作家の日記 1

作家の日記〈1〉 (ちくま学芸文庫)

作家の日記〈1〉 (ちくま学芸文庫)

内容紹介
定期刊行物「市民」に連載された一六篇の文章。珠玉の短篇「ボボーク」も収録。「現代的欺瞞のひとつ」では作家の心の内部がのぞき見られる。
内容(「BOOK」データベースより)
ドストエフスキーは、肉親にも、親友にも理解されることがなかった。批評家には、作品は理解できても、その人柄は理解できなかった。その意味で、ドストエフスキーほど孤独な人間も珍しい。それだからこそ、なんとしても自分自身について語りたい。『作家の日記』は、ドストエフスキーの、このようなやむにやまれぬ気持から生まれた特異な作品群である。第1巻は、1873年に雑誌『市民』に発表したものを収める。


ドストエフスキー読むの久々。個人的には話題になった光文社古典新訳文庫の『カラマーゾフの兄弟』を読んだ(4,5巻が出たとき(07年7月)すぐに買いに言った記憶があるので、読み始めたのは3巻出たあとで3冊読み終えたあとに、4,5巻が出るまで1月も待たなかったと思うので、ちょうど3年前くらい?)のが契機になって小説をよく読むようになったので、かなり好きな作家。でも5大長編含めて12作(分冊されているものも『白夜』のような薄い本も1作と数えて)も読んでいるのに、おぼろげでも記憶に残っているのは半分もないけど。

『作家の日記』はただの日記ではないとは短編小説も入っているようなので知っていたけど、どんな内容が入っているのかはわからなかったけど、解説に大別した四種の分類が書いてありそれによれば(一)文学的作品(二)回想(三)文学評論(四)社会政治評論。ということだけど四種が等分されて入っているわけではなく、(四)の社会政治評論が一番多く約4分の3がこれに含まれるらしいけど、政治とか社会とかにあまり強い関心がもてないので、あまり楽しめない。まあ、『三 環境』の『なにごも「環境のせいなのだ」という結論になってしまうではないか。そして挙句の果てには、これを推し進めていけば、犯罪をむしろ義務であると「環境」に対する堂々とした抗議であるとさえ考えるようになるに相違ない。つまり「何しろ社会がこんなに醜悪にできているのだから、こんな社会では講義せずに犯罪を行わずにとても生きていけるものではない」「社会がこんなに醜悪にできている以上、手にナイフを持たずにはとてもそこから抜け出せるものではない」というわけである。――これこそ環境論の説くところであり(40P)』とロシアの陪審員たち(民衆)がやたらと無罪判決を出すことに対する批判だけど、環境論ってこのころからあったのかと思うのと、罪を犯した人への擁護の手段が現在でもあまり変わっていないなと思った。
この1巻に入っている中で一番面白かったのは(一)に分類される短編で墓の下での死者たちの会話に聞きいっているという内容の『ボボーク』。