真夜中の子供たち 上

真夜中の子供たち〈上〉 (Hayakawa Novels)

真夜中の子供たち〈上〉 (Hayakawa Novels)

内容(「BOOK」データベースより)

これはいまだかつて語られたことのない、想像力に富んだとてつもない物語。英国ブッカー賞受賞作。


 以前からずっと読みたいと思っていたが、ようやく読み始めた。amazonマーケットプレイスで上下セットで購入したのだが、思ったよりも綺麗な見た目だったので地味にうれしい。話は面白いし文章も好きだけど、2段組が久々だからか、読むのにやけに時間をくってしまった。
 インド独立の日に生まれたサリーム・シナイが自身について話すため、祖父の時代まで遡ってそこからの自身の家族の歴史を語る。そうしなければならないのは、『私はさまざまな人間の生涯を呑み込んできた。だから私を知りたければ、私の生涯を知りたければ、同時に多数の人の生涯を知らなければならない』(P13)から。そうして語ることでインド近現代史についても語る。
 インド生まれのイスラーム教徒のサリーム・シナイ。彼は病気か、精神的なものか、あるいは超能力に関係したことかは知らないが、自分の命は先が長くないと知って、自身の話を、そして家族の年代記を綴る。祖父の話、母の話、自身の話という感じで焦点を当てる人物が変わると、それまでメインだった人物の話も何か関わりや影響がないとあまり触れられなくなる。そうした自身までの直系の家族の話が語られるから、登場人物が変に煩雑にならないから、ややこしくない。
 乾いたような文章でさらっと書いているが、現実世界で起きているのだけど物語めいた現実離れしているな変わった設定とか、変わった出来事が次々と起こっていく感じとか、あるいは細部がきちんとしている世界観、そういうのがなんとなく古川日出男を連想させるような文章で読み心地よい。それに単純に物語として面白いな。
 最初からファンタジー的な設定があるわけではなくて、語り手であるサリーム自身の話になるまでは変わった話や、少し読むのを立ち止まって場面を想像して楽しみたくなるようなユーモラスで印象的なシーンやエピソードはかなりあるが、これは現実ではありえないものがでてくるのはサリーム自身の話(母の妊娠時以降)になってからで、そこから超能力など超現実的な要素が入ってくる。
 そうした文章の特徴について、『常軌を逸したもの、珍妙なものをごく平凡に既述すること、またその逆、すなわち日常的なものを誇張し様式化して解釈すること――精神のはたらきにほかならぬこれらの技術』(P268)という風に、語り手が自覚的であるという形式はなんか珍しいというか。
 時系列で話は進むが、途中途中でこの話を綴っているサリームとその妻だか恋人のパドマがそれまで彼が語ってきた物語について話すパートが入って、それもいいね。しかしパドマは、祖母の娘たちの誰が彼の母親なのかわかっていないなど、彼の家族のことをろくに知らないようだし、現在家族との交流薄いみたい。しかしこんな家族の歴史を綴っているほどなのになぜだろうと思っていたら、出生が語られて納得がいった。また上巻ラストでそれが白日の下にさらされたが、それから後どう現在までつながるのだろうか興味を持たせる。
 カシュミール出身の祖父はドイツに留学して医師になった人で、留学経験や留学時に社会主義者の友人たちを持ったこともあって信仰に信と不信の中間地帯にさまよいこんだ。
 祖母の父は、医師だった祖父が娘に対してプロポーズするように娘の些細な体調不良を口実に彼を連れてくる。しかしイスラム教徒なので、その娘(サリームの祖母である人)は肌は見せず悪い原因の部分だけを穴を開けたシーツから見せていた。そうやって隠すことでかえってエロティックになっている。そうしたエロテッィクな効果を意図していたのかは知らないが、それが効をそうしてか祖母の姿をそうした部分の集積としてしか知らない祖父は、祖母にプロポーズをすることになる。
 35ページのドイツに留学していた時の友人との会話と祖母へのプロポーズの話など得に説明を加えずにシーンが次々に切り替わっていくところなど映画っぽい。ちょっとわかりにくいけど、こうした文章なんか格好いいな。その直後の39〜40ページの祖父を描写している場面は更に映画的だし、またそこで映画用語だしているので映画的な表現を意識しているのだろうな。
 保守的で信仰心の篤く伝統的な価値観を固守する祖母と革新的で無信心な祖父は、結婚当初からそのことで何かと対立することになる。
 歴史上の惨事などが書かれても、それについてもさらっと幻想小説中の出来事のように書くというか、悲劇を笑いのころもに包むというかそんな感じなのがいいな。例えば宗主国イギリスのダイヤー准将が平和的抗議をしていた群集相手にダイヤー准将の五十名の兵は『計千六百五十発の非武装の群集に向かって打ち込み、そのうち千五百十六発が的に当たって、誰かを殺傷した。「上等な射撃だ」とダイヤーは部下たちに言う、「あっぱれな仕事っぷりだったぞ」』(P44)
