プラトン入門

プラトン入門 (ちくま新書)

プラトン入門 (ちくま新書)

内容(「BOOK」データベースより)
ヨーロッパ哲学の絶対的な「真理」主義の起源をなす人物として、ポストモダン思想家から最悪の評価を与えられている人、プラトン。しかしプラトンこそ実は、異なった人間どうしが言葉を通して共通の理解や共感を見出しうる可能性を求めた、「普遍性」の哲学者であった。また同時に、哲学の本質的なテーマは、人間の生の原理にかかわることを明確に提示した哲学者であった。プラトン評価を逆転させながら、著者自らの哲学観を明快に開陳する、目から鱗の一冊。

思っていたよりもわかりやすく面白かった。でも途中で少し集中力が途切れて流し読みをしまった部分があるので、そのうちもう一度丁寧に再読しよう。
プラトンヘーゲルは、ヨーロッパ哲学最大のビッグネームである。ところが、プラトンは、現代思想ではヘーゲルと並んでなぜか最大の悪役となっている』(P8)現代では悪役、そうなのか、とはじめて知る。
現代思想では、このようなヘーゲルの「普遍性の思考」あるいは「思考の普遍性」という考えを、「ヨーロッパ中心主義」的思考だとする批判が非常に強い。この批判によると、「普遍性」という概念は、それによって世界の一切の現象を整合的に説明し尽くしうる絶対的で根本的な観点が存在するという確信を意味している。このすべてを普遍的視線から、理解できるという発想こそ、ヨーロッパ的理性に特有の、高慢で危険な考え方だ、というのである。』(P23)
しかし、
『哲学の普遍的思考とは、さまざまな共同体を超えて共通了解を作り出そうとする思考の不断の努力だが、思想の"普遍主義"とは、唯一絶対の認識の観点が存在するという一つの独断的信念にすぎない。このことを混同すると、哲学や思想の「普遍性」ということの意味そのものを腐らせることになる。しかし、現代思想における「普遍」主義批判はまさしくこの混同のうちにある。』(P28)いままで、混同していたのでビックリ。「そして現代のプラトン批判は、例外なく、自らが、このプロティノス化された"プラトン主義"への批判にすぎないことに気づいていない。」(P201)。そして、現代のプラトン批判がこういった混同からきているというのはなんだかな。同じ「普遍」でも現在の語のイメージに引っ張られないで、文脈とか当時の状況とか考えなきゃいけないとか、ただでさえややこしいというのに、哲学って大変だね。

アキレスと亀」ゼノンのパラドクス

 たとえば、「無限」や「有限」という概念は、"量"や"長さ"などについての大きさを表示しているのではまったくない。それはただ、そのつどある対象のある側面をある観点から把握し、これを「有限」とか「無限」として表示するに過ぎない。
 描かれた円の内側は"領域"という観点からは「有限」であるが、そこに存在しうる任意の点の所在という観点からは、「無限」だということができる。何らかの長さを持つものは、これを半分にして分割してゆける可能性としては、「無限」だが。長さの"大いさ"としては、「有限」である「無限」や「有限」はこのように、なんら実態的な"大いさ"、特定の量、長さ、広さなどを意味しない。いくら小さなものでも、観点の取り方で、そのうちにいくらでも無限なものを見出すことができるのである。
 ところが人間の観念の世界は、概念を扱う場合にも必ず何らかのイメージを媒介とする性質を持っている。そのためわたしたちは、あたかも、砂糖つぼの中に樽を入れることはできないとでもいうように、「有限なもの」の中に「無限なもの」は入らないと、表象するのである。
 このような"概念を実態的なイメージにしたがって操作すること"につきまとう、「実体化の錯誤」は、哲学のみならず、抽象概念を扱うすべての論理的思考の領域に普遍的に存在する錯誤である。そしてこの錯誤が明瞭に自覚されるまで哲学は長い苦闘の歴史を必要とした。(だがありていにいえば、この自覚がまだ十分に行きわたっているといえないことが、ゼノンのパラドクスはまだ解けないといった説が現在でも流通しているところに、よく示されている。)
 ちなみにいうと、よく知られたデカルトの「神の存在証明」も、まさしくこの「概念のイメージ的実体化の錯誤」によって成り立っている詭弁論である。
 デカルトはこういう。人間は「不完全」な存在であるから「神」という「完全な」観念が人間の内から生み出されたものとは考えられない。だから「神」の観念は、人間以上の「完全なもの」がその原因となっていると考えるほかにはなく、したがって、「神」が存在すると考える以外にはない……。この"証明"の前衛的テーゼは、「不完全なものは完全なものの原因足りえない」である。ここまで読み進んできた読者は、これが「無限なもの>(大なり)有限なもの」と同構造の論理であることを容易に理解できるはずだ。』(P39-41)
この部分すごく面白く、目から鱗だった。