アラブとイスラエル パレスチナ問題の構図

アラブとイスラエル パレスチナ問題の構図 (講談社現代新書)

アラブとイスラエル パレスチナ問題の構図 (講談社現代新書)

出版社/著者からの内容紹介
宿命の地=カナン(パレスチナ)を舞台にくり返された、長く根深い対立の歴史。流血の抗争はなぜ起こったのか? 宗教や民俗紛争、石油資源をめぐる思惑、難民問題など、複雑にもつれた中東問題を、国際政治のダイナミズムの中に位置づけ、解明する。

パレスチナ人とは?――パレスチナ人は、国を持たず、アラブ世界で常に差別されてきた。表面上はアラブの大義という看板の下で受け入れられても、内心ではけっして仲間うちとしては扱われてこなかった。またパレスチナ人は、国による保護を得られないため、個人の努力、そしてパレスチナ人同士の団結によって人生を切り開いてきた。ある国から追放されるようなことがあっても、命ある限りけっして奪われることのないものに投資してきた。つまり教育であった。
パレスチナ人の勉強熱心はアラブ社会では際立っている。パレスチナ人は、医者であり、作家であり、画家であり、弁護士であり、大学教員であり、ジャーナリストであり、研究者である。――本書より


『本書を執筆中の一九九一年十月現在、アラブ・イスラエル紛争の歴史で初めて包括的な和平への真摯な機運が高まりつつある』(P3)もう二十年近くも前の本で現在も解決していない問題だから、この問題について最近の本も忘れないうちに読もう。
図や写真が多かったのが良かった。
アラブにはオスマン帝国からの独立(その独立国にはパレスチナが含まれる)を、そしてイスラエルには戦勝後パレスチナに「ナショナル・ホーム」(主権を持った国家ではないものの、その道程にある政治的存在)を約束しておいて、『戦争が終わり、オスマン帝国のアラブ領土の分割が始まると、結局イギリスがパレスチナ国際連盟委任統治領として、自ら支配することにした。これで、シオニストにもアラブにも不公平が生じなかった。紳士の国イギリスならではの三枚舌外交であった。』(P29)イギリスの外道さに笑う。
イスラエルの建国から一九七〇年代まで、一貫してイスラエルの政局の中心となった労働党は、その名のごとく社会主義的性格の強い政党であった。すでに言及したように、シオニストの多くは、東ヨーロッパからやってくるときに、東ヨーロッパで影響の強かった思想、つまり社会主義を持ち込んだのであった。そのため、イスラエルは現在に至るまで社会主義的な国家である。』(P48)アメリカとべったりだから、てっきり資本主義的かと思っていたけど、少なくとも90年ごろまでは社会主義的だったんだ。
ユダヤ人とは誰かという古くからの問題がある。端的に言うとユダヤ人とはユダヤ教徒のことである。世界中に広がる、ある宗教の信者が一つの民族を構成する、というシオニストの議論は、よく考えてみると奇妙なものである。アメリカのユダヤ教徒ソ連ユダヤ教徒も同じユダヤ教を信じているからユダヤ人、つまり一つの民族であるというのがシオニストの議論である。
 ところが、仮に日本のカトリック教徒もアメリカのカトリック教徒も同じカトリック信者なのだから、これは同じ「カトリック人」として一つの民族を構成するなどといった類の議論はまず誰も本気にしない。ユダヤ教徒の場合においてのみ宗教を基準に民俗を分類するというのは不合理であるとの議論を、PLOは展開してきたわけだ。』(P85)確かにそれは疑問に思うことだからなあ。
パレスチナ人は、国を持たず、アラブ世界でも常に差別されてきた。表面上はアラブの大義という看板の下で受け入れられても、内心ではけっしてなかまうちとしては扱われてこなかった。またパレスチナ人は、国による保護を得られないため、個人の努力、そしてパレスチナ人同士の団結によって人生を切り開いてきた。ある国から追放されるようなことがあっても、命ある限りけっして奪われることのないものに投資してきた。つまり教育にであった。パレスチナ人の勉強熱心はアラブ社会では際立っている。パレスチナ人は、医者であり、作家であり、画家であり、弁護士であり、大学教員であり、ジャーナリストであり、研究者である。』(P146-147)パレスチナ人、アラブのユダヤ人。
『基本的にパレスチナ人に可能な選択は二つであった。ひどい選択と、もっとひどい選択であった。ひどい選択とは、現在の占領地にヨルダンと結びついた形でのパレスチナ国家の建設を目指すことであった。もっとひどい選択は、現状の継続を許し、占領地のユダヤ化の完了を待つことであった。インティファーダは、ひどい選択の方を受け入れようとのパレスチナ人の苦渋に満ちた叫びであった。』(P181)本当に、ひどい二択。