ハーメルンの笛吹き男 伝説とその世界

ハーメルンの笛吹き男―伝説とその世界 (ちくま文庫)

ハーメルンの笛吹き男―伝説とその世界 (ちくま文庫)

内容(「BOOK」データベースより)
ハーメルンの笛吹き男》伝説はどうして生まれたのか。13世紀ドイツの小さな町で起こったひとつの事件の謎を、当時のハーメルンの人々の生活を手がかりに解明、これまで歴史学が触れてこなかったヨーロッパ中世社会の差別の問題を明らかにし、ヨーロッパ中世の人々の心的構造の核にあるものに迫る。新しい社会史を確立するきっかけとなった記念碑的作品。

『一三〇人の子供たちが一二八四年六月二六日にハーメルンの町で行方不明になった、ということが歴史的事実である』(P15)ということや『一五六五以前の<ハーメルンの笛吹き男伝説>には鼠のモチーフはまったくみられ』(P25)ないものだったというのは驚きだ。
ハーメルン、事件発生当時人口二〇〇〇人その内の若者一三〇名の流出というのは、伝説になるのにふさわしいほど、すごい出来事だな。
ハーメルンの笛吹き男伝説。史実においてどうであったかということは色々な説が提示されているが、まだ解明されていないし『最終的に「解明」されることは、おそらく近い将来にはないだろう。』とのこと。
遍歴楽師と差別など。当時の社会状況、特に下層民についての描写が多く、知らなかったことがかなりあって興味深かった。

当時のハーメルンにおいて、災害や戦乱とうちつづく理不尽な諸悪の犠牲者たらざるをえなかった、教養とてない一般庶民には、怒りや非難を向けて怨みを晴らす手段も組織もなければ、それを文書に記録して鬱憤を晴らすこともできなかった。しかし犠牲者たる庶民は、まさにその立場の故にことの真実を直感・直視し、それを何かの形で表現せざるをえなかった。そのとき、文盲の彼らが自らの体験を表現する手段としてもっていたのが、父祖たちがやはり同じような捌け口のない苦しみを沈殿させ、凝縮させて伝えてきた「古伝説」だったのである。社会の下層で呻吟する庶民の苦しみは、そのものとして直接に言葉に表現するにはあまりに生々しく、表現されたとたんに庶民には嘘としてみえてくる。庶民はまさに苦しみの底にあったが故に、その苦難を無意識のうちに濾過させ、つきはなした形でひとつの伝説の中に凝縮させる。こうして古来人々の恐怖の的であった<笛吹き男>や<鼠捕り男>でさえ、庶民にとっては自分たちの怒り、悲しみ、絶望をともに分かちあう存在となる。<鼠捕り男>が庶民と同じ裏切られた存在として描かれていることは、この時の庶民の絶望の深さを示していると私には思える。
 以後<ハーメルンの笛吹き男伝説>は鼠捕り男の復讐の伝説として全世界に広まっていくことになる。政治・宗教上の主義・信条の争いの犠牲者が常に庶民・子供である限り、この伝説は<鼠捕り男の復讐の伝説>へと転化することによって、一地域の伝説から全世界的な普遍的な意味を持った伝説へと成長していったからである。(P258-259)

宗教戦争当時のペストや大火など災難が続いていたという状況から、現在のような伝説が形成されていった。当時の人々が伝説という物語を借りて心情を言い表している。当時の下層民の悲惨な状況が書かれているから、なるほど、と素直に納得できる。