漂流するトルコ 続「トルコのもう一つの顔」

 

漂流するトルコ―続「トルコのもう一つの顔」

漂流するトルコ―続「トルコのもう一つの顔」


内容(「BOOK」データベースより)

政府に弾圧され続けるトルコの少数民族の言語と、その生活の実態を、スパイと疑われながら、調査し続けた著者。前著『トルコのもう一つの顔』(中公新書)が、まるで推理小説のようなスリルに満ちた物語と、著者の少数民族に対する愛情に涙が出たと絶賛され、長らく続編が待望されながら20年。前著でトルコを国外追放されたあと、再びトルコへの入国を果たし、波瀾万丈のトルコ旅行が開始される。著者の並外れた行動力と、深い知識、鋭い洞察力が生み出した画期的トルコ紀行。


 「トルコのもう一つの顔」が面白かったので読む。「トルコのもう一つの顔」でトルコに入国して調査することができない再入国禁止処分の状態になってから、再びトルコに入れるようになり、再入国禁止処分とされるまでを書いている、それだけでもう面白そうで最初からワクワクしながら読み進められた。しかし二度も同じ国に入れなくなったというは、色んな意味で凄いな。
 本書では前作で、FやVなどアルファベットで名前が伏せられていた人物たちも今回再登場するときには、名前がそのままで表示されている。あるいは、そうして名前がつけられたことも、個人のキャラクターが以前より目立つように思えるようになった一因かもしれないが。
 「トルコのもう一つの顔」を出したときには出版する際に抑えて書くことを求められたようだ。それもあってか前作よりもこちらのほうが厳格で道理や礼儀を重んじて、そうしたものを守らない人に怒り直言する硬骨漢というというような著者の人物が鮮明に現れている感じだ。そのことで著者や他の人物のキャラクターが伝わってくるより活き活きとしているし、エピソードもより印象的になっていていいね。もちろん前作も面白かったし、だからこそ普段買うのはほとんど文庫か新書なのに単行本(この本)を買ったのだけど、著者が率直に語っているこの本の魅力には及ばないという感じかな。
 それから頁の下の方に注が付いているのは、注が巻末や章末に置いてあると一々注が出るごとに一々行き来するのがちょっと面倒だから、こういう注の置き方はありがたい。
 前書きで、現在(2010年時点)のトルコ国内で今まで公で禁じられていたクルド語のテレビ・ラジオ放送ができるようになったというトルコの変化について触れられる。
 序幕、2009年の夏フランス在住の著者がジョギング中に、明け透けなトルコの諜報員が探りを入れに話しかけられたところから物語は始まり、2003年に再びトルコに入国する機会を得て、更に再び入国禁止となったことが明かされて、どうしてそうなったのか入国禁止が解かれて再度の入国禁止までの話、つまり本書で書かれている話についての興味を持たせる。
 そして本文、「第1章」は『前著の末尾』(P33)トルコ政府から少数民族の言語調査を依頼されるも、トルコ政府が求めているような報告書を作らなかったため、最終的には国外自主退去に至ったところから話がはじまる。こうした前回の直後から話を始まるのもいいな。そうしたところもちょっと読みたいと思っていたから嬉しい。
 ギリシャの税官吏に対して、北キプロスの地名がトルコ語ではわかりにくいだろうと、現代ギリシャ語でその地名を前置詞や定名詞を含めて説明したというような接し方は格好いいな。
 さまざまな人との交流・交友の挿話が面白い。
 トルコから国外自主退去したことで、それまでトルコ政府と近いと思いこんで遠ざけていた人、クルド人アルメニア人が接触してくるようになった。
 亡命志願者の9割以上が偽装難民政治難民を装う経済難民)で、臆面なくずうずうしい要求してくる人もいるし、本当に拷問を受けて難民とやってきた知人を著者が難民認定受けられるように努力して無事難民認定受けられたが、勝手な要求をしてきたり、無礼でろくでもない態度をとるようになったので交流を断った。そうしたことも率直に書いているのはいいね。それに、そうした人に対しては怒っても、ちゃんとした人にはきちんと接していて難民だからみたいな、大きなくくりで非難したり、擁護するようなことはしないのは好感が持てる。
 著者は半ばブラックボックスとなっていて正確な事情を知る人がろくにいないトルコ国内の諸言語を調査して、そうした諸言語についての学識を持ち、その中の言語をいくつも操れる。そのためフランスの情報機関(?)の人からも接触を受けて、度々にトルコについてのさまざまなことについて聞かれるようになって、その協力もあって事実上の永住権をもらったり、あるいはトルコ政府に再び利用されたりとそのその権威として利用されたり、敬意を払われている。こうした複数の国の機関が接触してくるというスケールの大きさは、それだけでそれが重要(貴重)なことだとわかるし、なんかわくわくする。
