インディアスの破壊についての簡潔な報告

内容(「BOOK」データベースより)

キリスト教化と文明化の名の下に新世界へ乗り込んだスペイン人征服者によるインディオの殺戮と搾取―。残虐非道が日常化した植民地の実態を暴露し、西欧による地理上の諸発見の内実を告発した植民地問題の古典。十全な解説を付した改訳決定版。


 スペインがインディアス(アメリカ大陸)を発見して、半世紀ほどで犯した悪行を告発する文章。もっと淡々と当時の事情を書いたものだと思っていたが、想像と大分違う内容。どうやら当時の同国人たるスペイン人征服者(コンキスタドール)の行状の残忍非道さに耐えきれなくなった修道士ラス・カサスが、その実情を王にわかってもらうために最初は書き、後には世間に知らしせるために世に出すことになったという文章のようだ。そのため、そうした残忍な出来事ばかりを書いたもの。
 著者は最初は征服者として新世界へ渡り、いくつもの征服戦争に参加した。しかしその非道さと『エンコミンダ制度(功績に応じてスペイン人にインディオを分配し、彼らの回収を委託すると同時に、彼らを労働力として使役することを認めた制度』(P241)で、実質奴隷として扱われているインディオの悲惨な状況をつぶさに知って、回心してドミニコ会に入会して、征服戦争禁止と偽装奴隷制度たるエンコミンダ制度の撤廃を訴える活動を行った。
 うーん、短いからといってまずはこちらをと思って読まずに、素直に同著者の「インディアス史」(岩波文庫で7冊)の方を読んだ方が良かったかな。
 酸鼻な光景が延々と描かれる。そのため、そうした描写は食傷気味になるが、それと同時にそうしたものが続くことで当時のインディアスではそうしたことが日常茶飯事で、いかに道徳律や自制心が狂っていたかがうかがえる。わずか数十年でどうしようもないほど堕落し、狂ってしまえるものなのだなと、欲求の恐ろしさを改めて感じる。
 単に殺すというだけなら、スペインのアメリカ征服で多くの元からいた人々が犠牲になったことは予想できていたが、じわじわと焼き殺す火あぶりなど残忍な死刑を行うなどそうした殺すことを楽しむまでになっていたというのには衝撃受ける。しかもそれが一つ二つ、五つ六つではないということだ。
 『さらに、次にあげる法則にも注目しなければならない。つまり、キリスト教徒が足を踏み入れ、通過したインディアスの土地では例外なく、インディオに対して先記のような残虐非道な仕打ちが加えられ、無辜のインディオが忌まわしい殺戮や暴虐や抑圧に苦しめられたが、キリスト教徒は時を追うごとに、さらに数々の新しい驚くべき拷問を次々と考えだし、ますます残虐になっていくという法則である。』(P55)残虐さのエスカレーション。趣向を凝らした殺し方をし始める。犬をけしかけて食い殺させるなどというのは普通に行われていたようだ。
 インディアス(中南米)の各地域ごとでどんな残虐行為が行われたのかということを書く。
 解説にもあるが、疫病での人口減少についてはほとんど触れておらず、人口激減のすべての原因を征服制度とエンコミエンド制(奴隷割当制度のようなもので、そうした奴隷は家畜よりも大事にされず、使い潰された)に置いている。また、『報告』が文章が反復的で攻撃的であることや、かつての人口について大きくいっていることもあっていささか正確さに欠ける印象を与える。
 しかし数多くの証言がある出来事(ヌニョ・デ・グスマーンの奴隷狩り遠征)を知るし、それらの動機も的確に指摘している。そのため『たとえ『報告』の中に、ラス・カサスが長年の経験に照らして真実に近いと判断して書きつづったやや主観的な情報が見受けられるとしても、『報告』は、ラス・カサスが根も葉もないことを書き綴った「妄想の産物」ではなく、征服し研究にとっても一次資料として利用する価値のある文献であると結論付けることができる。』(P308)
 いくつもの地の王は完全にカスティーリャ王に恭順していて自主的に奉仕(金や収穫を献納)して、それでも強欲な征服者たちはもっと絞れると思い、満足せずに打ち滅ぼす。そうして王と多くの民が殺されたり、あるいは王は抗戦せずに逃げたりしている。そうした恭順の描写は、どの程度まで真実なのだろう、征服者・無法者(ティラーノ)の非道さ(と彼らを野放しにしていることによってスペイン王が損害を受けていること)を強調するために多少誇張して描いているのか、本当にそこまで腰を低くしていたのか。
 1500年イサベル女王はインディオを奴隷にすることを禁じ、王国の自由な臣民とした。そして彼女はインディオの改宗に熱意を抱いていた。そのことを称賛することで、今の王のインディアスへの無関心さを遠回しに批判。
