やさしく語る『古事記』

内容(「BOOK」データベースより)

古事記』は日本民族がのこした現存する最古の書物です。本書では日本民族がのこした遺産ともいえるこの文献を通して、日本人が決して忘れることのできない伝承のかずかずをひもとき、さらに、大和朝廷はいかにして成立したのかについて解き明かしていきます。

 古事記のストーリー、内容をタイトル通りに、やさしく語りながら、適宜説明を加えていく形式で進んでいく。非常にわかりやすくて下巻まで扱われている。
 古事記についての本は、神話部分のみを扱った本しか読んだことがなかったので、下巻まで語られているのはなんか新鮮。
 五穀の起源、「古事記」ではスサノヲがオホゲツヒメノカミを殺したときにその遺骸から生ってきたが、「日本書紀」ではツクヨミノカミがウケモチノカミを殺したときにその遺骸から生ってきたとしている。日本書紀ではツクヨミなんだとちょっと意外だ。
 しかしこうして読んでみると、というかその話を見て始めて気づいたのだが、ツクヨミって印象薄いな。黄泉の国から帰ってきたイザナギが左目を洗ったときにアマテラスが、右目を洗ったときにツクヨミが生まれ、その後鼻を洗ってスサノヲが生まれた。そしてアマテラスとスサノヲには神話として有名な話もあるし、姉弟という印象もあるけど、ツクヨミはちゃんと登場している神話がないのか。
 そう思ってwikiでみてみると、実際に記紀では誕生のときと、日本書紀のその五穀の起源についての話しかないようだ。ツクヨミは月の神で、誕生神話的にはかなり格の高そうなのに、その話以外何もなくて、性別すら述べられていないため不明だというということには驚いた。名前的には格好いいから、名前は覚えているけど、そんな不遇(?)な神様だったのね。
 それから天孫降臨以前に日本を治めていたオホクニヌシノカミは、スサノヲの六代目の子孫。当時『五世孫というのが、その血筋を保つ最後と言う意味があります。六世になると、もう赤の他人です。五世までが一族で、血筋を残していると認められます。』(P122)ということだから、オホクニヌシノカミもスサノヲの子孫とは言えど、一族ではなく他人扱いということになるのか。
 『桜の「さ」は神が宿るという意味であり、神が宿る蔵という特別な意味も有していました。かつては、亡くなった人を桜のもとに葬るという慣習もあったようです。』(P88)桜の下に葬る慣習がかつてあったとは知らなかった。そうすると桜の元に死体が、という梶井基次郎の小説の言葉も案外本当だったのか。千年以上前にはという注意書きがいるけれど。
 ヤタガラス『八咫の「咫」という漢字は「タ」と発音したり、「シ」と発音しますが、これは一勺、つまり三十センチに満たないという意味で、十八センチほどの寸法を表わします。それに「八」を掛けると一メートル四十四センチ。バカでかいカラスです。』(P100)三本足のカラスという印象しかなかったけど、大きさ的にも普通でないカラスだったのね。
 末子相続、古代王家には結構ある。『末子相続といって、後継者は長男ではなく末っ子が継ぐパターンです。長男と言うのは父親と歳が近いせいで、争ってしまうわけです。若い末っ子に後継者の地位を与えたほうが大勢が安定し、世の中は安定するという経験的な智恵があったのでしょう。』(P119)そうした点で末子相続は優れている。世界には末子相続が通常という風習があるところもあるか、あったかしたけど、そうした風習があるのはそういう理由があってのことなのね。
 『じつは歌を詠むのは、人間らしさの証明でもあります。神は歌を詠んでいません。歌を詠むと人間くさくなるので、詠まないのです。神は毅然として神らしくあるべきなのです。それでスサノヲノミコトから歌を詠むようになっています。』(P133)神は歌を詠まないというのはへえ。しかしスサノヲはアマテラスの弟だけど、神でないというのも意外だ。いや単純には書くというだけか。でも「ミコト」と後ろについていているから神らしい名前ではないけど。でも、六代孫のオホクニヌシが神しているしな。
 カルノミコとカルノオホイラツメ、兄妹だが恋仲となる。カルノミコが次代天皇の有力候補と言うことで、それを理由に伊予に配流される。カルノオホイラツメは伊予にやってきて心中。日本最初の心中、兄妹で心中することになった。
 下巻では神と接することができた天皇はほとんどいない。そんな中で一言主の神と出会った雄略天皇は例外的存在。