バウルの歌を探しに

内容(「BOOK」データベースより)

何百年もの間、ベンガル地方で歌い継がれ、今日も誰かが口すざむバウルの歌。宗教なのか、哲学なのか、それとも??譜面にも残されていないその歌を追いかけて、バングラデシュの喧噪に紛れ込んだ。音色に導かれるかのように聖者廟、聖地、祭、ガンジス河を転々とした先に見つけたものとは。12日間の彷徨の記録。第33回新田次郎文学賞受賞作。

 単行本がHONZに紹介されていたときからちょっと気になっていたので、予想よりも早く文庫化してくれて嬉しい。紀行文。
 バングラディシュ、そしてインドにいるバウルという集団。彼らの歌はユネスコ無形文化遺産に登録されている。彼らは移動生活を送り、何のカーストにも属さないアンタッチャブル
 著者は国連に勤めていたときに彼らの存在を知り、神秘的な吟遊詩人のようなそのあり方に興味がひかれていた。そして国連を退職した後に、ふとバウルのことを思い出して、そうだ、バウルの歌を聴きにバングラディシュへ行こうと思い立つ。
 バングラディシュでバウルの歌を聴きに行こうというのは、そのように思い立ったことで調査をしていなかったので、バウルの歌を聴きにいくために渡航することを話したときに基本的な知識(18世紀の終わりに生まれて、一人でバウルの歌の大多数を作り、バウルの歌の大きな源流となったラロンの存在)も知らずに旅の同行者に呆れられるくらいだった。
 その後、バウルについて詳しい福沢さんという方に色々と聞き、その人でもわからない事だらけで、子供を作ってはいけないなどの不思議な掟があることを聴かされる。他にもバウルと結婚してインドに在住している日本人女性に話を聞くなど色々と調べたが、そのように調べることで、それでもわからないことが多いようでバウルは謎めいた存在と印象が色濃くなりながら、著者らはバングラディシュへ行くことになる。
 福沢さんに紹介された現地で通訳・ガイドをしてくれるアラムさんはバウルについて強い興味を持っている人ということもあって、予定のないことたびを同じ目的で共にする旅の同行者といった感じで、バウルを調べる上でこの上ない助けとなった。
 そしてバングラディシュでは2週間と短い滞在期間で確実に聴けるというような当てもなく、それではバウルを見つけるのは難しいといわれていたが、うまく出会いが続いたことで、順調すぎるほど順調に旅は進む。そして2週間と言う短い滞在期間で多くのバウルと出会ってその歌を聴き、また彼らから話を聴くことができた。そうすることでかなり色々とあまり知られていないこと、事前の取材ではわからなかったことがわかっていくのが楽しい。また、この旅の最中、通訳をしてくれていたアラムさんはバウルに興味ある人だけど、そうした人もこの旅で知ったことが色々あるようで、そうした話を楽しみ、興奮しながら聞いているのを見ると本当に貴重な情報、話なんだということを感じさせてくれてより一層謎解き感というか、本当に知られざることを書いてあるのだと感じさせてくれてわくわくする。
 バウルには、白い服を着てバウルの音楽を演奏するが本物のバウルではない人(ミュージシャン)、バウルの哲学に惹かれて修行の道に入っているが演奏はしない瞑想者のバウル、そして演奏する修行者の3つのカテゴリーがある。
 演奏しないバウルもいるし、バウルの音楽を演奏するミュージシャンもいる(かつては下層だったが、近年彼らの歌がヒットして市民権を得てからそういう人が増えていった)。
 バウルの本質は歌でなくその思想・哲学であって、歌はコミュニケーションの手段。そしてバウルの思想は師(グル)から弟子、あるいは父から息子、にそれが伝えられていく。『バウルとは、カーストや人種のように生まれついたものではなく、自ら参加する”コミュニティ”』(P138)のようなもの。また、イスラム教徒のバウルであるクッドゥス氏いわく、宗教でなく生きる道を教えてくれる哲学なので、イスラムであることとバウルであることは両立するとのこと。
 著者らが列車で移動中に隣の席にいた人と片言で会話していると、彼がバウルが好きだということがわかったので、歌を歌ってくれないかと頼むと歌ってくれて、それが上手かったということもあって周りの人々も熱心に聴いていたという挿話はいいね。そしてその熱心さでいかにラロンの歌、バウルの歌が親しまれているかがわかる。
 しかしバングラディシュはどうやらあまり外国人が来ないところらしくて、著者らがあちこちで珍しがられ、そして歓迎されているのは、その親切さにちょっと気持ちが和むな。
 バウルの思想、聖なる場所は自分の内に存在し、答えは自分の身体の中にある。人間の身体が根幹。だから、身体を大事にする。内なる聖地へ行き着くには身を修めて、人間を尊敬し大切にする、つまり人間を愛することが必要。
 そして答えがすべて身体にあるのだから人間から、よい人間や悪い人間が生じる。そして良い人間を残せれば世界はより良くなっていくという考えがある。
 『君の中に、過去の人間たちが産み落とした善と悪、すべてが流れ込んでいる。そして、君の善と悪は君の子供に流れ込む。だからより美しき世界を後に残すには、自分より優れた人間をつくるしかない。でも、未来の子のことなんて結局わからないだろう。だから子供は持たないほうが確実だ。シンプルな話だよ。』(P291)
 著者と旅の同行者中川さんとアラムさんの交友の挿話も、旅の中で出会った人たちとの挿話も楽しい。