 この報告では、征服者が根こそぎ壊しながら奪うことで得られたはずの収入が得られなくなっているという経済的な利益と、征服者の残虐な行いが宣教を妨げていることを書いて、そうした理由から征服者の残虐な行為や苛烈な奴隷への扱いを禁止しようとしている。
 降伏勧告書を読んで聞かせ、カスティーリャ王への臣従とキリスト教を受け入れることを求め、それが受け入れらなければ攻撃していいと手続きを定めたが、その降伏勧告書はスペイン語だったし、襲撃予定の村の近くで夜中に仲間内で読み上げて形式を守ったことにして、夜が明け始めるとともに攻撃したという例もあるということにはあきれ果てる。しかもその例では、司教すらその襲撃の分け前にあずかるべく、使用人・家人を大勢その遠征に随行させていたようだ。
 しかもいったん服従すればそれで安全というわけではもちろんなく。老若男女問わず、奴隷となったり、ろくに食事を与えられずに無理な労働を強いられて死ぬことは決して珍しいことではなかったようだ。例えば、ヌニョ・デ・グスマーンという無法者は、報酬も食事も与えずに8000人のインディオを使いつぶして殺して、平然としていた。
 そのような虐殺や苛烈な奴隷労働で多くのインディオが死ぬことになる。
 アルバラードという名前のあるティラーノは、多くのインディオを連行した。『そして、彼は連行したおよそ一万人か二万人のインディオには食事など与えず、その代わり彼ら自身がとらえた敵側のインディオを食するのを許した。そういうわけで、その無法者の陣営には、人肉解体処理場のようなものがあり、そこでは、彼の立会いのもと、子どもは殺されて焼かれ、また、大人は殺されて、手足は切断された。人体のなかで、手足がもっとも美味だと考えられていたからである。別の地域に住むインディオはみな、人間業とは思えないその非道な行為を耳にして、余りの恐ろしさに、どこに身を隠せばいいのか分からなくなった』(P113)。想像を絶する恐ろしい悪意と嗜虐性に慄然とする。
 スペイン人に大義なく、インディオにスペイン人を殺す大義があることを書く。
 キリスト教インディオに布教しようと思い、無法者の「キリスト教徒」を入れないようにして布教し一定の成功収めるも、無法者がきて居座り、その成果を踏みつぶしてしまう。そのように無法者がインディアスの地をキリスト教化することを妨げていると訴える。
 獰猛な犬を飼っていたスペイン人は行郡中、犬の餌としてインディオを連れ歩いていた。そして『彼らは、「この犬に食べさせてやりたいので、そいつの四半分の肉を貸してくれないか、今度、おれのインディオを殺したら返すから」』(P217)豚や牛のように人肉の貸し借りを行ったり、狩りと称してインディオを襲わせて何人も食わせたりしていたなどというおぞましいことが書かれる。
 解説、『この本は一六世紀後半以降スペインと政治的あるいは宗教的に対立するヨーロッパ諸国において、一六世紀後半から数多くの外国語訳が相次いで出版された(表1参照)。そのため、『報告』は、一六世紀後半からヨーロッパ諸国を席巻した「スペイン人は世界で最も残虐かつ非寛容な国民である」という反スペイン運動を惹起した文書として、とくに一九世紀末依頼スペイン人から激しい非難を浴びることになった。』(P277)
 例えば1578年に最初の外国語訳が出たのはスペインからの解放を目指して闘争を行っていたネーデルランド(オランダ)であり、国内の反スペイン感情を高めるために使われ、またフランスからの独立運動の支持を取り付けるためフランス語版も1579年にネーデルランドで出版した。また同様にオランダ独立、さらにインディアスでのスペインの独占的な支配を覆す意図もあり、英語版も1583年に出版される。
 そのように一六世紀後半から一七世紀に盛んに外国語訳が出版されたが、スペインがヨーロッパの覇権を喪失した一八世紀になると外国語訳の出版は極端に少なくなる。
 しかし一八世紀後半以降、宗主国スペインからの独立を目指す中南米諸国で反スペイン感情を高めるのに利用された。しかし『彼ら自身の先祖に当たる征服者の犯した残虐非道な所業を赤裸々に書き綴り、厳しく断罪したラス・カサスの報告を利用して宗主国からの離反と独立の正当性を訴えた』(P293)というのはすごい皮肉だ。自身をインディオと同一視して、本国のスペイン人を憎む。
 この報告書でラス・カサスが征服者の実名を伏せた理由は、彼らを恐れたからでなく、征服者個人でなく、スペイン人全体に帰せられる集団的行為として描く意図があってそうしたとのこと。
 「報告」序詞があると、あくまで王にその悪行を停止させるという義務の履行をもため提要と読めてしまう。そのため反スペイン感情をあおることを目的とした多くの外国語訳ではその序詞の部分を削除して、内部告発所のように見せた。