食べる人類誌

食べる人類誌―火の発見からファーストフードの蔓延まで (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

食べる人類誌―火の発見からファーストフードの蔓延まで (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

内容(「BOOK」データベースより)

ヒトをサルから離陸させた火の使用、カニバリズムと菜食主義の意外な共通点、海を越えた食材の交換が促したグローバル化―。食べ物こそが、われわれの歴史をつくってきたのだ!世界的な歴史学者が「8つの食の革命」を切り口に人類史を読み直す。古代ローマの祝宴を彩った酒肴から現代の食卓にのぼる遺伝子組み換えトマトまで、古今東西の珍味と興味尽きない逸話がたっぷりのフルコースをご堪能あれ。

 再読。
 「はじめに」にあるように、この本では食事の歴史で起きた8つの革命を1つ1章を用いて書かれている。それぞれの章の内容はそれぞれ、調理の発明、食事が生命維持だけではないことの発見、牧畜革命、農業革命、社会文化の手段や指標としての食べ物、遠隔地貿易や文化交流で食べ物が果たしたこと、コロンブスの交換について、現代の食べ物の工業化が取り上げられている。
 「第一章 調理の発明――第一の革命」
 『加熱調理は、食べられるものの消費を増やすだけでなく、さらに鮮やかな魔法によって有毒なものを食べられるようにすることができる。日によって毒が消え、食べられるようになるものもあるのだ。有毒な植物を食べられるようにする魔法は、人間にはとくに有益である。毒のある食べ物は、保存しておいてもほかの動物に奪われる心配がないし、人間が食べるときには毒を消せばいいからだ。』(P36)有毒なら他の動物に取られずに保存しやすいという観点は新鮮。
 古代アマゾン川流域の人の主食だったビター・キャッサバは、すりつぶしたりすりおろしたものをみずにつけて加熱すれば青酸を消して食べられるものになる。その特性は最初にインド人が発見したもののようだが、はじめてそれを発見した人もそれが主食にすることもすごいと思う。
 『タンドール料理は間違いなく、地面に掘った穴による調理法から発展したものだ。タンドールは本質的に地面の上につくられた調理用の穴なのだ。』(P45)タンドールがそうした調理法から発展してできた調理器具というのは面白い。
 見つかっている範囲で日本で紀元前1万年、アフリカや中東で紀元前7000年、ギリシアや東南アジアで紀元前6000年の鍋が見つかっている。そうして『火にかけることができて水を通さない陶器の鍋を料理人が手に入れると、ロースト、煮込み、網焼きというレパートリーにいためものや揚げ物が加わった。われわれとしては加速度的に変化を遂げる現代技術を誇らしく思いたいところだが、陶器の発明以降、調理道具として考案されたもので陶器ほど生活を豊かにしたものはないし、電子レンジが発明されるまでは、本当の意味で新しい調理法の可能性を開いたものはない。』(P50)基本的な調理法はその時代までに出そろった。
 「第二章 食べることの意味――儀式と魔術としての食べ物」
 リンドの研究で柑橘類で壊血病が治療できることを発見された。しかし『医師たちの心にはいまだ退役理論の残滓が残っていて、万人向けの治療はいんちきだとして信用されなかった。』(P93)当時万人向けの治療を怪しいと思う感覚があったというのは意外で、ちょっと面白い。
 現代でもある食べ物に特別な薬効や美容効果、頭のはたらきを良くするなどの効能がうたわれるものもあり、そうした魔術としての食べ物はいまもなくなってはいない。
 「第三章 食べるための飼育――牧畜革命:食べ物の「収集」から「生産」へ」
 『貝塚が層序の一部をなしている場所では、複雑な技術である狩猟に頼っていた移住者の社会よりも、巻貝を食べていた人びとの社会のほうが古いことが明らかに見て取れる。』(P131)
 貝などの『軟体動物の養殖は最終の自然な延長のようなもので、手だけで行うことができる。』(P132)一方で狩猟には複雑な道具が必要。そのため軟体動物の養殖(一種の牧畜)と狩猟では、前者のほうが先行したのかもしれないということが書かれる。
 狩猟。『皮肉なことに、大量に殺すことになるのは、手ごわい獲物を狩るのがむずかしいせいである。個別に倒すのが難しいほど、一度に数多くの獲物をまとめて殺すことになりがちなのである。』(P144)必要なだけを狩ることが難しいことであるために、そういうことになりがち。
 トナカイ『春の角はまだやわらかくて筋が多く、ごちそうになる。』(P153)角ってどんな味なのだろうか。
 「第四章 食べられる大地――食べるための植物の管理」
 『馬の乳は、文字通り生命の維持に欠かせない。ビタミンCを豊富に含んでいるため、草原に住む人びとはこれを飲むことで、定住民のように果物や野菜を食べなくても生き延びられる。』(P171)馬乳にビタミンCがそんなにあるのか。
 この章では農業のはじまりについて触れられているが、色々な話や説が書かれるが、それを見ていると農業が始められたのは不思議なことだと思うようになる。
 「第五章 食べ物と身分――不平等と高級料理の出現」
 『一方、ルネサンスの影響がほかにもあったことは確かだ。広く浸透したとは言えないが最も有益だった影響として、新しく乳製品が重視されるようになったことと、キノコが食べ物として再発見されたことがある』(P256)。それまでヨーロッパではキノコはどういう扱いだったのか気になる。まったく食べられていなかったということはないと思うけど。富裕層の食べるものではないという認識だったのか、飢饉でもなきゃ誰も食べないものだったのか。
 「第六章 食べられる地平線――食べ物と遠隔地間の文化交流」
 この章は香辛料貿易などの貿易や帝国の影響での食習慣の変化などが語られる
 「第七章 挑戦的な革命――食べ物と生態系の交換」
 この章ではコロンブスの交換で、アメリカ大陸産の食べ物が世界で育てられたり、あるいは九世界の食べ物がアメリカで育てられるなど、新しい作物が別の地で栽培されたことについて書かれる。
 「第八章 巨人の食糧――十九世紀と二十世紀の食べ物と産業化」
  現代の産業化した食糧生産や現代の食についての著者の批判などが書かれている章。