蝦夷 古代東北人の歴史

蝦夷(えみし) (中公新書)

蝦夷(えみし) (中公新書)

内容(「BOOK」データベースより)
蝦夷とはなにか」という問題を含めて、古代東北史の戦後40年間の研究は、質量ともに厖大なものがある。その中で多くの通説や定説が生れたものの、それらは必ずしも厳しい史実検証が行われたものとはいえない。本書は、最近の目覚しい考古学の成果を取り込み、数少ない史料を丹念に検討しなおして、古代史の中でも、最も深い闇の奥底に閉ざされてしまった“まつろわぬ民”蝦夷=古代東北人の実像と、その軌跡の解明を試みる。

奥州藤原氏」を購入したあとに、そのカバーの返しに「東北古代史三部作」の最後とあったので、まずはそれを読む前に三部作の最初のこの本を読もうと思って購入。
『東北地方北部を「日の本」という所伝は後世まで残る。秋田安東氏は「奥州十三港(青森県津軽郡)日ノ本トノ将軍」と称したというし、天正十八年(一五九〇)、豊臣秀吉は「奥州・日の本まで」征服しようとした。余談になるが、『人国記』に陸奥国の人は「日ノ本ノ故也、色白クシテ眼ノ青キ事多シ、人ノ形儀イヤシフ而、物語卑劣ナレドモ、勇気正キ事、日本ニ劣ル可キ国トモ思ハレズ」などとあり、日本人離れの「日の本」人のことを記していた。』(P30)日の本≠日本。日の本、日本と同じ意味の言葉を言い方変えただけの言葉と思っていたけど違うのね。
『考古学の現在までの知見によれば、四〜五世紀以降に北海道人の南下があったことは確かとなった。』(P74)ん〜、それ以前の東北人はアイヌとは近似しているけどまた別の人種ということ?
『八世紀において、国家は東北住民の俘囚・夷俘などから徴税するのは、せいぜい田租ぐらいであった。田祖は収穫の約三パーセント納入ということで、重税とは見なされていない。調庸などはとらない。とらないどころか、食料その他を支給する。俘囚や夷俘とは、国家にとっては、実は厄介者であったのではないか、という気がしないでもない。』(P195)
律令国家の東北進出は、国家が土地を確保し、蝦夷を調庸の民として収奪の対象とするためという説が通説のようであるが、それは改めなければなるまい。』(P107)今まで「収奪の対象とするため」と思っていたよ。でもまあ考えてみれば懐柔策の方が確実だよなあ。