 また、そのように実際に起きた現実離れしたエピソードが、他の小説中の現実離れした話と同じように書かれることで、そうした小説中の変わった物事にもリアルさがでていいね。
 祖父は子供たちに勉強を教えていた律法学者を放りだした。信心深い妻は怒るが、祖父は他の宗教の人間を憎むことを教えていたからだと言うが、起こっている祖母はあなたに食事を運んであげませんという。それから冷戦状態で、互いに意地を張って祖母は本当に食事を出さず、祖父は外でも何も食わずに日に日に痩せていき、人力車で往診をするようになるなど体力も落ち、その話は街でも評判になる。祖母はそれに気を揉みつつも主張を翻したくなかった。長女アリアが祖母が仮病して、その間アリアが父に食事を出して、祖母が2日後に仮病を止めて起きてから、祖母はなんでもないように祖父に食事を出すようになったという挿話はなんか好き。
 次女のムムターズは暗殺の危機を逃れ、祖父母の家の地下に隠れ住んでいたナディル・カーンと最初の結婚をするも、三女エメラルダが後の夫となる軍人のズルフィカルに密告したこともあり、処女のまま離婚することになる。そしてムムターズはその後、姉と結婚するはずだったアーダム・アジズと再婚することになり、そしてその新しい夫からの頼みで名前をアミナに変える。
 ラーヴァナという魔神の名前を冠した放火魔の集団がいて彼らは金を支払わなければ放火するとあちこちで脅し、そして実際に金を払えば放火しないという話など、そのように特徴的な組織出して(たぶん創作よね?)、その組織の話にさほど踏み込まないというさらっとした感じとかいいね。
 アミナが妊娠中に言われた予言など、徐々にファンタジーマジックリアリズムっぽくなっていく。語り手サリームは持っている超能力によって、知らないはずのそうした予言のときの話なども語れる。
 政権移譲の日、インドが独立を達成したその日の最初、真夜中に産声を上げたサリーム。彼だけではなく、その日の午前0時から午前1時までの1時間に生まれた子供は超能力など特殊な何かを持って生まれてきて、彼らがタイトルの「真夜中の子供たち」。
 貧しい盲目の芸人ウイー・ウイリー・ウィンキーの妻が変わり者のイギリス人メスワルドと密通して生まれた子供と、アミナとアジズの子供は看護婦のメアリーによって意図的に取り違えられる。サリームには特徴的な大きな鼻があったが、祖父の大きな鼻からの遺伝だと思って不審がられず、そのままサリームそして取り違えられた本来のアミナの息子シヴァは本来の家庭と違う家庭で育てられることになる。しかし上巻読み終えてから、そういえばと思ったことだが、シヴァと妹のブラス・モンキーってその破壊性みたいなものが似ていて、それを思えば兄妹というのもなるほどと納得がいかないわけではない。
 しかし取り替えたメアリー数日後にはもう後悔の念にさいなまれるが真実を打ち明けることもできず、サリームの子守役となってその後長らく罪を常に意識しながら生活することになる。
 そうした出生の秘密があってサリームは血統上の父である英国人メスワルド、出産時に死亡した妻の浮気を全く疑わず取り替えられた子シヴァを育てる盲目の芸人ウィンキー、育ての父であるアジズ、そしてアミルはサリームが生まれた晩に最初の夫で彼女の真実の恋人であるナディル・カーンが彼女を身ごもらせたという生々しい夢を見て本当の父親が確信できなくなって、そのため彼は4人の父を有すことになった。
 父は友人ナルカリルの誘いに乗って埋め立て工事をするための運動をしていたら、裕福なムスリムということもあって国に目をつけられて資産凍結させられる。そうした状況でふいに母アミナはそれまで行ったことのなかった競馬場に行き、よくわからない神がかったつきで勝ち続け、裁判で有利な判決を取るための運動の費用を競馬場で得たその金で賄う。そうした毎回毎回競馬場で勝ちまくるというくだりは、それが理由あることではなくて幸運だからこそ、なんか読んでいて嬉しくなってしまう。それに誰にも明かさず一人だけの秘密で、どこから金を工面しているのかわかっていないということもなんかいいね。この挿話好きだなあ。
 そしてそうしてお金をつぎ込んだかいあって、無事父の資産凍結は解除されることになる。
 サリームの超能力はテレパシーで、人の記憶や現在見ているものを見たりできる。そして彼は子供時代に同じような能力を持った子供たち、同じ時間に生まれた子供たちがいることを発見して、10歳のときから、夜に、真夜中に、「真夜中の子供たち」の意識をつなげて対話できるようにする。そうして真夜中の子供たちの間につながりができた。
 父は資産凍結後に起たなくなってしまっていたが、人口が多すぎるといって子供を持つべきものではないといっていた友人のナルカリルはそのことを良いことだといったし、父も仲間意識を持っていたのだろう。しかしナルカリルが死亡したとき、彼が普段女っけないように、そんなこと興味がないようにいっていながら、酷く艶福家だったことが判明して裏切られた思いがして、その後なぜかある中となっていた父の肌と髪の毛が急に白くなっていった。