがわかってゾクッときた。錆があってそんなに切れなかっただけという可能性もなきにしもあらずだが、薄い一本の傷だけだったということだから、本気で短刀を動かしていたらそんなにきれいな一本船とはならなかったんじゃないかなとも思うので、警官に指が千切れたり障害出ることを思って抵抗を止めたというその挿話には充分な信憑性があるように思う。
 その二矢伝説について『帝政ロシア末期のテロリストたち、たとえばヴィンコフの伝えるカリャーエフなどに共通の心情である。セルゲイ大公の馬車に幼児が乗っていたため手榴弾を投擲できなかったカリャーエフの心情と、少しも変わらない』(P14)と書かれているが、読み進めていくうちにそうしたオールドテロリストたち的といいますか、風車に突撃するドン・キホーテ的でもあるが、すぐさま変わる見込みがなくても自分の一事が呼び水となってくれればいい、他の人々、後の人々に社会を変革する夢を寄せる的な、そうしたもので自分の理念に準じた人々の姿が重なる。つまり彼は、彼らはそうしたある種の楽天主義(二矢の場合は、現在の右翼への深い失望から来るものだったようだが)で行ったのだとなんとなく思った。