少年リンチ殺人―ムカついたから、やっただけ―《増補改訂版》

少年リンチ殺人―ムカついたから、やっただけ―《増補改訂版》 (新潮文庫)

少年リンチ殺人―ムカついたから、やっただけ―《増補改訂版》 (新潮文庫)

内容(「BOOK」データベースより)
長野県の狭い地域で、相次いで起こったリンチ殺人。弟を守るため、ろくに顔も知らぬ少年八人になぶり殺された宮田君。三カ所を連れ回されながら十五人の暴行をうけ絶命した百瀬君の遺体には、小便がかけられていた。残忍な犯行事実は少年法の聖域に消え、さらに子の罪を認めぬ親の言動に、遺族は際限なく苦しむ。少年犯罪の理不尽を告発する慟哭のノンフィクション、増補改訂版。

読むと加害者とその家族の無神経さにイライラしてくる。加害者、その親、少年法に憤り、怒り、嘆息をつきながら読み進め、読んでいる最中に自分でもわかるほど心拍数が上がった。少し眠気がある状態で読み始めたが、読んでいるどんどん目がさえてくるほどだった。こんなに本を読んで感情を揺さぶられたのは本当に久しぶりだし、こうした憤りという感情がわいてくるような本ははじめてだ。
そして、こんなに悪辣、非道、暴力的なものが特殊な事例ではないという事実、現実でどこでもありえることとして感じてしまうのが怖い。
『タカハシの母である。彼女は前回にも法廷には来ており、「なぜ、可愛いうちの息子が、こんなむごたらしいところに呼ばれなければいけないの」とインタビューするわたしに創尋ね、そしてまた、こうもいった。
「この子が一体なにをしたって言うんですか。うちの子だけがこんなに苦しむなんて不公平でしょ」』(P123)
『タカハシの母が代表して子どもたちのところに行き、話を聞くことになった。
 主に返答したのは、自分の息子である。この母子が作り上げた物語が、みなの前で確認され、こうして認識の一致が即席に形づくられた。この翌日から始まる、それぞれのおやこの警察での供述のうち、タカハシの母が誘導して出来上がった事件の物語が驚くほど大枠で一致し、けれども詳細が見事なまで食い違っているのはこのときの意思統一に起因している。』(P169)
主犯格で致命傷を与えた、タカハシ、それをかばう母、こういうのが親子の愛、子どもを信じる、無償の愛と言われるものと本質的にほとんど変わらないことに愕然とした。だとしたら無償の愛のなんて醜悪なことか!加害者の側が自己憐憫をして反省を全くしていないのに、被害者の側があれこれと自分にできたかもしれないことに思い悩むなんて、本当にやりきれない思いで一杯だ。吐き気がするほどの暴力、暴力、暴力!に憤慨するよりほかない。そういうのを読んだ後に、『子どもを保護するための少年法を、大人の社会を防衛するための法律にする提案がおこなわれ、何故殺した側の人権が、という野蛮な挑発もなされています。(大江健三郎氏、「朝日新聞」一九九九年一月十八日)』(P284)ただでさえ悪辣で無反省なそういう奴らを保護するような少年法に怒っているのに、『野蛮な挑発』とまでいっているのは観念の上でしか考えていないとしか言いようがない、真面目に向き合う気がないんならそんな文章書くもんじゃない、と怒るより呆れてしまう。
『百瀬君を病院に「届ける」役目に選ばれたのは知也、貴美夫、宏道、晃司の四人だった。百瀬君と一緒にゲームセンターに言っていても不思議ではない友達、というのが「選ばれた理由」である。』(P292)そんな、一緒に遊びに行っていても不思議ではない、そういう人がリンチに加わっているという事実が本当に恐ろしい。
読むと、いかに些細なことがきっかけになっているかというのを感じ、そして荒唐無稽にも被害者も責任の一端があるように考えている連中の無神経さに怒りを覚える。こんな些細かつ理不尽な理由で殺される責任があるというなら、直接手の届く距離なら、誰が誰をどんな理由で殺そうとも、殺される側に殺される責任の一端があるということになってしまうぞ、ふざけんな。