学校では習わない江戸時代

学校では習わない江戸時代 (新潮文庫)

学校では習わない江戸時代 (新潮文庫)

内容(「BOOK」データベースより)
「参勤交代」や「元禄文化」を習っても、そこで止まっていては勿体無い。大名行列がトラブルばかりと知り、近松こそが恋愛の発見者と分かれば、そこから先の江戸時代こそが面白い。時代小説や歌舞伎も材料に、江戸人たちの息づかいとホンネを読み、赤穂浪士の討ち入りや町奉行の制度から、武士のオキテと常識を感じ取る。江戸時代をとことんまで学べる一冊。

最初、藤沢周平さんの小説を例にとって、江戸時代の武士階級の身分について語られているけど、藤沢さんの小説読んだことないからわかんないなあ。
『長矩は、勅使饗応役に任命されており、その指南にあたったのが高家吉良義央であった。両者の喧嘩がこの役を務める過程で発生したことは間違いない。ところが、「仇を討った」家臣たちの誰もがその原因を知らないのである。』(P15)誰も知らないって、本当かよ、って疑いたくなるほど衝撃。
『死んだ主君の後を追って腹を切るという殉死は、戦国時代ではなく、江戸時代に入ってから盛んになっている。そもそも主君の寵愛する小姓たちが殉死するというような愛情関係が濃厚な行為であったが、次第に主君のわずかな恩を言い立てて、取るに足らない家来たちが大勢追い腹を切るようになっていった。』(P52)戦国ではなく江戸からの「殉死」
『参勤交代は、大名の経済力を削ぐために行われたということがよく言われる。確かに、藩財政のうち江戸での経費が六割近くを占め、参勤経費が二割、国元経費が二割ほどであった。しかし、だからと言って、そのために考案された制度ではない。大名財政を圧迫したというのは、あくまで結果論に過ぎない。』(P133)結果論に過ぎなくとも、経費の八割が江戸にいる期間と参勤交代時で消費されるのは、後に「大名の経済力を削ぐため」というような風に考えられてもそれはしょうがないよなあ。
『中世の国家的統一の未完成状態は、かつては中央集権的な古代の律令制が崩れたことによって現われたかのように考えられるのが一般的であったが、日本の古代が外観ほど中央集権的な国家であったわけではない。むしろ、現在では、日本の国家的な統一は、古代から中世を経る過程で徐々になしとげられていったのだという説のほうが有力である。おそらく、古代の国、郡、郷、諸共同体は、かなりの権限を本源的に所有して、自立的な法を定め、完全な自治を行っていたに違いない。』(P136)