わたしは英国王に給仕した

わたしは英国王に給仕した (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 第3集)

わたしは英国王に給仕した (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 第3集)

 ネタバレあり。
 背丈の低いホテルの給仕人を務める主人公ヤンが、彼自身が給仕人となって以降の人生について語る。基本的にひとつの環境あるいはある時代ごとで章分けされている。
 各章の最初は「これからする話を聞いてほしいんだ」で始まり、最後は「満足してくれたかい? 今日はこのあたりでおしまいだよ。」 で終わる。ホテルに来た人たちの少し風変わりなエピソードや思い出が次々と語られる。
 『ありえそうにない小話や信じられないエピソードを連結して滔々と語っていくヤン・ジーチェ』(P251)と解説に書かれているように、ほどよく現実離れした、驚くような情景やエピソードが多数記されていて面白い。こうした物語は好き。
 「グレナディンのグラス」主人公が給仕を始めたばかりの少年時代、「黄金の都プラハ」ホテルに務めていた頃の話。
 冒頭の給仕見習いをしていた頃、駅でソーセージとパンを売りに行っていたがその時に釣りを出すのをわざと遅らせて、あと少しの所で渡せなかったというふりをしてお金をためていたというエピソード、印象的。「月報『小さな国の小さな男』池澤夏樹」に『いいエピソードがあるのではなく、この小説そのものがエピソードというタイルを敷き詰めた床面なのだ。そのタイルの一枚ずつに驚きに満ちた画像が描きこまれている。』と書いてあるように、多くのそうした印象的で面白いエピソードがある。
 子供の頃、主人公が水車小屋の中の小さな部屋でおばあさんと暮らしていた。おばあさんは旅行者が窓から投げ捨てた汚れた下着を拾って、それを洗濯し繕い、売って暮らしていたというエピソードもいいね。
 「ホテル・チホタ」黄金のホテルプラハで知りあったヴァルデン氏の紹介で、ホテル・チホタに転職した主人公。そのホテル・チホタ時代の話。このホテルは普段はあまり忙しくないが、いざ客が来ると客人たちは豪華に騒ぎをする。その幻想的な乱痴気騒ぎに興じるお偉方の姿の姿が書かれる。
 客人たちは夜通しそうした騒ぎに興じた後『百コルナ札を手にいっぱい抱えて、演奏家たち、そしてわたしに百コルナ札を何枚か手渡す。君たちは何も見なかったし、何も聞かなかっただろ、と意味深い眼差しを私たちに投げかけながら。もちろん、わたしたちはすべてを見て、全てを聞いていた。』(P71)
 ホテル・チホタでの同僚ズデニェク。ホテルの客たちのように振舞い、面白いことをして蕩尽する。『ズデニェクはどうやって数千コルナを使うか十日のあいだずっと考え続けている』(P161)。例えば村の人気のない居酒屋を訪れ、そこに音楽家や村の人々を呼んで、酒を皆におごるなどして金を使い果たす。車でホテルに帰る時まで、音楽は続いている、その情景がいいね。楽しそうな蕩尽法だ。その後の章でも書かれる彼の様々な金の使い方、どれも魅力的。元楽団員の叔父のもとへこっそり行って、以前に彼が作曲した曲を楽団にサプライズで演奏させたというエピソードもいい。
 南米のある国がプラハの幼子イエス像を自分たちのためにもう一体聖別してほしいと願い、ホテル・チホタでその儀式がおこなわれることになる。その時にトラブルが起きて、責任を押し付けられる形でホテル・チホタを去ることになる。
 オーナーには見えない場所にいるはずなのに、笛で休まず仕事をするようにという警告が来る。他にも色々と幻想的ともいえる出来事が書かれるから、特別理由書かれなくても、幻想的な1エピソードと思っていた。その理由が次の章で書かれるのはちょっと面白い。
 「わたしは英国王に給仕した」ホテル・パリ時代の話。洞察力に長けて、仕事着のタキシードがこれ以上なく似合っている年配の給仕長と出会い、気に入られる。彼のその洞察力に、何故分かるのかと尋ねると「英国王に給仕したことがあるからだよ」と述べる。
