アジア史概説

アジア史概説 (中公文庫)

アジア史概説 (中公文庫)

内容(「BOOK」データベースより)
東アジアの漢文明、西アジアイスラム・ペルシア文明、インドのサンスクリット文明、そして日本文明等、異質文明が交通という紐帯によって結びつき、相互に競い、かつ補いあいながら発展してきたアジアの遠大な歴史を解き明かし、人類全体の真の歴史を発見する。

少しずつ読んでたけど、ちょっとぶつ切りにして読みすぎて、最初の方の印象がすでに薄れている。
「第七章 アジア史上における日本」アジア史なのに日本が独立して章を置いているのはなあ、まあこの分量で普通にアジア史を書くんだったら明治維新くらいしか書くところないのかもしれないからしょうがないけど。
『日本中世における近世的ひらめきは、他の場合でもしばしば点滅を繰り返した。承久の乱建武の中興のような場合に現われた復活の理念はルネッサンス精神に通ずるものがあり、ことに建武の中興は、中国近世の宋学大義名分論が思想的背景をなしている。しかしこれらの近世的色彩は、いずれも強力な中世的潮流に押し流されてしまった。日本史の立場に立つ限り、鎌倉時代は近世的要素を含みながらも全般的には中世的傾向が強かったと認めないわけにいかない。』(P422)すでに宋が近世になったその影響で日本の古代から中世への移行期〜中世に、宗教改革などの近世的な事項も含まれていた。
『このように明治維新とともに、日本の最近世史が始まるが、日本社会の後進性はここにも現われて、以後の最近世史的発展の潮流の中に、いぜんとして近世、あるいはさらにさかのぼって中世的要素の残滓さえも混在することを認めないわけにいかなかった。そしてその事実こそ、われわれの今日の悲劇の一遠因をなすものにほかならない』(P440)宗教改革が中世的傾向に押し流されてしまった、というのは現在でも古いものを抱合しているために世界の流れに乗れないとかそんな気がしないでもない。とか思っていたので、なんとなく共感。まあ、最新のものを万全に準備してその潮流に乗れるのは現代だったら近代以降からの中心の欧米しかないかもだから、別に日本だけとも思わんが。
『ここでわれわれは封建制度の性格を世界史的立場から再検討しなければならない。すなわち中国の周代の封建制度は古代史的発展の一環として理解され、ヨーロッパの封建制度は中世的特徴の主要なものと考えられ、今また日本史においては封建制度が近世史に織りこまれているからである。これによってみれば、封建制度というものは、時代区分の標準として、全然意味を持たないことになるのであろうか。
 その通りである。封建制度というものは、それ自体は元来、治者階級の間の層序的位置決定の方法に過ぎな『幕府の開国は外国から強制されたとは言うものの、その結果はかえってアメリカに近い東国を重くし、したがって江戸幕府の地位を強化する結果となることをもっともよく知っていたのは、みずから海外貿易を行っていた薩摩藩であろう。かれらはどんな手段に訴えても開国を阻止しなければならない。開国論者はつぎつぎに暗殺の犠牲となって倒れ、勤王攘夷論が世上を風靡したのである。
 幕府が勤王攘夷論と諸外国との板ばさみとなって自滅し、大政奉還実現の後、薩長を中心とする明治維新政府が成立すると、にわかに急角度の展開を行って開国進取の方針が定められたことは、後世の史家を驚かせたが、この態度豹変は、実は予め約束された予定の行動であったのではないだろうか。幕府の手による開国は拒否するが、自分が責任者となったときには進んで実行に移すのは、開国の利益を熟したものにとって始めてなしうるところである。明治維新の元勲たちは、じつに日本と外国との境界線に生まれて、両者の事情をもっとも公平に観察できる境遇にあったことを思えば、かれらの政権掌握とともに、開国の国是が決定されたことは、別に不思議ではなかった。』(P439-440)経済的理由からみた幕末。
い。』(P430)

『幕府の開国は外国から強制されたとは言うものの、その結果はかえってアメリカに近い東国を重くし、したがって江戸幕府の地位を強化する結果となることをもっともよく知っていたのは、みずから海外貿易を行っていた薩摩藩であろう。かれらはどんな手段に訴えても開国を阻止しなければならない。開国論者はつぎつぎに暗殺の犠牲となって倒れ、勤王攘夷論が世上を風靡したのである。
 幕府が勤王攘夷論と諸外国との板ばさみとなって自滅し、大政奉還実現の後、薩長を中心とする明治維新政府が成立すると、にわかに急角度の展開を行って開国進取の方針が定められたことは、後世の史家を驚かせたが、この態度豹変は、実は予め約束された予定の行動であったのではないだろうか。幕府の手による開国は拒否するが、自分が責任者となったときには進んで実行に移すのは、開国の利益を熟したものにとって始めてなしうるところである。明治維新の元勲たちは、じつに日本と外国との境界線に生まれて、両者の事情をもっとも公平に観察できる境遇にあったことを思えば、かれらの政権掌握とともに、開国の国是が決定されたことは、別に不思議ではなかった。』(P439-440)経済的理由からみた幕末。