1985年のクラッシュ・ギャルズ

1985年のクラッシュ・ギャルズ

1985年のクラッシュ・ギャルズ

 kindleにて読了。以下敬称略。
 当時クラッシュ・ギャルズに衝撃を受けてファン(親衛隊)になったある女性へのインタビューのパートから始まる。その幾章かに分けて書かれているインタビューパートでは、ファン視点から見たクラッシュ・ギャルズの輝きが語られる。そのパートがあることで当時のクラッシュ・ギャルズがどれだけ熱烈に愛されていたのかというのがわかる。そしてクラッシュ・ギャルズ解散後の二人についても書かれる。

 プロレスは二人の選手が共同して作り上げるショーである。しかし全女は『当時、若手のために用意されたタイトル、すなわち新人王、全日本ジュニア、全日本シングル王座のすべては、驚くべきことに独得の押さえ込みルールの下に行われる真剣勝負であった。』(N506)決められた時間までプロレスを行った後は、技を決めてダウンしたら相手が触るまで動かず、触ったらフォールから逃れようとする。その後は攻守交替でもう一方が技をかける側になる。そのルールは観客が見て面白いものでもないが、全女のトップである松永兄弟が喜んでいたのでそのルールで行われていた。
 全女に女同士のリアルなケンカを求める『松永兄弟は、選手たちの精神状態をコントロールして、常に関係を悪化させる方向へと誘導していく。』(N549)ひどい話。
 『一九八六年にジャパン女子が旗揚げするまで、女子プロレス団体は全女ただひとつしかなかった。全女を去ることは、そのままプロレスラー引退を意味する。』(N561)そのため大怪我しても練習を課されたらやらねばならなかったし、あるいは怪我をして試合に出られなくなることを恐れて怪我を隠し何でもないふりをしたりした。『全女とは「狂犬を作るシステム」(長与千種)なのである。』(N561)
 長与は失意のどん底で辞める前にと、同期のライオネス飛鳥との試合を前にして対戦相手である彼女に『決まりごとを一切抜きにして、自分たちが持っているものをすべてぶつけあう試合がしたい。』(N633)と提案すると、受け入れられる。

 『押さえ込みルールの試合は見ていて面白いものではなく、観客を興奮させることはできない。だからこそ若手の試合に限定されていたのだ。』(N749)しかしジャッキー佐藤と横田利美の試合は、全女最高峰のベルトを争うメインイベントだが押さえ込みルールでの試合だった。そしてジャガー横田が勝利する。
 『ジャガー横田は、真剣勝負の実力だけで王者まで上り詰めた空前絶後のプロレスラーなのだ。』(N1345)ライオネス飛鳥はその姿を見て、『強いヤツが勝つ、それがプロレスなのだ』(N792)という思いを強くした。そして元々身体能力に優れていた上に、王者を見習いハードトレーニングを行ったので非常に強くなる。
 しかし『ジャガー横田は全女史上最も偉大な王者だが、女子プロレスに多くの観客を呼ぶことができなかった。』(N825)ただ強いだけでは客を呼べない現実。
 ライオネス飛鳥はマネージャー松永国松から強いが面白くないと言われて、どうすればいいのかと悩んでいた。『ライオネス飛鳥は、押さえ込みルールの試合ではジャガー横田とともに全女史上最強選手のひとりだった。』(N846)
 強かったが観客からの支持が少なかったライオネス飛鳥をメインイベンターとして押していくことを躊躇されて、足踏みをしていた。そんなときに長与千種からの禁じ手のない試合がしたいという提案を受け、快諾する。
 1983年1月4日の二人の試合で観客も大いに沸く。この一戦が二人の転機となった。『感情を表現する能力が卓越している千種は、試合に負けても観客を魅了してしまう。勝者よりも、負けた千種の方に観客の目が引きつけられる。』(N903)そうした魅力がついにでた一戦だった。
 そして格闘家として真面目でその力量にも優れるライオネス飛鳥と、人を魅せる天才長与千種がタッグチーム、クラッシュ・ギャルズを結成する。
 ショーの役者、演出家として優れる天才長与の美学、自分が痛めつけられてそれを観客と共有したい。そんな考えから来た激しいファイトが観客を沸かす。長与は演劇の勉強でさらに動作による表現に磨きを変える。また男子プロレスの技術をどんどん取り入れ、実践投入していく。長与は観客を魅せるショーとしてのプロレスの意識が高く、クラッシュ・ギャルズの試合を演出し、彼女のアイディアを使うと観客が沸く。