 ホテル・パリでエチオピア皇帝を迎えることになり、主人公はエチオピア皇帝の給仕をすることになった。そしてその後、彼は給仕長のように、なぜわかったんだと不思議がられたりすると「わたしはエチオピア皇帝に給仕しましたから」と返すようになる。結局主人公は最後まで英国王に給仕することはなく、タイトルはホテル・パリの給仕長の口癖からきているというのはちょっと笑った。
 ドイツのチェコへの侵入前。主人公はドイツ系の女性リーザと出会い、互いに惚れる。当時チェコでは総統に期待するドイツ系住民がいて、リー座もそのうちの一人だった。同時にチェコ人はドイツ人に差別的な態度を取るようになっていて、同僚たちは彼に会いにホテルに来るリーザに露骨な嫌がらせをしていた。そして二人で道を歩いているときにチェコ愛国主義者から、彼女は靴下を脱がされるという辱めを受ける。そうした味方のいない日々の中で二人の絆は深まっていった。そしてドイツ軍がプラハを占領して、周囲との立場は全く逆転することになる。
 「頭はもはや見つからなかった」チェコのドイツ占領時代の話。主人公はリーザとの交際が続き、結婚し子供をもうける。リーザとの縁があり、彼女が出世したので、不自由なく暮らす。彼女の威光もあって、内心では見下されているもののドイツ人にもそれなりに尊重されていた。ドイツ占領下で圧迫をくわえられているチェコの人々との対比。
 ドイツ敗戦が現実的になってきて、自分が再び故国チェコに戻れないだろうと思う。しかし偶然にも誤って逮捕され、そこで暴行を受ける。この出来事は自分の帰国への切符だと思って、嬉しく思っているのが面白い。ドイツに逮捕され暴行を受けたという「実績」が、ドイツに迎合した仕事をしていたことへの免罪符になると考えた。
 終戦前に妻は死亡し、息子を置いて、妻が略奪して手に入れた貴重な切手が詰め込まれたスーツケースを手にチェコへ帰還する。
 「どうやってわたしは百万長者になったか」終戦後、処罰対象にはなったものの半年の罰で済む。その後に切手を売って大金を手に入れそれを元手にホテルを作る。そして石切場と名付けたそのホテルは大変立派で、有名なホテルになる。そうして百万長者になった主人公だが、他のホテルオーナーたちは彼を認めようとせず、ホテル協会への入会を勧めようともしてこず黙殺している。
 戦後大物政治家となったズデニェクの代わりに逮捕されたということもあって、ズデニェクは色々と彼に便宜を図ろうとしてくれる。
 旱魃で百万長者に分担金が課せられることになり、その分担金を払うことで天下に名実ともに自分が百万長者であると公言し認められることになると思った。しかし待てど暮らせど、分担金を支払うようにという知らせが来ない。ズデニェクが借りを返すため、気を利かせてその分担金を負担しなくていいようにしたようだ。しかし主人公はその負担が欲しかったのだ。
 二月事件(1948年2月、チェコスロヴァキア共産党が事実上の一党独裁体制を成立)後、百万長者が次々と逮捕される。逮捕される前に国を去る決心をして、彼のホテルで最後に豪遊する百万長者も多かった。しかしまた彼には待てど暮らせど逮捕しにこない。やはりズデニェクが逮捕されないように取り計らってくれたことを知るが、自分が百万長者になったことを認められるためにも百万長者だという証拠を自ら出して逮捕されに行く。主人公は百万長者として収容所に入ったが、ここでもやはり戦争成金である彼は他の百万長者に自分たちの仲間とは認められなかった。
 逮捕されて行った収容所内では、百万長者たちは所長や民兵たちを客のように扱って、豪華な食事をしたり、音楽家を呼んだりと持っている金をガンガン使って、かなり自由な生活で外にいる家族たちよりも気楽に暮らしていた。そのため収容所が閉鎖されるようになった時『晩餐は非常に陰気なものとなった。本当の最後の晩餐であるかのように、誰もが悲しげかつ厳かな様子だった。』(P199)
 山奥での道路工夫をすることにした主人公。山奥に一人で動物たちと共に暮らし、遅々として進まぬ道路補修の仕事に精を出し、そしてたまに村に下りて村の人たちと交流する。雪深くて村まで下りられない日々の中でのクリスマスイヴ、深い雪をかきわけて村の人たちが主人公に会いに来てくれて、共に祭日を祝ったところで終わる。このハッピーエンド、いいね。