蝦夷の末裔 前九年・後三年の役の実像

蝦夷の末裔―前九年・後三年の役の実像 (中公新書)

蝦夷の末裔―前九年・後三年の役の実像 (中公新書)

内容(「BOOK」データベースより)
平安時代中期、陸奥北上川中流域を席巻していた安倍氏と、出羽の山北地方一帯を押さえていた清原氏は、その勢力が最大に拡張したとき、国家権力の介入を招いて滅亡の災禍に見舞われる。前九年の役後三年の役の両合戦である。古代東北史を語る上で不可欠の大事件にも拘わらず、顛末を伝える史料に乏しく、検証も疎かにされてきた両合戦の実像を、厳密な史料批判のもと再検討し、蝦夷の末裔である安倍・清原氏の興亡を描く。

蝦夷」の続編。
安倍氏支配が俘囚政権とか俘囚国家の成立という見解は『根拠薄弱、立証できる史料とてなく、誤りであるとしかいえない。思うに『陸奥話記』の衣川の外に出た云々が唯一の拠りどころとされて、次第に拡張解釈に至ったのであろう。』(P68)俘囚政権の幻想。じゃあ、独立運動とかでもないようだからこの戦役は国内の内紛か。夷千島王は奥州藤原氏だから、そっちはどうなんだろうかね?「奥州藤原氏」買ってはあるから早く読もう。
『前九役が、古くは十二年合戦と呼ばれながら、どうして前九年の役となったのか。』(P96)
何で9年じゃないのに前九年なのだろうと思っていたが、「十二年の合戦」と「後三年の戦」が、前九年と後三年になりやがて十二年合戦が両役の合算年数にすり替わっていった、というわりとしょうもない理由だなあ。
前九年が長引いた理由も、頼義の「個人的動機によるいわば私的な合戦という色彩が濃厚」ということで、後三年も義家が介入する大義名分が弱いのに介入したから事が大きくなっているから、今まで難癖だと思っていたけど、朝廷が私戦といった理由がわかるな。