中国に学ぶ

中国に学ぶ (中公文庫BIBLIO)

中国に学ぶ (中公文庫BIBLIO)

中国に学ぶ (中公文庫)

中国に学ぶ (中公文庫)

内容(「BOOK」データベースより)
中国を学ぶことは、中国に学ぶことに終る。ただし中国に学ぶとは、何もかもすべてを肯定することではない。山なす泥沙を流し、洗い、淘げて、最後に護るのは一撮みの黄金に過ぎぬように、真に学ぶに値するものは、長い目で物を見、表面ばかりでなく必ず裏面の存在を考えることである―深い認識のもとに、中国の思想、歴史・民俗、人物、書物を語り、政治・時事について論ずる。今日の中国理解への貴重な手掛りを示す、達意の文章で碩学が綴った名エッセイ集。

エッセイ。
『『史記』は第一巻から順序に読もうとすると退屈である。中国の古典は大ていどこから読み出してもいいもの』(P152)とあったので、じゃあなぜかある「列伝II」を読んでみようかなという気になった。
『劉瑾は内外の官吏から、賄賂を税金のように取り立て、応じない者には刑罰を科した。しかしそのうちに罪悪を摘発され、天子もその真相を知って大いに立腹し、大ぜいの集まる市場で磔にかけて見せしめとした(一五一〇年)。
 さてその家財を調査して没収すると、黄金二五〇万両(九万二七五〇キロ)、銀がその二〇倍の一八五万五〇〇〇キロもあったという。いま黄金の価格をかりに一グラム一〇〇〇円とすると、右の黄金の値段だけで、九二七億円になる勘定である。』(P113-114)すごい、想像を絶するなあ。しかも清朝の時代の和珅は更にその三倍以上を溜め込んでいたというのだから、いよいよわけわからんな。劉瑾も和珅も黄金だけを取り出してみたときでその額なんだから、総額となるとより一層理解できん額になるんだろうなあ。
「VII 師友を偲ぶ――中国を学んだ人々」での、内藤湖内、桑原隲蔵などの学者としての凄さが解説されていてそれが面白かった。

古事記』や『日本書紀』を読んで奇異に感じられることは、最初に出てくる地名は、当時としては辺僻な地方ばかりである。それは日向であったり、出雲であったり、信濃であったり、あるいは常陸であったりするが、これはほぼ当時の国境線とみてよいものである。然るに現実の歴史としては大和朝廷は近畿に起こり、近畿を部隊として勢力を固めたものであるから、最も古い史実は近畿の地名と関係していたに違いないのである。おそらく長髄彦との闘争が、大和朝廷の最も古い史実を伝えた説話に違いない。次に大和朝廷は出雲政権と衝突してこれを征服した。これと共に、出雲に伝わる大国主命の説話が輸入され、やがてそれが歴史事実であるかのごとく考えられ、長髄彦の前、神代の部におかれた。同じ頃、信濃が勢力範囲に入るとその地方の健御名富命の伝説、常陸地方が征服されると、その地の武甕槌命の伝説などが輸入され、国譲り説話として神代の歴史とされた。その実、出雲地方が大和朝廷に征服されたのは、崇神天皇の六十年、出雲振根を討って平らげたと記された前後のことである。
 大和朝廷の勢力は更に遠くまで伸びて九州の南端に至るが、そこで日向の国の伝説である天孫降臨説話が大和に輸入され、大和朝廷の歴史の中へ混入するに至った。それが最も新しく知られた説話である必然の結果として、最も古い時代におかれなければならなかったのである。しかし天孫が日向に降臨したままでは大和朝廷の歴史にはならぬので、子の両者を結合するために、神武天皇は近畿の土着でなく日向国より東征したことに作りかえなければならなくなった。ここにおいて、日本全土を支配すべき使命を有する天孫が、まず日向の辺地に降臨し、それより軍事、外交を通じて地方の豪族に国土を献上させる国譲りの物語りが展開し、それはいずれも辺僻な地方を舞台とするが、最後に現実の大和朝廷建国の説話となってやっと舞台を近畿地方にとるという、きわめて不自然な形の神代史が成立したのである。(P293-295)

中国古代史の加上を述べた後、こうして日本の神話をみるとそうした成立過程はいかにもありえそうで、すごい説得力があるな。違いは中国は古い文献があるから加上がわかりやすいのにくらべて、日本は神代と歴史がまざったものが最初の歴史書だから良くわかんなく感じるんだなあ。