 トルコからの事実上の追放があった後、4回空き巣に入られて何も取られず、トルコ国粋主義者(を装った)落書きされる。そうした嫌がらせないし脅しがされるとは本当にスパイ小説や政治小説の話みたい! そのためなるべく住所を近しい人以外にしか明かさず、前の勤務先に今の消息を伝えないようにお願いしている。著者が、前作の後にそうした警戒が必要な生活を送っていたことに驚いた。
 それに『時々ショー・ウィンドーに自分の姿が映ると、ほとんど反射的に映像の中で自分の後方を観察する。尾行されていないかどうか確認するのがすっかり習い性になってしまっているのだ』(P204)といった描写を見ると、本文に書いていないところでもなにやら相当大変だったようだね。
 第3章では前作を書いて、出版するまでについての話が書かれていてそれも興味深い。自身に身の危険が及ぶことも覚悟していたことが明かされて、そんな覚悟でだしていたのかと驚き。
 そして出版の際に出版元から、なるべく穏やかな表現に書きなおすように要請があったことで、大きな出版先を探してくれた京都の地方出版社C氏から『元の生の原稿のほうがぐっと迫力があってよかった。あちこち、何か……こう、大事なことを出し惜しみしたような不満足感が残る。』(P108)というものに。それでも題材の面白さもあって非常に面白かったが、文章のリーダビリティという点では(たぶん)自由に書いているこの本のほうがいいね。
 トルコ政府もいろいろとその知識を得ようとして、著者の友人(当時)だったフランスのトルコ総領事ダワズ氏にトルコに再び入国してもよい代わりに、タイプライターで記録するからトルコの少数民族の言語についての話をしてくれないかという交渉をしたりする。それもあって1994年に再びトルコに行くことになる
 トルコに入国したときに、トルコ政府が政策転換にあたって、トルコ各紙に事実(少数言語がいくつもあること)を発表させて、それを黙認するという形式をとった。そのときに著者の名前を使われたようだ。
 まあ、その記事の内容的には、故意に歪曲している箇所もあったようだが。
 再びトルコへ行けるようになったことにはそうした裏事情があったようだが、とにもかくにも再びトルコの土を踏むことになる。
 久々に会ったH氏、ハサン親方にある新聞に著者がスパイだと書かれたことでしばらくトルコに来れなかったと「決して嘘ではない」話をすると、やっぱりと言われて、そのことで自分も陰口をたたかれて悔しかったといわれる。
そして例の新聞各紙に発表された少数言語の話に著者のことが書いてあることを話すと、70才を超えている彼は大喜びしてくれたという挿話はいいね。自分のせいで色々言われた、恩人であるハサン親方だったが無事に名誉回復できたというこの話は、ハサン親方が自分はやっぱり間違っていなかったととても喜んでいることだったり、それを周囲に示すために著者とともに商店街を歩いているときの様子も目に浮かび、なんだかほほえましさもあって好きだわ。
 再入国した時に、世話になった人々たちと再会すると、喜ばれ歓迎を受けているのはいいね。そうして1994年以降、以前のように頻繁にトルコに行くようになる。
 ダワズ氏が変わっていってしまい、彼との関係が冷たくなっていくさまが書かれるけど、それ以前は良い友人であったことを否定しないのはいいね。変わってしまって付き合いが絶えても、現在のイメージで過去の、友人だった頃の話を彼に対して悪意的に書かないのがいい。
 著者の名前を出した記事をトルコの新聞に発表されたが、著者が書いていないことを書いたと言っている嘘が多い内容だったことで大いに怒る。何ページにもわたってその記事を翻訳したものに、注をつけて細々と誤りを指摘していることからも怒りのほどが見て取れる。
 消滅の危機に瀕しているということもあって、ラズ語の調査をする。ラズ音楽についての調査で、歌ってもらったものを採譜して、それを自身で歌うと自分の歌い方そっくりになるから、不思議がられるという挿話も面白い。しかし音楽もできて、譜面もさっと書けるとは多才ね。合唱団を組織して、さらに作曲・編曲もしているというのとあるからかなり本格的に音楽をやっているみたいだ。
 著者がラズ語辞典をつくった時に協力者としたラズ人のiABを当初は見込みがあると思っていたが、トルコ語の影響を排除しよう、「純粋」ラズ語にしようとして嘘を入れようとしたり、原稿を改竄した。そんな嘘だらけの本の共著者となってしまった著者は『名誉挽回のためにそれを弾劾し続けることに一生の残りを全部費やす破目になった。』(P326)どうも著者は本を出版する際に、色々と大変な目にあうことが多いみたいね。
 そしてそうして少数民族の言語を調査して著書を出したことで目をつけられて2003年に再入国禁止処分となり、再びトルコへ行けないようになる。