 『闘志に満ちあふれたりりしい少女が先陣を切って出ていく。
 見たこともないようなキックやスープレックスで雄々しく戦う。
 敵は兄弟かつ理不尽であり、美少女は散々に痛めつけられ、流血を強いられる。
 しかし美少女には固い友情に結ばれた強い友がいた。
 勇敢な友は偉大なる力を発揮して美少女を窮地から救い出し、ついにふたりは劇的な逆転勝利を得る。』(N1096)長与が作り上げたクラッシュ・ギャルズのプロレススタイル。当時非常に新鮮だった凛々しく戦う少女が主役となった物語だったからこそ、多くの少女たちから熱狂的な人気を得た。
 クラッシュ・ギャルズは瞬く間に人気を獲得する。そして二人の同期のダンプ松本らは極悪同盟を結成してヒールとしての道を進み、『長与千種が演出するクラッシュ・ギャルズの世界観に最強の敵となって入り込もうとしたのである』(N1218)。そして実際に極悪同盟クラッシュ・ギャルズにを語るのに欠かせない敵役となる。
 クラッシュ・ギャルズが大人気となった。そのことでライオネス飛鳥はプロレスやその練習以外の芸能人のような色々な望まぬ仕事を多くこなさなければならなくなる。そしてプロレスでは長与が演出する世界で最後に彼女を助けて敵を倒すヒーロー役ではあるものの、主役は長与。そのような状態で不満がたまっていた。
 ライオネス飛鳥は望まぬ芸能活動が多さに精神が疲弊していく。ライオネス飛鳥は芸能活動を辞めようとする。長与千種はそれが団体の重要な収入源だとわかっているし、自分としても父母の医療費や生活費を稼ぐのに芸能の仕事をしなければならないから、ライオネス飛鳥の一方的な宣言に怒る。そんなこともあって二人の亀裂が深まる。

 6章。再度元親衛隊の女性のインタビューパートでの熱狂的なファンのエピソードも面白い。
 クラッシュ・ギャルズのファンのうち千種ファンが八割で、『惚れさせるような表情を作り、カメラのフレーミングを意識した上で手の位置を決めている。マイクアピールも立ち居振る舞いも、すべて計算しているんです。(中略)千種の計算高さは全員がわかっている。でも嫌いになれないんです。かっこよすぎて。「あの笑顔にまたやられた!」とみんな言ってました。』(N1736)熱心なファンはそんなところもわかっていたのか。こうしたファンの視点があることで、当時の熱狂の一端を感じることができる。
 1988年2月ダンプ松本の引退。かけがえのない敵役を失う。新たな敵として神取忍と対戦しようとするもそれも会社が認めず失敗。そして1989年5月に長与千種は引退し、8月にはライオネス飛鳥も全女を引退。
 クラッシュ・ギャルズ引退後、女子プロレス人気は一気にしぼむ。
 引退していた長与は1993年にプロレスに復帰。JWPにはヒールもベビーフェイスいないから物足りないのだと感じ、自らヒールを演じる。元々プロレスの構造を深く理解していた長与にとって、ヒールを演じるのも難しくなかった。『長与千種が出すアイディアは常に文句なく面白く、自分と対戦相手の両方を光らせるプランであるために、山本代表も従わざるを得ない。』(N2296)
 94年8月に長与は新団体ガイア・ジャパンを設立する。落ちこぼれのレスラーたちを集めて、徹底的な特訓を施す。天才長与の美学を教えこんで育てた。旗揚げ戦では『新人選手たちはドロップキックやボディスラム等の初歩的な技しか持っていないにもかかわらず、観客を熱狂の渦に巻き込んだのだ。』(N2427)わずか半年でそこまで仕込んだ。
 ライオネス飛鳥長与千種復帰に触発され、自身も現役復帰。その当時は、クラッシュ・ギャルズにあこがれた多くの人が目指したためかつてないほど高レベルになっていた。
 そんな中で生き残るために、相手を怪我させかねない過激な技も繰り出していく。非常に危険で過激なプロレスが行われるようになっていた。『かくして一九九〇年代前半の全女のリングでは、世界で最も危険で陰惨で殺伐としたプロレスが展開されることになった。』(N2478)そうした過激さで93年から94年には女子プロレス人気が頂点に達する。
 ライオネス飛鳥もヒール転向。『ヒールはベビーフェイスを観察し、理解し、ベビーフェイスよりもずっと深くプロレスを考えなくてはならなくない。』(N2590)そうしてプロレスを深く考えるようになったことで、『プロレスはこんなに面白いものだったのか。(中略)ライオネス飛鳥は、三十四歳にして初めてプロレスラーの醍醐味を味わっていたのだ。』(N2635)自分の行動で観客の感情を動かし、沸かし、試合を作る楽しみを覚える。それを知った後での長与との対戦で、長与のプロレスラーとしての凄さを理解した。
 ガイア・ジャパンで長与が理想とするプロレスラーを作ろうとしていた。しかし彼女は選手たちに対して優しい母親であると同時に『軍隊以上の厳しさで管理』(N3058)をする支配者であった。女子プロレス人気の低迷もあってチャンピオンになっても付き人を続けなければならなかったり、門限8時だったりという夢のなさもあって新人はあまり入らず、入っても辞める人も多かった。そして2005年にガイア・ジャパンも終わり、その一週間後に全日本女子プロレスも終わった。