図説・戦う城の科学

内容(「BOOK」データベースより)

戦乱の時代、城は戦いのためにつくられた軍事施設でした。いかに守りやすく、攻めにくい城をつくるかが問われ、技術の粋が集められ、やがて難攻不落と呼ばれる城が登場しました。本書は、要塞としての城の構造が攻城戦によっていかに改良されてきたかを、時代を追いかけながら解説しています。城の違いを知るだけで、わが国の歴史の一部にふれることができ、ますます城が好きになります!

 城とか防御施設がどういう工夫がされているか、その基本的な工夫とその理由とか、具体例と解説みたいなものが読みたくて読んだので、3章はそうしたことが書かれていてよかった。欲を言えばもっと詳しいものが読みたかったが、まあ中を見ずにタイトル買いだったから、まるきり想像と違うのではなくてよかったというべきかな。
 冒頭で平然と城の用語が出てきて、それがこの本の先の章で説明されていると参照すべきところが書いてあるところがあるけど、それらを飛びとびで読むのも手間なので結局よくわかんなくともそのままページ順に読んでいた。
 カラーの写真やイラストが多く付いているのはイメージしやすくてよかった。
 第一章では日本の城の歴史的な変化の流れが説明され、第二章では有名な攻城戦についての紹介がされる。そして第三章では、城には相手を倒すためのどんな仕掛けや工夫があるか、その基本的な工夫について説明されていて、そうしたのが一番読みたかったので面白かった。また第四章では、有名な城の紹介がなされる。
 2章や4章の紹介は各数ページしかないからさらっと触るだけで終わってしまっているが、具体的にどういう仕掛けが効を奏したとか、どこでどういう風に敵を倒すことになっていたとかそういう細かいところが知りたい。
 地方豪族が居住していた「館」は正方形の敷地を持ち、『平均的な大きさは一辺100m四方』(P16)で、周囲が堀と土塁で囲まれている。
 南北朝の城(山城)は馬が駆け上がれない山上に築かれたが、『地勢が険しく居住スペースも完備した』(P18)山岳寺院を利用したケースが多い。しかし山城は政治・経済の拠点には向かないため、室町時代になると姿を消した。
 織豊系の城郭は複雑だが堅牢。徳川の城はシンプルだが、マニュアル化されているため使いこなしやすいという違うがある。また『設計が単純化したことで生じる防備力の低下は、鉄壁の城壁と厳重な出入り口で敵を絶対に場内に進入させない防備へと発想を転換しました。』(P48)。
 籠城戦、戦国中期には合戦は農閑期に限られたため、数ヶ月城にこもれば相手も帰らざるを得ず、その時には退散する敵を背後から追撃して逆転勝利できるチャンスが生まれる。また籠城していても、後詰(援軍)を呼ぶことで敵を挟み撃ちにして勝つこともできる。
 石垣が直線だと上から下への一方向でしか攻撃できないので、石垣を折り曲げることで、横矢が掛かる(石垣を登ろうとしている敵の側面から弓矢・鉄砲で攻撃できる)ようにする。
 虎口=城の出入り口。喰い違い虎口、城に入るための出入り口と、それにつながる道が正面でなく横向きになっているので、城に入る際に城内からの横矢(側面からの攻撃)をくらう。
 馬出、虎口(出入り口)の前に堀と土塁を組み合わせて防御する場所。攻め込む際に左右、どちらからでも入れるが分散すれば、防御側が対処しやすくなり、片方から攻め込もうとすれば逆のほうから裏へまわって挟み撃ちの形を作れる。
 『空堀は、堀幅が広すぎると広場のように区画化され、敵が移動しやすくなってしまうため、せまく掘るのが常識です。中世ではブキの主流が弓や槍なので、あまりに広く高い空堀にしてしまうと城兵の攻撃が届きません。』(P40)
 逆に水堀は、狭いと泳いでわたれるからある程度の広さが必要。また、水堀は水面が衝撃を吸収するため比較的安全。そして深くしすぎると敵に隠れられてしまうので、『敵が水堀を渡って侵入できないように、堀底にとがった木材を逆さにして埋めたり、つるの長い植物を植えて足に絡みつくようにしたり、水鳥を放って鳴き声で城内に知らせたりするような細工をしたといわれます。』(P142)
 北条氏オリジナルのベルギーワッフルのような形の障子堀。関東ローム層の土で滑りやすい。桟の上を歩けばいいと思っても、桟の上は幅が狭く、弓や鉄砲が撃たれるなかでは標的になるので難しい。